幕張のビルを消したる雨脚はいきほひづきてここさへも消す

『雨の葛籠』久我田鶴子

 都市に降る雨をパースペクティヴにとらえた視界の大きさが魅力の一首。「幕張」という街については詳しい知識がない人もあろうが、千葉県の湾岸一帯を埋め立てて広げたこの街には、高い大きなビル群が林立している。また、幕張メッセなど大規模なイベント会場として、テレビなどに映される映像を記憶している人も多いだろう。いま、そのビル群を消して雨脚はいよいよ「いきほひづき」、ここの景色をも「消す」と歌われている。「ここ」とはおそらく作者の住居、遠景のビルと似たような高さの建物の一室であろう。そこから「雨脚」が「消す」情景を目撃している。幕張の、まさしく現代の映像的光景を、彼女の肉眼が裏返す(=消す)というドラマがここに生み出されているのである。「雨の葛籠」という歌集には雨の歌が多い。「墓石のくぼみにひそと水を呑む大かたつむり 空が垂れくる」という印象的な歌もある。「大かたつむり」から「空」に広げるこの視線にも、同じようにドキュメンタリーなタッチが見える。二〇〇二年刊行の第五歌集。

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