『さびしき樹木』若山牧水
「大正七年七月」の中の「溪をおもふ」という一連の一首。何処かはっきりとはわからないが、心がさびしいときに「溪川」が見えてくるという。抽象的な心を歌ったものだが、歌の前には「身の故にや時の故にや此頃おほく溪をおもふ」という言葉があり、歌意はここからもわかるだろう。「何処とはさだか」ではないが、それほど多く「身」も「時」も「溪」をさまよってきたというのである。生涯を旅に生きた歌人の、山水との深い結びつきを十分に思わせる。この一首の次には「巌が根につくばひをりて聴かまほしおのづからなるその溪の音」の歌がつづき、そこに「溪を思ふは畢竟孤独をおもふ心か」という言葉が添えられている。牧水の「溪川」と「孤独」が、人生という旅の幻影をつくり出す秘密を知らせているようだ。水の流れとその行方は、誰の心をもとらえて放さない。