ライトボックスに映し出されしを面映くわれと見てゐるわが頭蓋骨

真鍋正男『雲に紛れず』
(短歌新聞社、1985)

診察室で、自分の頭部のレントゲン写真を医師に示されている、そういう一場面であろう。今ではパソコンのモニターに映されるのが普通だろうが、なにしろ80年代の歌集なので、「ライトボックス」という小道具が登場する。歌集さいごの「親等図」という連作の、冒頭におかれた一首である。

スクラムを組みてかがめる背後より迫れりジュラルミンの盾、また軍靴
破れやすき透写紙なれば直線はゆつくりと引く曲線よりも
伸縮のびちぢみできねば板はあばれ出すとあらかじめ図面にあそびを作る
覚悟してをりしよりはるかに美しき死顔しにがほなりき血はにじめども

一方で『雲に紛れず』の前半にはこんな歌がある。おそらくは編年体で、三十代後半に至るまでの作者の半生を実直にうたい継いでいったという印象の第一歌集である。初めのページをひらいてまず現れるのが学生運動の一連、その後の就職、結婚、子育て、実兄の早すぎる死……。とくに歌集の序盤では描写が詳細、精密で、これらを読むと、デモのやり方も、ガリ版の切り方も、家具の作り方もわかる、そんな感じがする。同じように兄の事故死を、目の前の情景に軽く感想をそえる調子でうたうとき、残されたものの悲しみの深さをより痛々しく語ることになる。

三首目は家具職人の仕事ぶりに取材した一連からだが、他にも刑務所を見学する一連などもあって、一冊の歌集として(ひとりの歌人として)テーマ探しをしているような印象もある。その刑務所の連からも一首ひいておこう。

軽口さへややこはばればれり「もとどほり必ず外に出して下さい」

刑務所の施設内を案内されながら、ちょっと部屋のなかに入ってみますか、というようなことを言われたのだろう。それに対する「もとどほり必ず外に出して下さい」。この感覚は説明しにくいのだが、仮に刑務所を見学するとして、これ以上に実直な人柄のにじみ出る「軽口」はない。そんなかんじがしないだろうか。

ところが、歌集のおわりにさしかかってあらわれるあのライトボックスの歌は、事情がちがう。診察室でみずからのレントゲン写真を見せられるという情景でありながら、検査を受けることになった経緯や、この前後のシーンはうたわれることがない。連ごとにシーンを設定され、かつ詳細にうたわれることの多い前半のとはちがって、このワンシーンは宙に浮いている。もしかすると幻想の診察室なのかもしれない。なにしろ、ここにはライトボックスの前で主体とかさなりあいながらレントゲンをみつめる「頭蓋骨」というもうひとりの自分がいる。頭蓋骨がレントゲンで頭蓋骨を見せられて恥ずかしがっている(!) そして、その恥ずかしがりようを冷静に見つめている主体。この一首丸ごとが、読者に「なるほど」と思わせる冗談でもあり……、しかし、失礼ながら「必ず外に出して下さい」のころよりギャグセンが上がっているような……?

カーブミラーが大きまなこをみひらけりまばたかば涙のこぼるるならむ

掲出歌を含む「親等図」の最後、つまり歌集を通じても最後の歌。カーブミラーを、瞬きをしただけでも涙がこぼれそうな、大きな目だと描写する。その「大き眼」をみつめているとき、ミラーには主人公自身の姿が映っていたはずだ。鏡に映る自分の像から、その涙はにじみ出るのだろう。「まばたかば涙のこぼるるならむ」はけっきょく、泣くまいとする主人公自身のことを語ってもいるのである。掲出歌のように頭蓋骨にもうひとりの自分を見出したり、自分の涙をカーブミラーに託そうとする。泣かなければならない理由は、けっきょく、兄の死、であったと思う。ひとつの喪失を経て自分と世界がゆっくりとマーブル模様を描くようにまざりあいながら、地に足のついた実直な表現が、軽やかに飛翔する表現へと変貌していく。その過程を見届けられる歌集であると思う。

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