またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく

『滄浪歌』岡野弘彦

 盆踊りは平安時代に空也上人によってはじめられた念仏踊りがルーツであるという。その後鎌倉時代に一遍上人が盆踊りとして全国に広め、しだいに民俗芸能の意味合いが濃くなって今日に至っているらしい。盆踊りの多くは十五日の夜、先祖の霊を送る最後の供養として行われてきたもの。この歌では輪になって踊るという素朴な情景が見えてくるが、そこにしだいに「顔なき男」も加わって「輪をひろげゆく」と歌われている。「顔なき男」とは戦争で命を落とした作者の友人、知人の霊なのであろうか。「顔」がないという存在にはやはり不気味な闇の深さがある。「夜の更けの盆の踊りにひたひたと影ふえくるは戦死者の霊」という一首もあり、ここではさらに具体的な「戦死者の霊」である「影」が歌われている。ひるがえって思えば、今日のイベント化した盆踊りには、生者のエネルギーばかりが充ちて「影」はほとんど感じられない。今日「影」との共存は、どうやら嫌われているようである。一九七二年刊行。

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