平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』
(本阿弥書店、2021)
『みじかい髪も長い髪も炎』には蛍や、ランプや、光るものがたくさんでてくる。ともすれば閉じられた歌集の中で、歌どうしが光を使って、それこそ蛍のように交信しているのではないか、読み進めながらそういう印象さえもうける瞬間がある。
さみしさをへだててきみは遠く近く蛍のように息をしている
そうかきみはランプだったんだねきみは光りおえたら海に沈むね
街角にわたしもひかる墓標をたててそれから歩いていきたい森へ
(東京タワーを見える範囲)今誓う(東京タワーから見える範囲)
掲出歌は、この歌集に収められた発光性の歌たちの中でも特によく知られた一首であろうと思う。しかし、歌集から一首だけ引き抜かれて評論やSNSのなかで言及されるときと、歌集の中で多くのなかまたちとともにいるときとでは、だいぶ印象がちがう。職場や家庭や、社会生活をおくるなかで常に立ちはだかる男といううっとうしい存在を、てっとりばやく東京タワーに喩えたウィットのきいた歌、というのが歌集の外でこの歌に出会った際の印象だが、それとは裏腹に『みじかい髪も長い髪も炎』という歌集にはどうも恋心のようなものが基調としてあって、その延長線上にこの歌も置かれていると考えてみたくなる。まるで東京タワーのようにその人の存在が主体の中で大きくなってしまう、それで吐き捨てるようにこんなことを言うのではないか。そう思ってみたりもした。しかしそうだとしても、この歌集の中には現実的な人物の日常や恋愛が、具体的な像を結ぶかたちで描かれることは決してない。ただ、東京タワー、蛍、ランプ、墓標、そういうイメージの妙にクリアーなアイテムの印象ばかりが強く印象に残る。
アイテム、といえばこんな歌も。
夢・自衛隊の飛行機・ダイビング・銃弾 会いにゆくためなら
「会いにゆく」という恋心の実力行使について歌の末尾で言及されるけれども、その「ためなら」といってごてごてとどこか自慢げに並びたてられるガジェット——ここではまるでお役立ちアイテムのように「自衛隊の飛行機」までも持ち出されるのだが、こういわれてしまうと、「会いにゆく」というある種のまごころのためにはまったくつかいものにならない大げさなものばかりこの世にはあるということがかえって浮き彫りになってくる。この歌のガジェットには蛍やランプのように明確に光るものはないのだが、ともすれば日常の喩えとしては使いにくいはずの巨大な人造物を持ち出してくるというのは、この「自衛隊の飛行機」も東京タワーに性質が似ているのかもしれないと思う。
もしかすると『みじかい髪も長い髪も炎』という世界には、極めてまっとうで秩序だってみえる世界が原形にあって、それを遠心分離器にかけ分解して、ばらばらに組み立てなおして歌になったものが載せられているのではないか、そんな妄想をしてみたくもなるのだった。レゴブロックでタワーなり航空機をつくるキットを買ってきて、そのパーツを使ってしかしタワーや航空機とは関係のない、まったくオリジナルのいびつな城をつくりあげ、その窓辺からずいぶん不自由そうに、しかしとにかく光るものを振って交信を試みる。そうやって初めて浮かび上がった心情をこそ、この歌集からは読みとりたい。