『わらふ樹』高村典子
作者は四十歳の時クモ膜下出血に倒れ、その後遺症として失語症を患ったのだが、永い年月をかけ、驚異的な意志と努力をもってそれを克服したという。ここに歌われているのは、言葉を取り戻そうとする苦闘の日の一場面であろう。作者は「言葉による表現が何より好きだった」と「あとがき」に記しているが、またそこには、言葉を失うとはどういう状態なのかということも具体的に記されている。この一首では「つき」という一語を思い出そうとしながら「下弦の繊月をひたと」見つめているのだが、その姿は思い出すというより、言葉を生み出す苦悩にも見え、あらためて、人にとって言葉とは何なのかということを考えさせる。「失語症のかなしみ映す鏡かな地上に佇(た)つたび蒼空(そら)見てしまふ」という一首もあるが、「月」や「蒼空」を見上げるたびに、わたしはこの歌人を思い出す。作者は後年、クモ膜下出血の再発で死去。二〇〇八年刊行の第一歌集。