『夜光』吉川宏志
鳳仙花の花は秋になると実り、その実は熟すと開裂して種を飛ばす。触るとパッと種が弾け飛ぶところからその名がついたとも聞く。子供の頃、種を飛ばすことが面白くてよく遊んだものだが、この歌でも「父」は「子ども」にそれを教えながら遊ばせているのだろう。そうして「父」は、この子にとって自分は「さびしい庭でしかない」と思っているのだ。その思いの対面にはむろん〈母〉という存在がある。血肉の熱でつながっているような母子の関係にはかなわないという思いが、「さびしい庭でしかない」という消極的な言葉になっているのだろう。この一首は、歌い出しの「鳳仙花の種」を巧みに「父」の象徴として歌いながら、その陰に隠されているのはいうまでもなく花と種のドラマである。鳳仙花の種を「父」とすれば、花は当然〈母〉である。華やかで色鮮やかなその花の後に、地面に飛び散る種。読者はそうした花と種の実相を想起させられながら、そこから一気に家と庭をめぐる母と父の役割へと思いを誘われるのである。二〇〇〇年刊行。
