『水仙の章』栗木京子
紙を綴じるのにホチキスを使っていると、「ぱちんと光るもの」が「飛んだ」という。空打ちして針が飛んだのかもしれないが、歌としては、紙を綴じた瞬間に何か「光るもの」が飛んだと読んだ方が面白い。日々なに気なく使いながら、思えばなかなか精妙な仕掛けの器具である。身辺の道具をつかって、この歌は鮮やかに秋の空へと飛翔する。「ホチキス」という言葉には弾むような音感があるが、つづいて「ぱちん」も音が跳ねている。「光るもの」とはその音をともなった爽快な気分といってもいいのかもしれない。たとえば、一つの文章を書きあげ、それをホチキスで綴じている時の気分は、まさしく「十月一日雲ひとつなし」であろう。「十月一日」という日付が秋の明るさに力を添えている。日や時を詠みこんだ歌には「ビル街を驟雨が洗ふ午後十時東京は少し若返りたり」もあり、ここでも時刻を入れることで見慣れた東京の夜景をさりげなく洗い直している。二〇一三年刊行。