大松 達知


水田に横転してゐる特急の写真を見ては和らぐこころ

花山多佳子『木香薔薇』(2006)

 

 毒がいい。

 短歌に善や道徳を求める人が多くいるのを知っている。

 しかし、歌人はそんな浅薄なものではない。

 

 特急の横転は大事故である。重傷者が出たにちがいない。死者が多数出たかもしれない。

 あらタイヘン、日本かしら外国かしら、けが人はいなかったかしら、大丈夫かしら、と騒ぎたてるのは、一般常識人としての姿。

 歌人にももちろんそういう気持ちはあるし、そういう常識的な顔はある。

 しかし、そんな作品は意味がない。

 自分の中のもっともっと深いところにある〈本当の自分〉。

 それが読者のみなさんにもあるんじゃないですか?と提示しているのだ。

 会社で会議をやっているのではない。国会で答弁しているのでもない。これは短歌なのだ。

 

 鉄道という近代文明の権化のような存在。特急はその代表格。

 それが人災によるものか天災によるものか、脱線・横転した。それに対して、悠然としているのが、水田である。

 日本を含めたアジアの人々を長く生かしてきた存在。

 近代文明の敗北と古代文明の勝利というわかりやすい構図。

 こういうことを日常会話で言ったら変人扱いされるはずだ。短歌でなければ、こんなふうに言いきることはできないだろう。