黒﨑聡美『つららと雉』
一首の明暗を分けるとすれば、スキップだけが明でありそれ以外は暗とは言い切らないまでも灰色っぽく見える。楽しいのがスキップである。楽しい気持ちが自然にはずんだ体の動きとなって表れるのがスキップなのだが、この歌のスキップは「へたくそな」ものであるし、「続ける」というのも何か頑張ってそうしているような感じがする。気持ちと動作に連動のないスキップは続くものではなく、長く続けられたへたくそなスキップというのはその連動がもはや見られないはずである。このスキップから感じられるのは楽しさというよりも必死さである。下句「ショッピングモールの長い長い通路を」の字余りも長さの強調であると同時にその長さはまとわりつくような重さとなって一首に感触を残す。
へたくそなスキップは重たい。重たいスキップは続かない。なのに女の子はそれを続けている。この女の子には顔が見当たらずどちらを向いているのかも定かでない。こちらに近づいてくるのか、あちらに遠ざかっていくのか、明確な方向が示されていないけれど、表情の見えなさを思えば遠ざかっていくのを眺めているようにも読める。そういえば通路の左右にあるはずのショッピングモールの店の賑わいも気配を消している。灰色の絵具で塗りつぶされた景色のなかを親もなく友だちもなく、女の子がただひとり重たいスキップで向こうへ進んでいく。最終的にはこの子はなんだか泣きながらスキップしているのではないかという気さえしてくる。へたくそであってもスキップを続けることだけが、灰色の世界に弱い光を与えており、スキップが続くかぎり灰色に溺れることはないのだけれど、この歌の最深部にはふつうに歩いているだけで灰色に溺れない世界ではないことへのしずかな怒りというか、その手前の、結合したら怒りに結晶化する粒子の点在があるように思う。
きみはまだ帰ってこない冬の夜にアコーディオンを弾く真似をする
階段を音をたてずに帰宅したぼんぼりのように浮く夫の顔
珍しく仕事のことをなめらかに話すきみの手握りたかった
これら三首も激務をこなしているだろう夫のことを詠んだ作品であるとともに、抽象度を上げれば灰色のなかをひとり奮闘する存在へのまなざしであるだろう。そして同様に世界に対する怒りとなる手前の粒子の点在がきらきらと一首一首のなかにちらばっている。
