魚村晋太郎『バックヤード』
雨音がゆったりとした一定のリズムであったならむしろ眠りへと誘う子守唄になってくれるのかもしれないが、雨音というのは実際にはせわしなく、リズムもバラバラで突然激しくなったり弱まったりするものである。しかも、雨の音はまっすぐに地面に落ちていく音だけではなく、手前のほうでは軒に溜まってから大きなかたまりとなって落下するものなどもあって意識が乱される。湿気や気温のまとわりつくような感じも加わってなかなか寝付かれない夜というのは誰しも経験のあるところだろう。この歌もそうした寝苦しさのなかにあるのだけれど、雨音にまみれながらもとろとろとしてゆく意識のうちに誰かとどこかでした「みつまめを食べるやくそく」がふと浮かび上がる。約束は相手があってはじめて意味をなすから、もう誰としたか分からなくなった約束にはまったく意味がない。ふつう意味のない約束は忘れられ、覚えていたとしても精彩を欠いているはずなのだが、この一首にあって「みつまめを食べるやくそく」はものすごくつやつやとあり続けている。約束の性質からしてあり得ないつややかさであると思う。約束自体が食品サンプルのようにつややかなのである。この約束のあり得ないつやを思えば、ほんとうはそんな約束は端からなかったのではないか、という気さえしてくる。
それでもこの歌の「みつまめ」には不思議と引き込まれる。「あまおと」からの「みつまめ」が絶妙なのだと思う。「あまおと」と「みつまめ」では音の面で言えばただ一つ「ま」の音が重なるのみであるにもかかわらず、この二つの言葉はどこか親戚同士のような音の感触を持っている。別の言い方をすれば「あまおと」の変奏として「みつまめ」がある。「あまおと」と「みつまめ」の水分量や透明感も重なりすぎず、そこに空間が生まれ、空間があるからこその響きあいを見せている。「やくそく」のひらがな表記も夢うつつのなかにほぐれていった「約束」なのだという手ざわりがあって一首にふさわしい表記が選ばれていると感じる。ほぐれていく約束のなかでみつまめの透明な立方体だけが律儀にかたちを保ち、つやを保っている。ああ、美しいものを見たという感情が最後までこちらの胸に残される歌である。
もう雨に濡れることなき青梅は照らされてをり夜の西友に
