坂を登ると見ゆる水面や登りきて打ちつけに光の嵩にまむかふ

春日井建『朝の水」(2004年)

 

 

歌を読むとき、わたしは作者の人生をあまり濃くまつわらせずに読みたい方である。
だが、それも時と場合によるのであって、この歌集はやはり背景とともに味わいたい。

 

2010年に出た『春日井建全歌集』の「『朝の水』解題」(斎藤すみ子」によると、本歌集は、「五年余に及ぶ中咽頭癌との闘病の、最後の三年間の作品を中心に」まとめられ、「亡くなった日と『朝の水』の発行日は一週間しか間がない」ということである。

 

一首は、登ると見える水の面よ、で一回切ったところで、もう一度ここまで登ってきたそのことを確認し直すように、「登りきて」と続けている。
初句七音に加えて、健康な人とは違う“登る”ことの、心身における重みが、ありありと感じられる上句の息づかいだと思う。

下句の突然の光は圧倒的だ。
水面に光が反射したのだろうが、そうしたいわゆる実景のことはどうでもいいといってもいい。
この「光」に感じとられているものは、人間一個の生をはるかにこえた何ものかであろう。
そして〈わたし〉は、ここで「光の嵩にまむかふ」。
この意志に満ちた姿勢に、静かな、しかし底から満ち上がるような強い感動を覚える。

 

死を前にした人が、あとの人に遺していった、力を受け取る。

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