「雪の影」船田愛子
第七十一回角川短歌賞の受賞作から。
形のないデータであれば上書きや改変の余地がある一方、内容や材料は似たものであっても、書籍はいちど形になってしまったらもう変更が効かないものだと思っていた。余白も本文も含めて本にすべてがある、本だけがすべてを知っていると感じられてたまらない人ほど、そうした手ごたえをもっている場合が多いのではないか。ところが、学術の世界は日進月歩であるという常識もある。ふたつの常識がぶつかりあったとき、「ページの多くなる本」という現象がうまれる。そういわれれば、第何版と書いてある本はふだんから見かけるものである。なぜそんなことに気づかずに、思い込みにとらわれていたのだろうという影がふと私にはよぎった。見えていなかった本の性質に気づく。また、この本は「病理学」のジャンルに属しているように見える。正確に理解できているか自信がないのだけれど、「病理学」というのは病気の診断や治療に役立てるための学問なのだと思う。具体的にはがんの診断などにも使うものかなと理解している。ときおり改訂され、まるで生きもののようにむくむくと状態を変える本のふしぎな性質があるいっぽう、その生きものがいまの形になる前、特定の病気の必要な情報が明らかになる前にその病気にかかってしまった人は、「病理学」の恩恵を完全には受けられないということになるのだろうか。すべての学問がそうであるように、医学もまた、完全に完成してすべての病気が治療可能になるということはないのだと思う。だから本は生きもののように変化をしつづけ、人の身体もまた、健康であったり病気であったり老いたりという変化をつづけている。ともに断面的には静止しているように見えても、変化を避けられないもの同士が、「寄りたり」という動詞によって、ある瞬間だけ寄り添っているような、目に見えないうごめきのようなものが描かれているスケッチであるだろう。
選考でも完成度について特に注目されていたように、いろいろなところが優れていて美しい連作である。さらに底面を流れるものは意外にも一方向的ではなく、さまざまな土地へ川の支流が広がっていくような、思索のスケールのようなものを感じる。
川と雲のあわいは狭しほんとうの気持ちを言えと求めらるるも
こうした歌には、言葉が体を通り過ぎるときの痛みやひりつきがあるのだけれど、ふつうに傷ついたり傷つけたりすることまでも包み込むような生命の絶え間ない動き、が連作ぜんたいにあればこそ光っている、生きる時間を確かめるように手繰り寄せているといった手触りがあって、好ましく感じた。
