夜の丘にみかんの花は濃くかおりいま天空にいる若田さん

広坂早苗『未明の窓』

 

下句「いま天空にいる若田さん」をものすごいフレーズだと思うのは、これが若田さん他いくつかの苗字以外の苗字であったなら死者に思いを馳せた歌になってしまうという点である。そして天空に誰かがいるのと上空に誰かがいるのとではだいぶ話が違ってくる。上空であれば飛行機に乗った人を思い浮かべることもできようが、天空はよりはるかな宇宙空間を連想させる言葉である。天に召される、の天とは上空ではなく天空であって、「いま天空にいる若田さん」は「若田さん」だからこそ宇宙飛行士の若田光一さんだと合点がいき存命人物だと合点がいく。若田さん以外では秋山さん、毛利さん、向井さん、野口さんあたりが天空と結びついても問題ない苗字の代表的なものになるだろう。見上げた夜空の奥のほうに生きているひとりの人間がいるということ。これだけでも不思議だけれど、「人間」というやや抽象度の高い認識であれば不思議それ自体もぼんやりとしたものになる。一方、夜空の奥のほうに若田さんという苗字の人がいる、と考えたときぼんやりとしていた不思議は一気に強烈さを増すのだと思う。下句は、だからかなり強烈な不思議に彩られたもののはずなのだけれど、一首全体で見るとその不思議は中和されているように感じられる。

「夜の丘にみかんの花は濃くかおり」にある、良い香りがもたらす浮遊感がやはり効いていてふわっとした体感がそのまま天空の無重力と無理なくつながっていく。光景としてはみかんの花の地上と若田さんの天空という対比構造がとられているように見えつつ、体感としてはどちらも何かしら浮き上がるものとして並列に近い関係をむすんでいる。地上にいる自身と天空にいる若田さんとの実際の距離ははかり知れない。ただ、地上すれすれで自身がみかんの香りにふわっと包まれていることで、無重力のなかにいる若田さんに対する妙な親近感が発生しており、一首の錯覚は醒めることなく結句までつづく。この歌の読後に何ともいえない心地よさが尾をひくのはひとつには地上と天空の双方からくる浮遊感のおかげであり、もうひとつには宇宙飛行士という特殊な職業も関係しているはずで、「宇宙のことは嫌いだけれど生活のため仕方なく宇宙飛行士をしている」という人はおそらくいない。宇宙が好きすぎて宇宙飛行士になった、という人しかいないはずである。若田さんもそうした一人であり、きっと天にも昇るような気持ちで実際にいま天空にいる。肉眼では若田さんの姿を確認することは不可能だが、自身の夢をかなえている最中のその達成、充実の気持ちはものすごく分かるような気がするし、この気持ちが一首にほんのりと漂う心地よさの源泉にもなっているのだと思う。

余談だが、1月6日の「日々のクオリア」で正岡豊『白い箱』の一首、

夏のこの蜜柑の花はゆうがたに宇宙飛行士のように開くも

を取り上げた。こちらの歌もみかんの花と宇宙飛行士で、このふたつには何か引き合うものがあるのだなあ、と思ってそれもまた楽しい発見である。

 

 

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