なべとびすこ『デデバグ』(左右社)
今年の桜はずい分長く咲いたように思う。三月最終週の週末から、ゆっくり咲いて満開のままなかなか散らないのをいいことに、毎週花見をした。雨が降っては嘆き、花見花見と騒ぐので家族にいよいようんざりされ、それでも先週あたりからやっと散り始めたと思っていたら、あっという間に気づけば葉桜になっている。もうこの先一年あの満開の光景は見られないのがかなしいし、いつからこんなに桜に憑りつかれているのか自分でもよくわからない。
掲出歌は、第六回笹井宏之賞最終候補作「flow」の十首抄として読んだときから心に残っていた。とてもシンプルな歌だと思う。たまたま乗ったタクシーの、並木道を通ったさいに「ここはね、じつは桜並木で春はすごくきれいなんですよ」などと聞いたのだろう。ということは、そのときに桜は咲いていない。冬であれば枯葉に枝の寂しい木々が並んで、時間帯も夜であれば並木自体もよく見えないまま、へーそうなんですねー、などと流すくらいのささやかな会話だったのかもしれない。タクシーでたまたま通りかかっただけの、知らない街の知らない桜並木。だからおそらくは、そのようにおしゃべりついでに教えてもらったものの、その後その場所をふたたび通ることはなかなかないし、だいたいどの辺りだったのか、思い出せなかったりする。
教えてもらった「この道」にも、いま桜は咲いているだろうか。日本全国、場所によってすでに散って緑がまぶしく光る木、北上する桜前線に沿ってまだつぼみの木、まだら模様の葉桜の木、さまざまな桜の姿を想像する。教えてもらったそのときには咲いていないはずの、ただ枝葉だけの並木道を車であればそうかからずにすぐに通り過ぎて、へーそうなんですね、と相槌を打ちながらも景色はどんどん流れていく。それでもこうして歌になれば、そのときのある意味でほんとうにささやかでなんでもないような会話は記憶として留まって、ここにある。記憶のなかの、過ぎ去った車窓の町の桜並木を呼び起こす。枝のみの木をまずは想像して、そのまま一気に早送りする、その先にあるだろう満開の様子。二重の想像力を要しながら、ほとんど念力のように思ってみるその並木、そしてきっともう思い出せないタクシー運転手の顔や声、私自身からすべて遠くはあるが、いまも桜並木はそこにあって並び、花を咲かせ、また花は散る。緑になる。当たり前に思ってみるそのことが不思議で、シンプルに読み下すことのできる一首のラフさ、力加減が心地よい。
あの部屋に住めば古墳をたまに見て春には川沿いまでを歩いて
