岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』(青磁社)
まったく詳しくないのに書くのもおこがましいが、ジャンゲレヴィッチの死についての分類を思えば、つねに死とは自分ではない誰かのものである。二人称の死、もしくは三人称の死、であって私自身の死、つまり一人称の死を生きている限り知ることはかなわない。誰かの死を百回経験しても、それは自分の死とはまったくかかわるところがない。死とはだから前提として触りようのない、確かめようのないもので、死ぬのはつねに自分以外の誰かであるほかない。自分が死ぬときには、その自分の死が誰かにとっての死になりかわり、やはり身をもって体験することはかなわない。そのときすでに自分は誰かにとっての死となっているから。
けれど、掲出歌では「死はもはやひとのものならず」という。わたくしのそばにある。己の死を感じるというのはどういう状態なのかといえば、「そばにある薄い肌着のように」はりついている。というより、身にまとっている。どの季節でもたいていは肌着を着ていることを思えば、私の死というものと私とはつねにともにある。私の身体が直接触れるようなかたちで、薄い肌着のようにそれははりついている。むしろ、私の身体を汗や寒さから守る働きをしながら、私とともにある。
朝、一度袖を通して着てしまえば、夜になってそれを脱ぐときまで肌着のことを考えることはおそらくほとんどない。身につけるものでも、たとえばストッキングであればずり下がって不快だなあと意識の片隅で思いつづける、今日はあわててはずれの靴下を履いてきてしまった、これは歩く度にかかとが露出する。苛立っていっそ脱いでそこら辺に放ってしまう、などということは往々にしてあるけれど、肌着にはあまりそういう意識自体が向かない。ほとんど意識せずに、つねにともにある存在という点でたしかに薄い肌着とわたくしの死、というのは親和性があるように感じられるかもしれない。
けれど同時に、私の死が肌着のようにしてつねにそばにある、というのは、そうであるならばそれをほんとうにそれを「死」と呼ぶのだろうかという疑問も立ち上る。むしろ翻ってそれはまったき生ではないのか。生きていて、生活をするから肌着に腕を通す。毎日毎日袖を通す。自分の体温の移った肌着を脱ぐときに、脱いでしまうのが惜しいとふと思う。引き剥がし洗濯機に放り、また洗って翌朝、私と一体であったとは思えないような、別物となった冷たい一枚に袖を通す。思えばそれはまったき生の営為であって、そこに死のほのぐらさは感じられない。黙ってともにある、という意味ではつねに隣り合わせのものとしてある死、なのかもしれないけれど、脱いでは洗ってまた首を、袖を通す肌着とともにある季節のめぐり、私の身体、際限まで薄くなった透かし見る肌着の薄さを痛々しいような、それでいた頼もしいような気で、ハンガーから外して箪笥にしまう。
公園にめまいの遊具あふれててあなたの上に花を降らせる
