千坂麻緒『はるはるぐるぐる』
朝6時でも日差しが強くて夏至が近いのだと思う。家の近くに生垣に囲まれたマンションがあってベニカナメが名にし負うほどの赤い葉をつやつやと光らせている。
風の音がごうごうと鳴り続ける夜というのはどこか幻想的だ。作中現在は「一晩中」を「聞いてゐた」と過去として振り返るのだけれど、寝れないまま朝が来て夜のことを回想するにしてはやけに冷静である。「一晩中」は今現在と連続していない気がする。昨晩から今朝までを思い出す歌ではないのだ。遠い過去の記憶を思い出そうとして、思い出せる限界に突き当たった時の記憶が「風の音」だったというような感じだ。現実と一対一でリンクするはずの過去の一時点は歌の中にはない。漠然とした思い出や何度も繰り返してきた日常のリズムを一言でまとめようとして「一晩中風の音だけ聞いてゐた」印象を出しているように思う。生きていながら、どこか手触りのない時間を過ごしてきた感覚が上の句に出ていると思う。
── 頭の中で燃えてゆく森
鳴り止まない「風の音」が日常の換喩だとすると、自分の頭の中にある「燃えてゆく森」は一体何を表しているのか。外からは見えない、自分にしかわからない心のざわめきが「森」のかたちをしながら端から少しずつ燃えてゆく。自分の外にある日常から吹いてくる風が、隙間だらけの自分の体をすり抜けて心の内部に到達する。聴覚は視覚よりも感覚を閉ざすのが難しい。目を瞑っても、音は聞き取れる。それに、目よりも耳の方が見えない場所の情報を感じ取れることがある。1日の半分は暗闇だ。暗闇から情報を得るなら聴覚はよくあっている。「森」が燃えてゆくのを止めることができずにいる。それどころか「風」はどんどん強くなる。
「燃えてゆく」の選択が肝だろうか。「燃えている」でもよさそうだが、印象が大きく変わってしまう。今現在の燃えている姿を見ているなら「燃えている」で十分だ。千坂は今現在を見ながら、同時に今見えていない姿──時間が経過しても燃え続けているだろうという〈予感〉──を歌に入れている。今も未来も見る主体である自分は変わらずに森を見ている。どうにも干渉できない触れがたいものの比喩として「森」を眺める。
ぶつかつた跡はなんにもないけれどガードレールの下の花束
このうたも干渉不可能な〈予感〉を詠んでいるように思う。交差点の端やカーブする道に沿って伸びるガードレールが守っているのは歩行者だ。ぶつかるものがなければ亡くなる人もいなかっただろうか。誰しもが一度は見たことがある光景から「跡」を見ようとする千坂の視点を怖いと思った。大抵の人は花束がそこにあるだけで事情を察して、なるべく早く視覚を閉じようとする。そこにある花束を見なかったことにしなければ、日常のリズムは崩れてしまう。自分を保とうする無意識の動きの一歩手前で千坂は立ち止まる。
