また雨のにおいがすると言いかけてまたあしたを選んでしまう

藤本玲未『テリーヌの夢』(左右社)

台風が近づくと知って、すると(明日は休みかもしれない)と年甲斐なく思ってしまう。非常勤講師なので、もし休校になれば授業もなく、出勤しなくてよい。生徒とまったく同じマインドで台風の近づく夜にはそんな期待を寄せてしまう。が、ここ山口はちょっと風が強いくらいで、雨はたんに、いつもの雨であった。生徒たちはいつもよりなんだか不貞腐れていた。

梅雨入り前の、やわらかな台風の近づいて遠ざかる昼である。掲出歌の一首をわかりやすく、言おうとしたこととじっさいに言ったことを分けるなら、〈「また雨のにおいがする」と言いかけて「またあした」を選んでしまう〉になるだろうか。(さっきしたと思ったら)またやっぱり雨のにおい、と思う。思ったことをそのとき思ったまま伝えればいい、と思いつつ、それは言わずにに「またあした」と言って手を振る。またあした、と言われたらきっと相手も「またね」と返してそれぞれの帰路につく。もしも、「また雨のにおいがする」と言っていたら、相手との間にはもう何往復かのやりとりが生まれて、それで「じゃあね」となるのか、もしかすると「これから雨が降るなら、もうしばらくどこかで時間つぶす?」というような話になるかもしれない、もちろんならないかもしれない。けれど少なくとも、「またあした」を選べば、自分のほうからやりとりを終えることになる。「選んでしまう」には、やはり文字どおりささやかな後悔がただよっている。

あるいは、ふたつある「また」のうち、とくにひとつ目は鉤かっこのなかには入らない、という読み方もあるかもしれない。〈また「雨のにおいがする」と言いかけてまたあしたを選んでしまう〉であれば、下の句はもっと取ることのできるニュアンスが広くなる。言い淀んで結局言わず、言えずに終わったことを先送りにする、という意味での、自分のなかだけの「またあした」かもしれず、あるいは「あした」がより一般化されたものとして、主体が選びとる未来自体を指す、のかもしれない。

けれどやはり、翻ってふと口にしようと思った「雨のにおいがする」は閉じられて、そのかわりにいつものように「またあした」と言って別れた、のだと思う。またあした会える相手だから、雨のにおいがすることは、絶対に言わなければいけないことでもない。でも、またあした会えるから、また雨のにおいがしたとしても、言わないかもしれない。「また明日を選/んでしまう」。口にしなかった雨にまつわるささやかな気づきは、一度だけ出てしまったしゃっくりのような、ふいに跳ねるひと呼吸に変わる。

友達とお友達とパンを買う噴水広場の段差に座る

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