俵万智がそう決めたから七月の六日はサラダ記念日である

奥村晃作(2026年7月6日)

 

 

 

https://x.com/okumura80kousak/status/2073935112635605461

こういった歌をXにポストできるのは奥村晃作さんだけだ。唯一無二の境地である。「俵万智が七月六日をサラダ記念日だと決めた」歌の内容はこれ以上も以下もない。それなのに読後にエクスタシーを感じる。これはなんなのか。もう一度、初めて読んだつもりで初句から順番に読んでみて思ったことを書いてみる。まず、歌の方向性は三句でほぼ決まってくる。

【途中図1】俵万智がそう決めたから七月の ○○○○○○○ ○○○○○○○

ここまで来たら歌の内容はほぼ確定である。俵万智で七月といったら、頭に浮かぶ展開はこれしかない。

【展開予想1】俵万智がそう決めたから七月の ○○○○○○○ サラダ記念日

である。本歌を知っていれば結句は揺るがない。あとは「六日」がどこに来るかである。結句を固定すると収まりがいいのはやはり結句の前だが、それだと本歌そのままなので別の展開を見せると思うがいったんこれで進んでみる。

【展開予想2】俵万智がそう決めたから七月の ○○○六日はサラダ記念日

実際の四句を見てみよう。

【途中図2】俵万智がそう決めたから七月の六日は○○○ ○○○○○○○

「六日」が四句冒頭で出てきてしまう。四句はまだ三音もある。短歌において三音余っている状態というのは、何か余計なことを付け加えて歌を台無しにしてまうリスクがある状態である。できるだけ意味のない言葉や、助動詞をつなげて軽くつなげたい。ドキドキしてくる。奥村さんはどうやって三音を埋めるのか。見たもの感じたものそのままをいう「ただごと歌」の技術が試される。

この後の予想は、結句の展開は予想2のままにしておく。残り三音の埋め方はいくつかパターンが考えられる。「は」を受ける言葉を入れるか、副詞の虚辞(意味のない言葉)を入れるかであるが、前者は意味が増えそうなので虚辞が良さそうだ。

【展開予想3】俵万智がそう決めたから七月の六日はいつもサラダ記念日

副詞を言れて念を押すようにいえば余計な意味は増えない。四句の残り三音を見てみる。どうなるか。

【途中図3】俵万智がそう決めたから七月の六日はサラダ ○○○○○○○

六日はサラダ。展開が速すぎる。大富豪で言ったら序盤でいきなり絵札を切るようなスピード感である。揺るがないはずの結句が解体されている。「六日は」が四句で出てきたのもだいぶ巻きで進んでいる印象があったが、まさか「サラダ」まで四句に入ってくるとは思わなかった。結句への句またがりがほぼ確定である。サラダの後はさすがに「記念日」に繋がってほしい。「サラダを」のように助詞まで四句に入って来てなくてよかった。結句へ進む。

【途中図4】俵万智がそう決めたから七月の六日はサラダ記念日○○○

よかった。さすがに「サラダ記念日」は形が保たれていた。しかし「俵万智が七月六日をサラダ記念日だと決めた」を完全に言い尽くしている。もうこれ以上、本当に何もいうことがない。結句の三音を使わずに字足らずにしても内容は十分だが、歌は最後まで展開をやめない。すべての空欄を開いて完成形を読む。

 

俵万智がそう決めたから七月の六日はサラダ記念日である

 

句またがりによって強調された「記念日」を「である」で決定づける。「七月の六日」も七月の中から一日を取り立てる「の」の働きがある。「の」は韻律を整えるだけでなく、この一日が特別な日なのだと印象付ける。

ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く

次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く

人口に膾炙したこの2首も、三句のおわりに「の」がある。文法的には異なる用法だが、歌のリズムにおいては「の……」とすこし間を空ける感覚があって、ここでためを作っておくと結句の最後の動詞に強い終結感がでてくる。

俵万智がそう(七月六日はサラダ記念日だと)決めたから、七月六日はサラダ記念日である。同じ内容でも散文にするなら「の」は不要だ。韻文にはリズムがあって、リズムに乗せると一つのテクストの中に重い部分と軽い部分が生まれる。奥村は、リズムに乗ってしまって「ただごと」に過剰な注目が生まれるのを恐れない。恐れに克って「ただごと歌」の実践を続ける精神力の強さが独特なすごみのある調べを作っている。「である」に真髄を見た気がする。

 

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