ファイナンシャルプランナーの画面の中に八十歳のわたしが座る

魚谷真梨子『Lily vol.4』

『Lily』は江戸雪、中井スピカ、魚谷真梨子による同人誌。掲出歌は連作「あかるい草原」から。思えば「ファイナンシャルプランナー」は音数の多い言葉である。上の句はゆったりと「ファイナンシャル/プランナーのがめ/んのなかに」で読めば「6・8・5」となるだろうか。ファイナンシャルプランナーのことをよくわかっていない。おそらく人生設計におけるお金のやりくりをともに考えてくれる人、なのだろう。人生のうち起こりうるイベントとして挙げられる結婚、出産、子どもの教育費、自分や親の介護等ライフコース上の資金調達のために、この時期にはこのくらい、さらにはここでこんなにかかりますから云々などとさまざまやりくりを提案される。

その説明の、画面のなかに「八十歳のわたしが座る」。上の句の字余りと比して、定型の下の句はあまりに収まりがいい。画面の中の八十歳のわたしは大人しくそこに座っているのだろう。八十歳ではまだお元気でしょうから、そう、いまでこそ人生100年などと言いますけど、その頃には120年なんてことだってあり得ます。だとすれば80歳なんて第三の人生ですよ。などと、これは架空の会話であるけれど、そんな話を聞かされる現在のわたしと、画面のなかの八十歳のわたしは同じだけ戸惑っているのかもしれない。

ふわふわと資金計画立てられて街へ戻れば陽炎ゆれる

掲出歌の直後の歌には、ていよくファイナンシャルプランナーから整えられた資金計画を携えて「街へ戻」る。「戻る」という動詞はどこか大仰で、ついさっきまでのやりとりと現実、現在の自分との落差にどこか浮ついたまま、夏のさなかの陽炎を見ている。思えば何十年か後に訪れる八十歳の夏はどんなにか暑いだろう。個人の資金のやりくりどころか、日本や世界はそのときどうなっているのか、まったくわからない。先の見えない世の中だからこそ、先んじて計画を立てて賢く生きていきましょう、ということなのだろうけれど、どこか「ふわふわ」してしまうほうが正常というか、まだ見ぬ未来図を赤の他人に提示されてぼんやりとする現在の私、そして残像のように、八十歳の私も漂うようにたしかに存在している。

わたしの死後も馬駆けてゆくただそこにあかるい草原があればいい

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