治ったら忘れてしまう切り傷の履歴をすべてみせてもらえる?

平岡直子『外出 九号』

連作「吊り橋」から。前回の猫のひっかき傷の歌を目にしたとき、実はこちらの歌のまさに「切り傷の履歴」のことを同時に思い出していた。手の甲に深くついた傷はそれなりに治癒までに時間がかかり、それでも治り、治ったまま、うっすらと治り跡が残りつづける。そういう傷がおそらくは誰にもあって、私は小学3年のとき、歩道橋の坂道を新しい自転車で勢いよく下ってブレーキがきかず、坂の終わりにはトラックがばんばん走る大きな道路、あわや大事故、すっ転んで得た傷が36歳のいまも残る。そんな傷のことを、尋ねられればなかば思い出を噛み締めるようにべらべら話してしまう用意はあって、膝だとかおでこだとか、「ほら、ここ」と示す用意のある傷を多くの人は持つのだろう。

そうではない傷、つい紙ですぱっと切れたとか、包丁で指先をやっちゃったとか、剃刀がへんに肌に当たってしまったとか、生活すれば切り傷は茶飯事、とまで言うかは別にしても珍しいことではない。ちょっとした傷であれば、気にするのは自分だけで、お風呂は沁みそうだからシャワーにするか、とか絆創膏をこまめに貼り変えようとか、誰にも取り立てて告げることなく、そのまま気づけば癒えている。癒えてしまえばなおさら言うこともなく、自分だってすでに忘れている。だから、その「切り傷の履歴を見せてもらえる?」という問いかけはあまりに踏み込んだ介入であって、あまりにずけずけと、それは愛である。そんなこと言われたら泣く自信がある。自分さえ忘れた切り傷の数々、いまさら数えられない傷、傷にはすべて理由がある、原因がある。紙で切った傷、その紙は思えばめくりそびれたカレンダーで、勢いよく破ったら切れたんだった、久しぶりによく研いだ包丁ですぱっとやっちゃった、動く、動かす手指に触れたものがあり、あらぬ形で血が出て傷になる、自分がいずれ必ず忘れる傷にも仔細な背景があることを、全部教えてと言われたら、だからやっぱり泣いてしまうと思う。そして、そんなに大事にしてくれるなんてこの人はものすごく変だなと同じだけ思うと思う。

体重は一生かけて増えて減る穴あけパンチで穴をあけたら

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