桝屋善成『声の伽藍』2002年
暴飲ののちに訪れる二日酔いの宿命を「千年の苦の前借り」と言えてしまう作者の感性に惹かれる。本当に美酒と言われるお酒を讃えるなら「美酒なりや」としたいところだが、この歌では「美酒なるや」美酒なるものに含みのある言い方になっている。次の日に「千年の苦の前借り」というほどの二日酔いがきたとしてもいい。安い焼酎や清酒を美酒と呼んで飲んで、今この瞬間を楽しむことに賭けている。学生のような安くて酔える酒を飲むのと少し違って、ほかにもっといいお酒があるのにあえて安い酒を楽しんで飲んでいる気がする。余裕のある壮年の大人という感じだ。
一つ一つ丁寧に作られてゐる。印象としては地味である。手堅いのであつて、奔放ではない。この人の精神の底には、自分とか世界についてのつつましい祈りがあつて、その祈りを一首一首にこめてゐるやうに思へる。
/岡井隆「解説」
岡井隆が解説で指摘した「自分とか世界についてのつつましい祈り」は歌集に通底する感覚だ。「いつせいにわれら飲み干す」のは、今この場にいる人たちと同じ時間を過ごしたいというささやかな願いが〈私〉を突き動かすからだろう。そしてまた〈私〉はこの瞬間が即興に満ちた人と人の交わりであることを知っている。せいぜい100年ほどの人間の一期のうちに同じ時間を過ごせる出会いに特別な意味を感じようとする。「千年の苦」はこの瞬間が永遠に続いてほしいと願いながら、その願いが叶わないことを自覚し、詠嘆するフレーズだろう。
暮れなずむ宵のとまどひかくさむと薄荷を摘めば雷の香のせり
このうたも下の句の「薄荷を摘めば雷の香のせり」の調べに惹かれた。下の句全体の韻律がそのままミントの清涼感のある香の比喩になっている。「雷」の音は「らい」だろう。「雷」と言えば、岡井隆の〈いづこより凍れる雷(らい)のラムララム だむだむララム ラムララムラム〉を思い出す。岡井は雷の視覚的な形状を音で表したが、桝屋は嗅覚へと引き寄せる。「暮れなずむ宵のとまどひかくさむと」からは具体的な動作や動機を読み取れない。親しみを感じる人の近くにいて、心理的/身体的に距離を近づけようとする時に感じる後戻りできない緊張感がある気がする。状況を直接描写せずに「薄荷を摘めば」のメタファーを用いるのは、自分の心を穏やかに保とうする、冷静さを装おうとする心の暗喩だと読んだ。
息継ぎのいまだつたなくあこがれを持てし聞かむ管の響きを
壮年の心、子供の心、その両方を持ちながら揺れ動く〈私〉が描かれている歌集だと思う。管楽器を練習しながら上手く吹けず、プロの演奏を聴きながら「あこがれ」を感じるというのは青春の類型ぽさがあり、手堅い印象はあるが、実人生をそのまま歌にしているという感じはしない。一歩引いたところでメタファーが走っていて、作者の思いや心の動きが、読者と共有可能な体験に置き換わっている感じがする。あえて人生派/言葉派の二分で考えるなら、言葉派が優位に読める歌集でありながら、言葉の奥に確かな〈私〉の存在を感じ取れる。
採血を待ちをる間にあからひく星の成り立つありさまを読む
