澤村 斉美


あづまののけぶりのたてるところみてかへりみすればつきかたぶきぬ

万葉集 巻一 四十八番

「東野炎立所見而反見為者月西渡」(万葉集原本での表記)はこのように読まれていた――。そう、「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」として有名な柿本人麻呂の歌のことだ。

白石良夫著『古語の謎 書き替えられる読みと意味』(中公新書、2010年11月刊))によれば、「ひむがしの~」という読みを「作った」のは江戸時代中期の古典学者・賀茂真淵(1697~1769)だった。同じ江戸時代でもそれより前の貞享・元禄年間(1684~1704)、室町時代、鎌倉時代、もっとも古く平安時代末の資料では「あづまのの~」と読まれていたことが確認できるという。人麻呂の時代にどのように読まれていたのかはついに謎だが、後世に読み方が作られる、という事態を私はおもしろく思った。さもありなん。

賀茂真淵の「ひむがしの~」という新しい読みの影響力は絶大、あっというまに「あづまのの~」は忘れ去られ、「ひむがしの~」は見直されることなく今日に至っているらしい。真淵と同時代の歌人たちは、中世の間は歌語としては死んでいた「ひむがし(ひんがし)」という言葉を歌に取り入れ、さらに、近代の歌人も

  ひむかしの京の丑寅杉茂る上野の陰に昼寝すわれは 正岡子規
  ひんがしに月の出づれば一人の秋の男は帆柱を攀づ 与謝野晶子
  みじか夜の有明の月のかすかにてひんがしの空に雲焼くるなり 若山牧水

など、江戸時代に再生した古語「ひむがし」を好んで取り入れていることを白石は例証する。「古語」と一口に言うけれども、はじめから「古語」として定まったものはなく、数々の研究、解釈、使用を経て変質したり、死んだり、捏造されたり、生き続けたりする。言葉を生かすも殺すも、時代時代の人間のこころなのだ。