江戸 雪


うしろより母を緊めつつあまゆる汝は執拗にしてわが髪乱るる

森岡貞香『白蛾』(1953年)

母と少年の戯れ。ただそれだけの歌ではないと直感的におもう。それは、「わが髪乱るる」という結句があるからだろう。この結句が、母と少年の本能的な交わりを感じさせる。
母の愛だけの歌はいくらでもある。けれどこの歌のように、母の持つ少年への愛と同時に、少年が母に対して抱く愛も強烈に印象づける歌はそう多くはない。
この歌の母と少年は、戯れをきっかけとして複雑な情の一塊になってしまったようでぞくぞくしてしまう。

私がこの歌を初めて読んだのは二十代のころ。今おもえば、ここに現われる薄暗いような人間の愛情を、理解できていなかった。もちろん、今も人間の愛情を十全に理解できているかといえば自信はないが、齢をかさねてこの歌への感じ方は変わった。母と少年の、あるいは母と男子の互いへの愛は、まことに多様で一言ではとても片付けられない明暗があるのだ。

この歌は、戦争へ赴いていた夫を戦後すぐに亡くした女性の歌である。この歌は成立の個人史、つまり、亡くなった夫の姿を背後に感じつつ読まれることが多い歌だと言える。そのようにして読んでみると、たしかに、残された母が夫の面影をやどす少年となんとか生きぬこうとする姿がすけてみえ、心うたれる。

ところで作者は、この歌集を刊行した後、私生活をあらわに詠むことをやめた。そうせざるをえなかった彼女の孤独と葛藤をおもうとき、この歌を、夫を亡くした女性の歌ではなく、純粋に母と少年の歌として読みたくなる衝動にかられるのだ。