歌に潔癖になれないとしても

第一歌集『weathercocks』(短歌研究社)が販売されてから1年が経った。

ずっと分の悪い選挙活動をしていた感じがあった。同じ秋に平出奔『了解』(短歌研究社)、千葉優作『あるはなく』(青磁社)、鈴木加成太『うすがみの銀河』(KADOKAWA)といった同年代の男性歌人が立て続けに出したのは参った。まあでもどの年でも良い歌集は出ているから、その感じは拭えんかっただろうなと思う。ちなみに今年の第一歌集だったら菅原百合絵『たましひの薄衣』(書肆侃侃房)、濱松哲朗『翅ある人の音楽』(典々堂)、安田茜『結晶質』(書肆侃侃房)に分の悪さを感じていただろう。

いずれにせよ、おかげさまで歌集を出した先の風景を見ることができている。歌集を出した先の風景が素晴らしいか素晴らしくないかは正直人による。先言うとくけど、めちゃくちゃキラキラしたものが見えることが確約されているとかそんなんはない。ちなみに自分が見ている風景を俺はええんちゃうかと思っている。

で、2022年に歌集を出したことは、結果的に派手に漂っている(ように見える)「短歌ブーム」という霧を視界に入れながら走ることを意味した。霧があっても歩道がちゃんと整備されてたら遠くが見えないだけで意外と歩ける。でも精神的には面倒くさい。

「短歌ブーム」について、多くの歌人がブームと呼ばれる現状を分析したり、所感を述べているのを見てきた。私としては自分の歌集が一冊でも多く売れるのであれば、現状がブームの渦中だろうがそうでなかろうがなんでもいいと思っている。お祭り騒ぎは好きだが、お祭りがある前から私はここに居たし。結論が出ている。

それが数日前のことで、最近この話の擦り方をちょっと変えたくなった。短歌をはじめた時分の時におそらく上記の結論の様なことを思っていなかった。

ここでぼんやりと角川「短歌」2023年3月号の王紅花の時評の一節が過ぎる。

「歌わずにいられない心の声が歌であり、「傾向と対策」を学んで試験の答案を書くようなものではない、と私は言いたい。どこかで三枝昂之が言っていた。自分たちの世代は賞に応募するなど恥ずかしくてできなかったと。歌に潔癖だったのだ。そういう時代があった。歌との付き合い方は人それぞれだが、長谷川にはこれからはゆったりと先人の秀歌を楽しみ、自分ならではの歌をじっくりつくって欲しい。それこそが歌うことの真の喜びになっていくはずだ。」

これは長谷川麟(受賞時の筆名は長谷川琳)の第十回現代短歌社賞の受賞のことばに反論する文章だが、ここに出てくる様な価値観はすごく真っ当である。歌を作り始めた時の価値観ってどちらかというとこの価値観だったと思う。それを踏まえて言うならさっき言った結論はこうなる。

「私としては自分の歌が作れるのであれば、現状がブームの渦中だろうがそうでなかろうがなんでもいいと思っている。」

どこでこうなったんかね、と思う。体感的には自分の中の善という天秤が作るより売るの方に傾いているのがわかる。

「短歌ブーム」に至るまでのこの10年くらいで大きく変わったのは書店・出版社に対する解像度だと思う。特に書店に対する解像度が上がった。「短歌研究」2022年8月号の「書店員さん大アンケート」もそうだし、最近だと「短歌研究」2023年12月号の永山裕美の「「この十年の変化」で思うこと」が勉強になった。永山は梅田蔦屋書店の書店員である。

「手ごろな値段で詩歌の本を出版し、新刊案内もきちんとくれるし、営業もかけてくれる、重版もしてくれる、上記の出版社の出現は、書店にとってはやはり画期的だった。ただ、それは詩歌専門の出版社が悪いわけでもなく、きちんと販売実績をあげられない、客として認識されない書店にも勿論責任がある。

 また細かいことだが、多くの書店はいつでも本を返品出来る、委託販売に慣れきっている。詩歌専門の出版社は買い切りや返品に了解がいるところが多く、人件費も切り詰めに切り詰めている書店にとっては、返品了解の時間を取られる出版社とのやりとりは負担が大きい。快く受け入れてくれるところのほうが多いが、返品は小さな出版社にとっては死活問題なので、嫌味を言われたり、高圧的な物言いをされることもある。その中で、左右社はある時から返品了解がいらなくなり、書陣侃侃房、ナナロク社も返品に柔軟に対応してくれる。この返品への寛容さは多くの書店が持っていた、詩歌の本を取り扱うハードルをかなり下げたのではないだろうか。」

 抜粋したが、書店の実務についての視力が上がる文章だった。更に言うと、「短歌ブーム」の副産物は売ることへの解像度を上げたことだと確信させてくれる文章だった。

ただ、売ることへの解像度の急激に上がったことは、結果的に先に述べた天秤を大きく傾けている。この天秤が心の中にあるのはおそらく私一人ではないし、これからも歌集を出している、出す、出そうとする歌人に現れる。

 先の王紅花の発言を借りて言うなら歌に潔癖になることが難しい時代だが、それもまたいいと思う。たぶん短歌が流行らない世界線より流行っている(と言われている)今の世界線の方がより多くのことを学べているし楽しい。

余談:私のコラムはこれでおしまいです。コラムのタイトルは5月9日、アイスクリームの日に話がはじまったことからこのタイトルにしました。ありがとうございました。