生沼義朗


槇弥生子/吐きし血の500㏄の行方などふと気になればずつと気になる

槇 弥生子『ゆめのあとさき』(KADOKAWA・2015年)


 

槇弥生子(まき・やよいこ)は、1931(昭和6)年生まれ。まず森本治吉の「白露」に入会。後の1953(昭和28)年、「醍醐」に入会。「醍醐」選者を経て、2004(平成16)年、「開耶」を創刊し主宰となった。若い人には、森本平の母親といった方が早いかもしれない。

 

『ゆめのあとさき』は槇の第14歌集で、生前最後の歌集である。この歌集が出たおよそ2ヶ月後の2015(平成27)年5月19日に急逝している。

 

掲出歌は「骨折・ストレス・そして血」と題する一連18首の7首目。題の通り骨折して入院し、おそらくそのストレスで吐血したことが一連を読むとわかる。あとがきに大腿骨を骨折して入院したことが記されているので、そのことに由来すると思われる。

 

まず目にとまるのは「吐きし血」という初句から詠い起こしていること、そして「500㏄」という数字だ。ことさら読者を驚かせようとするものではもちろんないが、「吐きし血の500㏄」は相当の量であるし、実際に病院の床に500㏄の血を吐いた光景をイメージすると、事実の重みにやはり驚いてしまう。

 

さらに、自分の吐いた500㏄という決して少なくない血液が、その後どこに行ったのか。もちろん普通に清掃されたのだろうが、そうしたつまらない理屈を離れ、その行方について病院の白いベッドの上で思いを馳せる。とりとめもなくそんなことを考えるのは、吐いた血が自分のいわば分身であること、さらには足を骨折して入院してしまったとこともあり、他にすることがないというのもあるだろう。「ふと気になればずっと気になる」には、病院のベッドの上で思考があれこれ巡り巡っている様子がよく現れている。だが、そうしたことを考えていられるのだから、命にかかわる症状ではない。言ってみれば、そうした余裕とある種の健全さを含んでいることに読んでいるなかで気がつく。

 

 

口すすぎコーラをふくむしばらくを現世にもどる色を確かむ

 

 

歌集後半の歌。この歌の次に〈病みながく心弱りしわれなれば子に依存するその父よりも〉という歌があるので、退院後の歌とわかる。コーラをより深く鮮明に味わいたいので、あらかじめ水で口をすすぐ。その何気ない、しかし丁寧とも言える行為に、生活を楽しんでいる様子が伝わってくる。「現世にもどる色」は、病院にはなかったコーラそのもののあざやかな色彩を表すと同時に、入院していた時間を取り戻してゆく感覚がある。また、その感覚には炭酸の刺激などの、入院生活では決して感じることのなかったものもおのずと内包されている。上句の行動と下句の感慨をつなぐ「しばらくを」に、平癒した後の時間のかけがえのなさを実感している様子がしみじみと滲む。

 

歌集に収められた歌は、日常の何気ない景色を平易な表現で描いている。いわゆる幻を見たりはしないが、単に眼の前の事物を見るに留まらず、五感を駆使して対象を捉えようとする感覚をどの歌からも感じる。そしてその感覚は、何を対象に読む場合も変わらない。言ってみれば、何を詠む際にもスタンスや方法論をいたずらに変化させないのが槇の方法論である。

 

槇弥生子と初めてお目にかかったのはいつだったか記憶にないが、かなり前から著書を送っていただいたり、「醍醐」の方が出された歌集の出版記念会にお呼びいただいたりした。亡くなる数年前からお会いすることはなかなかなかったが、縁あって2016(平成28)年3月6日(日)に中野サンプラザで開催された「槇弥生子さんを偲ぶ会」には受付スタッフとして参加させていただいた。穏やかかつ華やかな雰囲気の会で、故人にふさわしい印象の会だったことを思い出した。