眠るため昨夜よべ囲みてゐしYouTubeの焚火、顔なき二百万人と

鈴木加成太『うすがみの銀河』

 

YouTubeを覗くとたしかに焚火の映像がたくさん出てくる。なかには数時間に及んでただ焚火の燃える炎の様子をえんえんと収録したものもある。小さくぱちぱちと木の爆ぜる音や炎の色彩のゆらぎを繰り返し感じているとたしかに頭がぽかんと空っぽになって、すーすーとして気持ちいい。頭が空っぽになることで四方八方に分散し一日を踊りつづけた意識という意識が「焚火」というひとつのポジションに整っていく。鎮静である。ときおり炎の逆光を浴びた黒い手が薪を継ぎ足していくのもいいアクセントになっている。と書いていくとこれは一首鑑賞ではなく、焚火鑑賞になってしまうのでこの辺でやめておくが、焚火の映像のおかげで今なんだか落ち着いている。

この歌のポイントは「昨夜よべ」だと思う。初句「眠るため」のたっぷりとかつしずかな入りから「昨夜囲みてゐし」の八音へつながるときにリズムの乱れがある。助詞ありの八音ならその乱れもやがて収束するのだが、助詞抜きの八音はいっそう乱れて感じられる。その乱れはこの歌において結局は結句まで持ち直すことなくつづいていく。出だしで述べたような焚火による鎮静がこの一首のリズムからは感じられず、一瞬どういうことかと戸惑う。けれどこの歌は「昨夜」の歌である。「今まさに焚火の映像を見ている時間」からはすでに遠く隔たっている。焚火を見ているさなかには、頭は空っぽに近い状態となっているはずで「顔なき二百万人」という冷静な把握は空っぽの頭からは出てこない。焚火を見てゆっくりと眠りにつき、朝起きてまた意識が踊り出し、踊りつづけているなかでふと思い出した焚火の映像なのである。

時間を経て記憶の奥に小さくなった焚火を思うとき、はじめて二百万人の顔なき視聴者の気配が立ち上がる。この二百万は昨夜の同じタイミングで見ていた視聴者ということではなく、過去から現在までの累積の視聴回数から想起された人数だろう。昨夜からの時間の隔たりによって映像の焚火は小さくなり、そうなることで昨夜焚火を見ていた自身の姿も把握することができるようになる。昨夜の自身が過去に入ったのを今見届けたタイミングで、過去という一平面に集うおびただしい数の他者(そこには昨夜の自身も含まれている)も同時に見届けることができるようになったのだろう。「昨夜」というひと言が生み出したリズムの乱れは、この歌にとっては隔たりや俯瞰を獲得するためのに避けることのできない、また避けてはいけないものだったのだということが一首を読んだあとにじわじわと感じられてくるのである。

 

もう足のつかない深さまで夜は来ておりふうせんかずらの庭に