阿木津 英


『高嶺』の終刊

平成三十年第九十巻第一号をもって「高嶺」が終刊、その歴史を閉じた。「高嶺」は大結社というわけではなかったが、全国の数ある結社のなかでも芸術的な品格を保ったまれな雑誌であった。

終刊記念号の表紙絵は、創刊者早川幾忠の描いた「飛び立つ丹頂」。胸をいっぱいに膨らました力強い絵が、この終刊にあたっての会員たちのこころざしを伝える。

 

「高嶺」は、昭和三年、早川幾忠が金子薫園の「光」を脱して創刊したという。早川幾忠は歌だけではなく、名エッセイストすなわち文もつくり、書、絵、篆刻、そして琵琶も免許皆伝という多彩さで、いずれも〈素人〉を自称し、江國滋らに最後の文人と言われた。

戦後、昭和二十一年、幾忠を援けて「高嶺」復刊したのは久留米在住の二宮冬鳥である。
二十三年からは冬鳥が主宰を引き継いだ。冬鳥もまた歌のみならず、『坂本繁二郎画談』など美術批評をよくし、キリシタン灯籠の研究、刀剣鑑定などもよくした。

幾忠の「不断着の歌」精神は、青春時代に松倉米吉・高田浪吉らと交流、アララギの島木赤彦に「本所の連中」と可愛がられて指導を受けたそのころに発するものであろう。ふつうの日常のなかからふつうの飾らない言葉で、しかも歌として結実させるという、「高嶺」の根本精神となった。

久留米に発行所を置いて四十八年間、二宮冬鳥が主宰をつとめたが、九州歌壇にも裨益するところたいへん大きかった。冬鳥没後は、冬鳥をよく理解する大牟田の井上生二が受け継ぎ、さらに鎌倉の江島彦四郎が受け継いで、没後にこのたびの終刊となった。

 

個人的な思い出話をしよう。わたしが歌を作り始めて間もないころ、石田比呂志に連れられて四人ばかりで二宮冬鳥氏を訪問したことがある。書斎で話をうかがったが、不思議にその時のことはよく覚えている。書斎机をおいた後ろの壁には、熊谷守一の書「雨」がかかっていた。しずくをしたたらさんばかりの書であった。

早川幾忠のことなどだいぶ話をしたあとで、石田比呂志が「外連ということをどう思いますか」と冬鳥に思い切ったように尋ねたことを覚えている。また、冬鳥氏は初心のわたしに振り向いて、過去回想の助動詞「き」の連体形「し」の使い方について教授された。

それから、四国の二宮家の祖二宮敬作が養育した、シーボルトの娘イネの話をされた。産婦人科医になりたいと志望するイネを、広島かどこかのシーボルトに学んだ同僚の医者に託したところ、手籠めにされ妾か何かにされようとしたのに腹を立てて取り戻したとか。記憶はおぼろだが、そんな話をされた。イネは女性の自立の魁ということになるが、そんなイネを援助して産婦人科医として開業させたのだった。

訪問の帰りには、冬鳥の貴重な初期歌集を何冊も貸していただき、それがこののちの石田比呂志による冬鳥歌鑑賞の資料となった。

 

歌にならぬやうに歌にならぬやうにと作るうた一つの悲劇の如く思へど   二宮冬鳥

 

「歌にならぬやうに」作るのは、幾忠の「不断着の精神」の教えもあろうが、それだけではあるまい。

被爆直後の長崎を軍医として歩き、また敗戦を聞いて、これで歌は占領軍に差し止めになるかもしれない、茂吉は戦犯に問われるだろう、と思ったそのときの深い衝撃が潜むのだろう。二度と、歌の韻律に酔うような、あるいは酔わせるようなことがあってはならない、という意志が歌の底に沈む。

 

日本の家族制度をよしといふ義姉は結婚の経験のなし        渡辺貞子『山暦』
車より樹の間とほして燈の見ゆる家には本当の幸福ありや
触れ合ひて音たつしじみの汁すひて涙をおとす結婚はいや
                                
妊娠を告ぐる娘を椅子遠く汚れたるものの如く見てをり         森泰子『家』

糟糠の妻を捨てずといふ教え捨てられやすしといふことならむ  姉川素枝子『小寝集』

 

敗戦後、男女平等をうたう日本国憲法によって女性たちはみずからのうちに潜む嘆きを言葉にする自由を保証されたが、こんな歌が『高嶺』にあらわれていることも忘れたくない。主情的な大西民子・中城ふみ子の告白よりさらに普遍的理性的な視線をもつ、このようなうたい方も女性にはあったのだ。

以下は、終刊記念高嶺選集より。

 

だき枕だきて抱きたるままとなる事のあるべし足のせて寐る       姉川素枝子

戦力を自衛力といふが言ひ換への源なるを誰も言はざり          稲田正康

きれぎれに残る昨夜の夢のあとつなぎ合はせて夫をさがす        古嶋せい子

 

ことし九十七歳になるという鷲司法子の歌は、「十一・十二月号作品評」(古嶋せい子)より引用しよう。

 

急速に漢字忘れてゆく脳を枕にのすれば今日をはりゆく          鷲司法子

 

最後に、早川幾忠と二宮冬鳥と、この二人は日本歌壇が忘れてはならない歌人であることを記して、『高嶺』終刊のねぎらいとしたい。