田中槐


書肆侃侃房の存在感

徳島に暮らすようになって三年半が過ぎた。

東京まで飛行機で一時間、とはいえ、そうそう簡単に行き来できるわけではない。東京の便利さに慣れてしまった身に、地方暮らしの不便さはどんなものなのだろうと恐れていたのだが、いまやインターネットで様々なものが購入でき、Skype等で顔を見ながら会話ができる時代である。映画や美術展など、文化的なものへの不満は多いものの、いわゆる地方特有の不便さは、いろいろな形で補完されつつある。

徳島には、紀伊國屋書店がある。これはありがたい。どんなに簡単にAmazonで本が買えても、実店舗で本を眺めて購入する喜びは格別だ。新宿本店には及びもつかないが、それなりに専門書の棚もある。東京に暮らしていたときだって、徒歩でいける範囲にこれくらいの規模の本屋はなかった。わたしは、徳島の「都会」に住んでいるのだ。

 

徳島の紀伊國屋書店に通うようになって、驚いたことがある。

短歌の棚は四段の一棚なのだが、そのうちの二段ほどを書肆侃侃房の歌集が占めている。「新鋭短歌シリーズ」がずらっと並び、「現代歌人シリーズ」や「ユニヴェールシリーズ」、ムックの『たべるのがおそい』や『ねむらない樹』もそろっている。棚とは別に可動式の特設ラックで「短歌ムック創刊!! ねむらない樹 創刊記念フェア」なるものまで展開されている。俳句の棚は二棚もあるのに、そのほとんどが歳時記や入門書で句集はほとんどない(金子兜太本は面陳)に比べて、短歌の棚は異彩を放っている。

以前、書肆侃侃房の田島安江社長と話したときに、「売ってくれるという書店があったらどこへでも行く」というようなことをおっしゃっていた。フットワークの軽さが、ここ徳島でも発揮されているのだなあと眺めていたのだが、紀伊國屋徳島店で話を聞いたところ、店長の出身が福岡で、書肆侃侃房と旧知であったことから置かせてもらっているとのことだった。「この間田丸さんもおみえになって」と、地元徳島の歌人・田丸まひるの存在も把握していらした。この店長、なかなかやるなと、ふつうに扱っている短歌雑誌の種類を聞いたついでに、書肆侃侃房の話までなんやかやと聞いてしまった。

個人的なつながりがあるとはいえ、これだけひとつの出版社の出版物を展開できるのは、ある程度のニーズがあるからなのだろう。

書肆侃侃房の歌集は、比較的安価である。「新鋭短歌シリーズ」が1700円(本体価格)、「現代歌人シリーズ」や「ユニヴェールシリーズ」も2000円前後と、歌集の値段としては安い。初心者が最初に読んでみようと思ったら、いきなりハードカバーの高価な歌集よりも、手に取りやすいかもしれない。

 

それにしても、書肆侃侃房という九州の一出版社が、現代短歌においてこれほどの存在感を占めるようになると、誰が予想しただろうか。「新鋭短歌シリーズ」の第1期が発売されたのが2013年の5月である。現在は第4期で、これまでこのシリーズだけで45冊を数える。さらには「現代歌人シリーズ」「ユニヴェールシリーズ」と歌集シリーズの展開、ムック、「笹井宏之賞」と、この5年ほどの間に「書肆侃侃房」の現代短歌における存在感は高まるばかりだ。

新人が初めての歌集を出す方法のひとつとして、「新鋭短歌シリーズ」は画期的であった。ひとつは監修者がつくこと(現在は加藤治郎、東直子、大塚寅彦、江戸雪、石川美南、光森裕樹)、そして公募であること、出版費用や条件が明確である、ということなどがあげられるだろう。

監修者がつくことは、これが新人の第一歌集であることを考えると非常に有意義なことに思える。歌集出版のために必要なもろもろ(選歌だったり装丁だったり)を相談できるひとがいるということは、新人にとってどんなに心強いことか。

公募であることもユニークだ。歌集出版自体がひとつの賞への応募でもある。結社に属さず、どこかの新人賞を受賞したわけでもない新人が、歌集を出したいと思ったときに、このシリーズの存在は大きいだろう。

出版条件が明確なところもありがたい。これまで伝説のように、歌集出版には車一台が買えるくらいの費用がかかると言われてきた。車の値段と言われても、中古から外車まで値段の幅は広いが、だいたい150万円くらいというのが相場と教えられてきた。装丁を凝ったり、解説や栞を書いてもらったりするとそれ以外の出費が加わる。大御所に解説を頼むとン十万円なんて噂も聞いて震えたものだ。新鋭短歌シリーズは、企画編集料として20万円、自著を400部以上(著者8掛)で購入とあるから、あわせて75万円くらい。なんと、定説(伝説)の半分である。

こう書いていくと、新鋭短歌シリーズはいいことばかりのように見えてくるが、わたしにはずっとひっかかっていることがある。

それは、「現代歌人シリーズ」と「ユニヴェールシリーズ」との違いは何か、ということだ。「新鋭短歌シリーズ」は第一歌集で、「現代歌人シリーズ」は第二歌集以降かと思っていたら、フラワーしげるの『ビットとデシベル』や吉田隼人の『忘却のための試論』などは第一歌集である。さらに謎な「ユニヴェール」に至っては、サイトを見ても「ユニヴェールとは、短歌の壮大な宇宙」とあるだけで、「新鋭短歌シリーズ」や「現代歌人シリーズ」との線引きがまるでわからない。出版費用も、この二つについては公になっていない(たぶん)。

とはいえ、歌集出版における選択肢が増えたことはおおむねよいことだろう。75万円になったとしても、大きな金額であることに違いはない。前途有望な新人にとって、歌集出版は一大事である。どんなふうに自分をプロデュースしていくか、そこに「結社に入って、師匠や先輩の解説をもらって、好きな装丁で歌集を出す」以外の方法があることで掬われる層があることもたしかである。

シリーズならではのマイナス要素ももちろんある。次から次へと出版される「新鋭歌人シリーズ」は、個別の認識がされにくい。知っているひとばかりではないから、よほどの個性がないとシリーズの一冊としてしか把握ができなくなってくる。それでも、書店にシリーズとして並べられる利点のほうが大きいだろう。いつの時代も、良い歌集は、どんな出版形式であれ、きちんと歴史に残っていく。

書肆侃侃房は、昨年「笹井宏之賞」という新人賞を創設した。未発表短歌50首による選考で、歌集出版が副賞である。選考委員が比較的若いことも話題となったが、大賞の柴田葵「母の愛、僕のラブ」ほか、各選考委員の個人賞、大森静佳賞の谷川由里子「シー・ユー・レイター・また明日」、染野太朗賞の浪江まき子「刻々」、永井祐賞の阿波野巧也「凸凹」、野口あや子賞の八重樫拓也「墓を蹴る」、文月悠光賞:井村拓哉「揺れないピアス」というラインナップを見るにつけ、選考過程などが掲載される「ねむらない樹」2号が今から楽しみだ。

 

追記1:新人の第一歌集に特化したものとしては本阿弥書店の「ホンアミレーベル」がこれまでもあったが、こちらの出版条件などは残念ながらはっきりしない。最近だと服部真里子の『行け広野へと』がこのレーベルの11冊目だということで、まだ続いていることを知った。もっときちんと宣伝すればよいのに、とも思う。

追記2:副賞が歌集出版である賞としては「現代短歌」の「現代短歌社賞」がある。こちらは応募作が300首で、それを一冊の歌集として出版される。より完成度が求められる賞だが、新人の歌集出版への道は多彩になってきた。