場への信頼、など

5月12日
「歌壇」6月号が到着。
特集「短歌にタブーはあるか? 短歌の批評性とは」に寄稿している。この特集に関してはSNSを中心に意見が行き交っており、一部にはやや感情的なやりとりが見られた。
そのほとんどが特集を読まずに発せられた意見だったから、「頑張って書いたところで結局無料のものしか読まれないのだな」とちょっと寂しい思いをしたのだが、これは理性の結果なのだな、と考え直した。
雑誌の内容は興味ある人が雑誌で読むべきで、恣意的に切り取られた断片に準備なく触れてしまうことは、おかしな文脈を生み出しかねない。

少し話が遠回りするかもしれない。

「国境なき医師団」に月々わづかなる金おくりゐし妻をおもふも 小池光『サーベルと燕』

「国境なき医師団」ではないが、「ジャパンハート」という医療団体に月々わずかなる金をおくっている。2004年設立と、この手のなかでは若い団体であろうここを選んだのは、「援助を真に必要としている人は最後に訪れて最初にいなくなる。つまり、受診につながるのは最も遅く、(無償の医療行為が)有料となったらそれがどんなに少額でもそれを払えずに離れてしまう最初の人だ」というポリシーからだった。私はこれに共感している。

医療の深刻さとは比べるべくもないが、短歌もまた誰でもできる裾野の広さが使命でありジャンルの生命線でもある。間口は広ければ広い方がよいし、好きなところで好きな濃度で語ればいい。

だがしかしだがしかしだ。「価格が安い店の客は横柄である」という現象、これも現実として確かにないだろうか? 例えばSNSの居心地の悪さは招待制廃止、フリーメールによる登録の許可、アプリの普及など敷居が下がり利用者が増えるにつれて加速しているように思う。

他者の意見を、そこにある背景や本意に関わらず自らの文脈に引き寄せて拡散することに、SNSは非常に向いている。故意であるかはともかく結果として。
SNSは「つぶやき」のはずなのだが、時として拡声器にもなってしまう。

実は私は今回、部分的に切り取られてしまえば的外れな批判が起こる可能性がある作品を文中に引用した。私だけではなく、今回のセンシティブなテーマにはいくつかの扱いが難しい引用が見られたし、この「扱いが難しい」と腫れ物扱いする感覚自体を「短歌のタブー」であるとする稿もあった。

これは「歌壇」という雑誌と編集者とその読者とを信頼して「ここでならここまで書ける」と執筆者が踏み込んだということだろう。そしてその信頼は守られている。

ただし、これは今回に限ったことではなく、媒体によって書き方が変わるのは当然だろうと思う。
手書きで回覧されるものと印刷物として出回るもの、
印刷物であっても結社誌や同人誌のように限定的なものと広く流通するもの、
そしてどのような前提を持っているかわからない不特定多数の目に触れるインターネット。
媒体によって読者の想定は変わる。

固定メンバーによる対面歌会ではやや厳しく専門的な評も出るし、
結社誌は発表の場であると同時に実験や練習の場でもあるから、作品であっても文章であっても思い切って冒険していい(酷評されるかもしれないけれど)。
短歌の世界を「村」と揶揄をこめて(あるいは自嘲して)表現することがあるが、顔の見える小さな村であることは悪いことばかりではない。前提となる背景や知識を共有するからこそ先へ先へ深めていくこともできるだろう。
私はこの村がわりと好きだと思う。

なお、どんなに憎んでも結局息をするようにツイートをしてしまうので旧Twitterとは最後まで離れられない業を背負っていると、自覚している。


5月17日(土)
生憎の雨のなか「明星研究会」へ。
生活実感を大切にする結社に所属しているので忘れがちだが、その祖である窪田空穂のスタートは「明星」なのだった。
正直、普段は「明星」を意識することはほとんどない。しかし、根岸(アララギ)か新詩社(明星)か2つに1つを選べと言われたら私も「明星」なのかもしれない。

そのようなもやもやとした思いを抱いていたので、今まで存在を知っていても顔を出すきっかけがなかったのだが、いや、行ってみて本当によかった。

講演はたっぷり3本立てで、「明星」「スバル」で活躍した小説家で弁護士の平出修の紹介をお孫さんである中川滋さんが、山川登美子についての意外な解釈を古谷円さんが、石川啄木の晩年(といっても二十代だが)の思想についてを松村正直さんがそれぞれ語られた。どこかでまとめられる可能性があるので内容には触れないのだが、どれもひたすらワクワクした。
明治末期を駆け抜けた青春群像劇というのだろうか、大きく動く時代の流れのなかで文学という共通点によって良くも悪くも関わり合う才能たち。
今回はほぼ登場しなかったが、その中心にいたのが鉄幹であり晶子だったのだろう。2時間半を終えたときには大河ドラマを見終わったかのような充足感があった。
明星の人々に俄然興味がわいてきたのだった。


5月23日(金)
前日の急にして嬉しいお声掛けにより歌人飲み会。
おおらかに同世代ではあるものの同じ顔ぶれでは二度とないだろう不思議な組み合わせで和気藹々と過ごす。
翌日は京都・北上・北関東・明治神宮と散り散りに短歌イベントへ向かうため、常識的な時間で解散。まだまだ罹患の危険はあるものの、コロナ禍の自粛は本当に終わったのだな、と嬉しかった。

5月24日(土)
中根誠さんの詩歌文学館賞受賞をお祝いするため北上へ。
東北新幹線に乗るたびに思うけれど、帰り(上り)は空いているのに行き(下り)はとても混んでいて不思議だ。いつも次回はもっと早く予約を取ろうと思い、すぐ忘れてしまう。

詩歌文学館賞は現代詩・俳句・短歌の3部門あり、参加者約200名。大きなイベントだと思う。
贈賞式のあとは現代詩(小説)、短歌(小説)、俳句(短歌)、川柳と、複数のジャンルで活躍する若手作家によるシンポジウムが行われた。
授賞式などで俳句と合同というのは俳壇・歌壇賞や蛇笏・迢空賞などいくつかあるが、川柳や現代詩も交えて語り合うことはあまり見たことがなくとても新鮮だった。川柳の暮田真名さんが「十年後には川柳の賞もあるといいなと思います」と言い、会場に拍手が巻き起こった。
なんだか、清新な水を飲んだような気分で心地よく、よい午後を過ごした。

翌日はゆっくり起きて小一時間北上川を眺め、やはりなぜか空いている新幹線でうとうとしながら帰宅した。