濱松 哲朗


手前でなんとなく引っかかる

国立国会図書館の「個人向けデジタル化資料送信サービス」が5月19日より開始した[*1]。日本国内居住者のみという制限はあるが、国会図書館の利用者登録をしていれば手元のPCやタブレットなどからデジタル化済みの資料を閲覧できるという機能は、資料閲覧へのプロセスを簡便化し、アクセスを容易にしたという意味においてとても有意義であると言えよう。

徐々に緩和されつつあるとはいえ、国会図書館東京本館は相変わらず抽選予約制による入館制限を行っているし、仮に感染症の脅威が去ったところで、地方在住者が東京本館ないし関西館へそう頻繁に足を運べるわけでもないだろう。日取りを決めて出向き、必要な資料をまとめて閲覧をして、カウンターの受付終了時間に間に合うよう複写依頼をする、といった手順がデジタル化によって簡便化したことで、資料利用に際しての心理的ハードルもぐっと下がったのではないだろうか。

SNS上ではすでに、どれそれの資料が閲覧可能になった等の情報があちこちで提示されていたように思うが(ちなみに、流れてきた情報で個人的に一番驚いたのは『サルトル全集』である。何故か蔵書のない第12巻(『想像力の問題』を収める)とそもそも欠番の第4巻以外、36冊が読めてしまう)、近代以降の短歌に関する資料に限ってみても、閲覧が容易となったものが多く見られた。

たとえば「女人短歌」。1949年9月発行の創刊号から1997年12月発行の終刊号までのすべてが閲覧可能となったことは今後、戦後の短歌を振り返り再読する上で重要な意味を持つと思われる。折口信夫=釈迢空による「女人短歌序説」(「女人短歌」第2巻第4号・1950年12月)や、葛原妙子、森岡貞香などの歌人の活躍を通じて誌名は知っていたけれど、という人も多いのではないだろうか。

あるいは「アララギ」。こちらは初期の号に欠落があるが、1914年7月号(第7巻第6号)から終刊号である1997年12月号(第90巻第12号)までが閲覧できる。批判的ないし揶揄的にその名を口にしたことがある人の、一体どれだけの人が実際の「アララギ」を捲ったことがあるのだろうか。批判するにせよ評価するにせよ、やはり実物に触れることが大切であることは、改めて言うまでもないだろう。

ただ、これも当然のことではあるが、実物に触れることで何らかの「正解」や「真の歴史」が得られると考えてしまうのは、あまりに安直というか、それでは歴史を扱う上での罠にものの見事に嵌まってしまっているように見える。

ちょうど「アララギ」の話をしたので例を挙げると、敗戦後の復刊第一号である「アララギ」1945年9月号(第38巻第1号)の奥付には「昭和二十年八月二十五日印刷」「昭和二十年九月一日發行」とあり、それゆえに多くの事典類が9月復刊と記述している。だが、三枝昂之は『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店・2005年7月→角川ソフィア文庫・2012年3月)のなかで、実際には11月10日過ぎに発行されたものであると結論づけた。残された書簡の記録や当時の郵便事情等を照らし合わせることで浮かび上がってきた日付である。「歴史の時間をたぐり寄せようとする者は、自分の記憶を文学史年表などによって裏付ける。そこに事実と異なる時間が示されていれば、参考にした者によって歪んだ風景が描かれる」という三枝の指摘は重い。テキストや資料に対して複合的かつ複層的に向き合うことを、私たちは忘れてはいけないと思う。

一方で、「アララギ」1945年9月号が9月に発行された、という記述がどうして広く受け入れられてしまったのかという視点で、歴史化の作用それ自体を見直すことも必要になってくる。三枝は「あえて九月号と記したところに編集者土屋文明の鋭敏さと執念が現れている」と記しているが、文明にとっての1945年9月号の価値は、その後の歴史記述者やその記述を読んだ者にとってのそれとは若干異なっているように思われる。

はっきり言ってしまえば、誰も土屋文明その人ではないのだから、残された資料から読み解ける文明の心理というのはどこまでいっても推測の域を出ないものである。しかしそれでも、私たちはその人物の他の著作や別の人物による証言に基づいて推測し、書き留めようとする。だが同時に、私たちは自分自身において蓄積された認識のパターンに従って出来事や物事を把握してしまってもいる。「アララギ」という結社の規模や影響力あってのことだとか、土屋文明だから(?)とか、多くの場合さまざまな理由を付けては自分自身を納得させてしまう。これ以上考えなくて済むようにするために、実際の出来事との微妙なずれを無視したまま、区切りをつけてしまう。

歴史化、という行為自体が抱え込んだこうした曖昧さは、検索による一点突破で「アララギ」1945年9月号に行き着いてしまった場合には恐らく見えてこないだろう。もっとも、同号をよく読めば「十九年十二月號を二十年三月になつて發送した後、本號に至るまで休刊の止むなきにいたつた」「さうしてゐる中に四月十三日の空襲で印刷所東京證券が全燒し、印刷の出來上つてゐた一月號は燒失してしまつた」と文明自身が刊行の遅れについて説明しており、「本號の後、本年度分としては一、二册しか刊行出來ないかもしれないが」という含みのある書き方からも遅配や遅刊はなんとなく察しがつく(なんとなく、で歴史を書いてはいけないが、なんとなく引っかかる、というのは問いを立てる上では重要なファクターになり得る)。

そういえば、電子辞書が出始めた頃、画面上で分からない単語の意味ばかりを調べて安心してしまうのではなく、なるべく紙の辞書を引いて周辺に載っているであろう派生語にまで目に入れておくことが大切であるという話を学校の先生から聞かされた。関連語の記述まで読んでしまえば紙も電子も同じではないかと当時は考えたものだが、パッと開いた紙の上にこちらの意識の想定を超えたものが存在していることに意味があるのだと今は思う。「点」がいかなる「線」や「面」の上に存在するのか、あるいは存在し得るのかについて、私たちはときに利便性を言い訳にして考えるのをやめてしまう。やめてしまったという事態すらを忘れるほどに。あるいはそれは、曖昧さから逃れるための方便であるのかもしれないが。

 

 

ところで、そもそも近代以降の短歌に関する資料が国会図書館の蔵書だけで賄い切れるかというと、そういうわけでは決してない。たとえば「アララギ」と同様に「多磨」も1945年9月号を名乗る号を有するが、この号は国会図書館に所蔵がない。国会図書館の「多磨」蔵書は1944年12月号の次は1947年7月号にまで飛ぶ(一応、プランゲ文庫のマイクロフィルムには1945年11月号以降が含まれているが、それでも欠号はある)。以前、中西亮太が「「多磨」一九四五年九月号が短歌雑誌の戦後第一号である」(「Tri別冊 とりどり」2019年11月)というそのままの題の評論に書いていたが、この号は日本現代詩歌文学館や神奈川近代文学館に収蔵されている。これらの文学館の蔵書は、残念ながら国会図書館の検索では引っかからないため、個別に検索する必要がある。

今回の個人送信開始により、「女人短歌」や「アララギ」以外にも、終刊したものであれば「潮汐」等、刊行継続中のものであれば「心の花」「国民文学」「橄欖」「新墾」「歌と観照」「ポトナム」「やまなみ」「沃野」等の結社誌が、総合誌では「短歌現代」が、2000年12月号までのアーカイブが閲覧可能となった。時期を区切っていえば、改造社時代の「短歌研究」も見ることができる。白玉書房や新星書房、短歌新聞社といった出版社名で検索をかければ、いわゆる通史的な短歌史の記述の中では顧みられることの少ない歌集を再発見することも可能だろう。

最初こそそれは、未知の領域に足を踏み出すような読書体験であるかもしれない。しかし、「点」から何らかの「線」を引こうと思った時、つまり歴史と向き合った時、押し寄せてくるのは「線」を引けるだけの何かが圧倒的に不足している、という事実である。これだけ一挙に資料アクセスが可能になったというのに、不足とは何だ、と言う人もいるかもしれないが、これはアーカイブが思考の前提条件となっている時点で運命づけられた不足である。

歴史の長い結社であっても「創作」「詩歌」「潮音」「水甕」「短歌人」「まひる野」等、蔵書はあるが現状では個人送信に対応していない歌誌も多い。更に結社誌・同人誌の数というのは常に変動するために把握が困難である上、謹呈や納本によって認知されなければそもそも統計に含まれないという問題もある。所蔵の無いものはいくら検索したところでヒットしないのだ。

一例を挙げると、筆者は坂田博義(1937-61)という「塔」の最初期に活躍した歌人の作品が好きで、かつて長めの評論を書いたことがあったが、それが可能だったのは「塔」のバックナンバーを当時開設されたばかりの結社の事務所で閲覧・コピーすることができたからだ。若くして亡くなった彼の作品は幸運にも周囲の者たちによって手厚く纏められていたのである。しかし、坂田は「塔」に入る以前から「辛夷」で歌を作っており、「坂田博義作品集」(「塔」1962年2・3月合併号)によると残された歌の「辛夷」が初出である。没後に誌上で纏められた「作品集」やそれを底本とする『坂田博義歌集』(塔発行所・1974年)に収められた最初期の作品群は、野原水嶺が当時の誌面から書き写したものが、更に高安国世の選を経て掲載されたものである。では「辛夷」の初出を見てみようではないかと思っても、残念ながら該当する号はどうも帯広市図書館の郷土資料にしか揃っていない。

人物や作品など、ある「点」の歴史を追うために同時代的な「何か」を見出そうと思っても、そもそも目の前の検索から抽出される「同時代」が限定的であるということを、忘れずにいたい。

ならば、あらゆる文学館から市区町村図書館の郷土資料に至るすべてを網羅した検索システムを構築すれば良いではないか、と言うかもしれない。膨大な予算と労力をかければ実現不可能ではない構想であるかもしれないが、それでも非現実的な感は否めない。そもそも歴史記述の手段として既存のアーカイブに対し「すべて」を求めようとする時点で、前提がおかしいように思ってしまう。歴史を記述し蓄積することは、言い換えるならその営みのなかであるものを選出し、またあるものを忘却する行為である。完全なるアーカイブなどという夢想はそれこそ、常に変動し続ける現世そのものをその都度コピーし続けない限り実現し得ないものだろう。

では何故、取りこぼしや無意識の忘却といった危険な可能性を有したままで、人は歴史を語ろうとすることをやめないのか。

それは、歴史化という認識それ自体が、連綿と続く出来事や物事に区切りをつけていく行為であるからだと筆者は思う。仮に自分史のようなものであっても、語られる対象は常に何らかの「他者」化の視点に晒されている。出来事や物事といった「点」同士を繋ぐものは何であるのか、そこにはいかなる力学が働いているのかを注視するためには、多角的かつ巨視的な視点を常に自分自身に課さねばならないだろうし、あるいは自分では気づけていない観点の存在についても常に意識しておく必要があるだろう。歴史記述は今後、検索によって取りこぼされるものこそを書き留めていかなければならなくなるかもしれない。

だからこそ、短歌の評論において、歴史の記述が自分事の論理に終始したものを見かけると、非常にもやもやする。これは杞憂であって欲しいのだが、個人送信可能な資料の範囲内で言及が完結してしまった評論や論考が増えてしまう可能性というのを、筆者はどうにも思わずにはいられない。たとえば口語短歌について調べる過程で「詩歌」の口語自由律に行き着くことはあり得るだろうが、当時の自由律を口語というテクスト上の技法の観点のみから記述してしまっては論として不十分だろう。その「点」は決して一本の線の上にあるわけではないからだ。精神論を云々するつもりは無いが、達者な文をいくら書き連ねたところで、それでは歴史を書いたことにはならない。「歴史を書く」という不可能性が、開き直りの材料となってしまっては困ると、自戒を込めつつ思うのである。

 

 

年表化されたものと実際の出来事との乖離というのは、なにも数十年前の資料ばかりで起きる問題でもない。現在活躍中の作家においても、作品の初出と歌集の発行年との開きというのはうっかり見落とされる最たるものであるように思う。

たとえば現代歌人協会賞の受賞歌集の一覧で、川野芽生『Lilith』(書肆侃侃房・2020年9月)の翌年に平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』(本阿弥書店・2021年4月)が続くのを見ると、十数年しかないはずの筆者自身の短歌の実体験や記憶との明らかな誤差が生じている事実に、やはり驚いてしまう。

 

熱砂のなかにボタンを拾う アンコールがあればあなたは二度生きられる
(平岡直子「アンコールがあればあなたは二度生きられる」「率」創刊号・2012年5月)

 

網棚に載せれば視界より消える そのままいつかわすれる荷物
(川野芽生「凌霄花」「本郷短歌」創刊号・2012年3月)

 

つい先ごろ発表号が出た短歌研究新人賞についても、受賞者であるショージサキは「うたつかい」で「秘密基地女子おろろん日誌」(第11号・2012年10月~第37号・2021年9月)という連載を長く持っていたこともあり、2010年代にSNS経由で短歌を作っていた人にとってはある程度馴染みの作者だったように思う。

 

マニキュアも進化してるしもう爪で呼吸せずとも落ち着けるでしょ
(ショージサキ「ポルカドット」「うたつかい」第11号・2012年10月)

 

無論、本の出版や受賞とは見方を変えれば出版や新人賞を通じて読者と作者とを繋ぐものであるから、出会いの機会というのはいつでも生じ得るものであるし、そうした働き自体を否定するつもりは毛頭無い。だが同時に、筆者のこの体感は、同時代に近い場を行き交っていたからこその替え難いものでもある。替え難さゆえにあちこちに引っかかるからこそ、こうしてある歌人が新人賞受賞によって「歌壇」に「発見」され、その「点」がスタート地点として歴史化されてしまうことに、妙な違和感がつきまとう。同じ結社の人の活躍を応援したくなる気持ちというのも、恐らくはこういう感情に由来するものなのだろうと今更ながら思い知った。その感覚が他人からすれば「点」以前を知る者の奢りのように見えるものだと知っていても。

もっとも、たとえば『Lilith』という一冊は、歌集にしてはめずらしく「初出一覧」を設けているので、学生短歌会の機関誌である「本郷短歌」からネットプリントである「半人半馬」に至るまで多岐にわたる発表媒体がそのまま、作家の歩んできた道として読者にも見えてくる。

放っておくと、いろんなものがどんどん見えなくなっていってしまうような気がする。朧気になったものを別の何かが補い始め、テセウスの船のごとく置き換えられてしまうのではないかと怖くなる一方、変化に身を委ねて楽をしたいと思う自分もどこかにいる。逆説的ではあるが、自分が見ていたものと他の誰かが見ていたものが、同じはずなのにどうも話が噛み合わないと感じたその時こそ、歴史と向き合う絶好のタイミングなのではないか。考え続け、思い出し続け、書き続けることを、やめてしまわないためにも。私たちの感じた小さな「何か」が、ある日誰かが歴史を語る際の役に立つかもしれないのだから。

 

 

[*1]国立国会図書館ホームページ「2022年5月19日 「個人向けデジタル化資料送信サービス」の開始について(付・プレスリリース)