いまから20年ほど前のこと。『短歌ヴァーサス』第6号(2004.12)には「ネット短歌はだめなのか?」という特集が掲載されました。私は当時小学生だったので、特集当時の感想や雰囲気などは知りません。しかし国会図書館でアーカイブをめくると、当時の掲示板歌会やメーリングリスト歌会の盛り上がりと、誌面中心の歌壇との緊張関係を垣間見ることができます。
この特集自体は、インターネット上で展開されている短歌の活動を分析し、その可能性と問題点を探る優れたものでした。特集前年の2003年には題詠マラソン(※1)が初開催され、ネット上の短歌の世界は活況を見せていました。同時にネット短歌は96年ごろから始まったものでもあり、当時はネット短歌が固有の歴史を持ちはじめた時期でもあります。
これに先立つ歌壇での動きとしては、角川『短歌』が2002年2月号に座談会「インターネットは短歌を変えるか」、2003年8月号に特集「今どきの短歌」があります。また『歌壇』では2003年2月号から2004年2月号まで断続的にインターネット短歌に関する文章を掲載しています。これらの特集では、思いのほか「インターネット」というものが新しいメディアのひとつに過ぎないことが冷静に語られています。
当時「ネット短歌」という言葉とともに語られていた作品を少し見てみましょう。
「言葉にはできない」という言葉ならジョーカーのようにつかいまくって
-枡野浩一『ますの』(1999)折り重なって眠ってるのかと思ったら祈っているのみんながみんな
-飯田有子『林檎貫通式』(2001)死んだ海 わたしが揺らす目薬の わたしも死んだ海なのだろう
-兵庫ユカ『七月の心臓』(2006)
飯田と兵庫の歌集はオンデマンド出版サービス「歌葉」から出版されています。いまここで私が任意に抜き出した作品からひとつの傾向を語ることはできません。共通項があるとすれば、見た目が口語で、作者が「若者」であったことですが、それを「ネット短歌」に還元して語るのは間違っています。
とはいえ、これらの文体には見覚えがあります。飯田の歌のセリフ調と倒置、兵庫の歌の初句切れ+言いさし+下句という構造は、その後の口語短歌で典型的に見かける手法となりました。従って、よりマクロな視点をとるならば、「ネット短歌」とその周辺は、口語短歌の「構文」が開発される最先端の環境であったのではないか。そのような歴史の語りを提案することもできます。
翻って、「短歌ブーム」と呼ばれる現象はどうでしょう。短歌ブームはどのように語られているのか。そこで引用される短歌はどれか。マクロな視点からはどのような意義を見いだすことができるのか。いま問いを3つ挙げました。しかしながら、2024年9月現在で最後の問いに答えを出すことはできません。
それでは、短歌ブームがどのように語られているのか、から見ていきましょう。『短歌研究』に特集「短歌ブーム」が掲載されたのは2022年8月号でのことでした。この特集で注目すべきはナナロク社の村井光男社長インタビュー、それから土井礼一郎の評論「短歌ブームがおしかけてくる」の2つです。
前者ではナナロク社から刊行されている歌集の部数が包み隠さず語られており、ナナロク社の本を手に取る読者の規模感が伝わってきます。例えば、岡野大嗣・木下龍也の共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(2017)は刊行2ヶ月で3刷累計1万部、2022年時点で8刷累計1万7000部となっていること。一般的に個人歌集の部数は300部から500部であったことを鑑みると大きな数字ですが、『サラダ記念日』の280万部には遠く及びません。
後者、土井礼一郎による評論では、1987年のサラダ現象に注目したのち、穂村弘の「サブカルとしての短歌」(『本:読書人の雑誌』2015年7月号)と瀬戸夏子の「人がたくさんいるということ」(『文學界』2022年5月号)が比較されています。穂村が粗描した何らかの動きを、瀬戸の文章では具体名を挙げながら描かれている。土井はこのような見方を示しています。私が注目したいのは内容よりも時期の方で、土井の見立てが正しければ、いま「短歌ブーム」と呼ばれる現象は2015年ごろからはじまった歴史のあるものということになりましょう。短歌の変化は一朝一夕に成るものではありません。ブームと呼ぶにはあまりに長いため、この現象を「短歌ブーム」という名前で呼ぶのはいかがなものか。そういう意味で「短歌ブームはだめなのか?」という問いには「2024年にもなってそのように呼ぶあなたはダメだ」と答えておきましょう。とはいえ、より適切な名称が見当たらないのが困ったところです。
ところで2022年には、角川『短歌』でも「短歌ブーム」に関連する文章が掲載されています。『短歌』7月号の時評では鈴木加成太が「短歌の流行と資本主義」を書き、『短歌』8月号には特別座談会「流行る歌、残る歌」が掲載されました。これらの記録からは、2022年を境にテレビなどでの短歌特集が増えたことがわかります。
鈴木加成太の時評は「短歌ブーム」への危機感に貫かれたものでした。彼は次のように語ります。
商品化された短歌の、誌上での人気が急騰するにつれ、短歌の価値を判断する上で売上数や支持者数はますます無視できなくなってくる。また、市場が広がればその分多くの書き手が生まれるようになり、作品や情報は量を増やす。しかし、その作品そのものの純粋な価値を保証してきた従来の権威の側が不安定であるために、書き手たちは、確かな作品そのものの価値を量りあぐねている。「市場での人気」と「権威を有する制度」との距離の取り方もつかめないまま、それでも書くことの意味を見つけ出すための個別な苦闘を、一部の聡明な書き手たちはすでに始めているのだろう。
-鈴木加成太「短歌の流行と資本主義」『短歌』2022年7月号
ここでのキーワードは、「商品化された短歌」と「作品そのものの純粋な価値」の二つでしょう。それにしても「純粋な価値」とは! 素朴なのも大概にしてほしいものです。昨今の現状を、短歌と資本主義が結びついた状態だ、と語るのはしばしば見られる光景です。けれども、この認識は短歌史を顧みると正しいとは言えません。
短歌は、あるいは近代短歌は、定型が出版資本主義(アンダーソン)と結びつくことによって初めて成立しました。短歌と資本主義は切っても切れない関係にあります。それは明治20年代以来、130年ほど続いています。変わったのは結びつきのあり方です。
そもそも歌壇というものは誌面共同体を中核としています。会って話すことのできる人たちだけでなく、雑誌や新聞を通して名前を見て、文通をして、この人の短歌はいいなぁと思ったり、この人の短歌はけしからんと思ったりする。そういった関係性を誌面共同体と呼びましょう。雑誌や新聞は、編集してそれを印刷して、それを流通させて、それを買う人がいなければ成立しません。新聞、雑誌に、インターネットを介したパソコン通信や、メールリングリスト、掲示板、SNSなど基盤となる“媒介するもの“のあり方は時代とともに変遷し、あるいは多様化しましたが、資本主義がメディアという基盤を支え、メディアを通して共同体が成立することには変化がありません。誌面共同体における権威は市場での人気と一部は重なりつつ、独自の動きを見せることもあります。鈴木の語る「権威を有する制度」は決して「市場での人気」と対立するものではなく、むしろ出版資本主義という市場原理の中に組み込まれているものとして考えなくてはなりません。
近年「短歌ブーム」と呼ばれている現象は、一方にその共同体が拡大していることがあり、他方には、資本主義との関係をどのように結び直していくかという問題があります。
ここで、昭和後期における短歌と出版資本主義の関係をおさらいしておきましょう。具体的には戦後です。歌人はお金を払って短歌の総合紙を買っています。歌人は少しだけお金をもらって短歌の総合紙に作品や文章を寄稿します。また歌人はたくさんのお金を払って歌集や評論集を短歌専門の出版社から自費出版し、ほかの歌人に謹呈します。若手の歌人はお金を払って歌集を買います。
歌人はお金を払い続けていて、短歌の出版社を動かし続けています。しかしながら、短歌を愛好する共同体の規模が小さいために、従って経済規模が小さいために、短歌の出版社にはお金(資本)が蓄積されず、歌人の払ったお金はどこかへ流れてゆきます。そうしながら少数の出版社を維持し続けてきたのが、かつての短歌の世界でした。
ところがいつの間にか、短歌の共同体は少しずつ大きくなってきました。1970年代のカルチャーセンターブームにおいては、短歌教室が開設され、歌人は講師として多少の収入をもらうようになりました。当時の時評には「短歌の大衆化」というフレーズを見つけることができます。80年代には少数ながら若手歌人の歌集について企画出版が行われるようになりました。1990年代の末には、地方自治体が短歌を地域起こしのひとつの材料として使うようになり、歌人は選者として多少の収入をもらうようになりました。新聞歌壇の選者の報酬がどのように変遷していったのかも気になります。2000年代には、インターネットを通じて形成された短歌の共同体を購読者層として、風媒社から雑誌『短歌ヴァーサス』が出版されました。
その後も共同体の拡大は続き、2010年代には歌集の出版事業にいくつかの企業が新規参入しています。具体的には、書肆侃侃房、左右社、ナナロク社の3社です。謹呈文化圏の外にいる人は誰でもお金を払って歌集を買う必要があります。かつては、ほとんど若手歌人だけが本屋で短歌を買う人でした。それ以外の人が本屋で短歌を買うようになったことが、企業の新規参入の背景にあります。
このまま順調に共同体が拡大していけば、やがて人気のある歌人は出版資本主義に生活を支えてもらい、人気のない歌人は消費者として出版社資本主義を支える構造が成立し、歌人が小説家のような地位を得ることができるかもしれません。いや、そうなってもらわないと困ります。短歌評論の原稿料の相場は文字単価2円弱くらいなので……。
ここまでくると、もはや「短歌ブームはだめなのか?」という問い自体が不適切です。「短歌ブーム」は良いとかダメとかそういう次元の問題ではなく、50年ほどかけて進展してきた現象が加速したものなのですから。
では、「短歌ブーム」を語る中で引用される短歌はどのようなものか。『歌壇』2023年12月号の年間時評において、大井学は次のように書いています。
こうした状況をあえて「ムーブメント」と記載するのだが、このムーブメントに、何か中心があるわけではないだろう。牽引役となっている歌人を挙げれば、木下龍也、岡野大嗣、千種創一、岡本真帆、上坂あゆ美等々の名が連なるだろう。けれどそこに何らかの主張や歌論的な主軸があるわけではない。むしろ各々が信じる方法によって作歌している状況が現在を表現していると言えるだろう。
-大井学「2023年の短歌界」『歌壇』2023年12月号
大井学は木下と岡野以下合計5人の名を挙げています。ここに伊藤紺を加えることもできるでしょう。問題は、ここに挙げた数人の作品がなかなか引用されないことです。名前は挙げられても作品が引用されなければ、歌壇という制度の中でその歌人はなかなか認められません。
それでは、いくつか作品を引きましょう。
詩の神に所在を問えばねむそうに答えるAll around you
生きてみることが答えになるような問いを抱えて生きていこうね
詩はすべて「さみしい」という4文字のバリエーションに過ぎない、けれど
-木下龍也『オールアラウンドユー』(2022)
木下龍也の最新歌集から引きました。木下のアカウントをフォローして通知を入れているために気づいたのですが、2首目と3首目はTwitter(現X)でしばしば木下自身のアカウントで画像ツイートされており、1000ほど「いいね」を集めたのち、しばらくするとツイートが消されます。
さて木下自身は、穂村弘と吉川宏志の二人を出発点としていることを語ります。しかしながら、私は木下が谷川俊太郎を意識していることを、もう少し重く捉えたいと考えています。谷川といえば、現代詩におけるライトヴァースの代表的な作者です。木下の作風を見ても彼が軽みを帯びた詩歌を志向しているのは疑いようがありません。
類似する方向性の作者として、歌人には枡野浩一がいます。簡単な言葉で読者を感嘆させる「かんたん短歌」の提唱者です。つまり、木下本人は「ダブルひろし。メジャーと王道。穂村さんからは想像世界へのまなざし、吉川さんからは現実世界へのまなざしを学んだ」と語っているものの、実際にはマスノ短歌の系譜ではないか。並べて引いてみます。
塩酸をうすめたものが希塩酸ならば希望はうすめた望み
-枡野浩一『ますの。』(1999)どんな色でも受け入れるために死はこれまでもこれからも漆黒
-木下龍也『オールアラウンドユー』(2022)
どちらも世界の理不尽に注目したものです。語彙レベルでのフェティシズムは両者にかなり差がありますが、理不尽な世界に対する乾いた笑みを浮かべた主体像の構築や、短歌連作ではなく一首屹立での鑑賞を望んでいることは両者に共通しています。はたして「短歌ブーム」周辺の作品は、ゼロ年代短歌の再演に過ぎないのか。
木下龍也が枡野浩一に似ているように、伊藤紺は加藤千恵に似ています。加藤千恵は枡野浩一が歌集出版をプロデュースした歌人で、現在は小説家として知られています。再び並べて引いてみます。
合格を祈願している場合じゃないだってあたしは恋をしたのだ
-加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』(2001)ぱくっ、/と肩を食べてみる/かなしみがいちばんはやく伝わるのは歯
-伊藤紺『肌に流れる透明な気持ち』(2019=2022)(/は改行)
どちらの歌でも恋愛をしている若い娘の感情が詠まれています。歌集はどちらもレイアウトが凝っていて、一首の一部分の字の大きさと書体が変化していたり、短歌自体が湾曲していることもあります。また連作をほとんど意識させない構成になっている点も共通しています。
枡野浩一と加藤千恵はどちらも歌集においては異例の売り上げを達成し、歌壇からはほとんど無視されてきました。木下龍也と伊藤紺も歌集においては異例の売り上げを達成しつつあり、また歌壇からはほとんど無視されています。この4人の短歌は語り甲斐が少なくて私はあまり好きではありません。歌集(本)というメディア形式がもつメッセージとこの4人の短歌の試みが相剋しているからです。似たような短歌が20年前と同じように売れているだけだとしたら、なんとつまらないことでしょう。やはり短歌ブームはだめなのか?
私は、「短歌ブーム」はダメでない方に賭けたいと思っています。先に挙げた4人はいずれも一首屹立型の鑑賞を要請していました。しかしながら、大井が短歌ブームを牽引する歌人として他に名前を挙げている岡野大嗣、岡本真帆、上坂あゆ美、千種創一は連作単位での鑑賞を前提とした歌集構成を手放していません。
また書籍という形式が発生させるメディアの磁場を利用した好例としては、左右社から刊行されている2冊のアンソロジー『海のうた』(2024)および『月のうた』(2024)を挙げることができます。両アンソロジーはテーマのある百人一首とも呼ぶべきもので、ここ20年ほどで愛誦されるようになった短歌や、ある程度の人気を得た歌人から作品が採録されています。
収録歌をすこしのぞいてみましょう。
海に来てわれは驚くなぜかくも大量の水ここに在るかと/奥村晃作 p.72
ブルーシートを広げるような静けさで僕の胸から海はあふれた/永井亘 p.73
-『海のうた』(2024)月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい/井上法子 p.54
窓から窓へ月が配給されてゆく 氷を舐めてそれを見てゐる/睦月都 p.55
-『月のうた』(2024)
それぞれ同じ見開きにある歌を引きました。どの歌にも初出の歌集はありますが、ここでは同じ見開きに並べられていることの方が重要です。歌集において、一首一首のテクストは独立しつつも、集積されることでコンテクスト、つまり文脈が発生します。『海のうた』の見開きにおいては、奥村晃作の「大量の水」と永井亘の「あふれた」が呼応しています。『月のうた』の見開きにおいては、井上法子と睦月都の歌に上句で手触りのある月光のイメージが示されたのち、下句で水のモチーフに繋げられる構造が共通しています。共通することで両者の幻想は互いに支え合い、月の幻想性を高める気がしてなりません。
二冊のアンソロジーはここ20年で刊行されてきた歌集の蓄積をとても贅沢に利用しており、なおかつ収録された各歌人の個人歌集を手に取るための入口としても機能しています。これが「短歌ブーム」の成果なのだとしたら、「短歌ブーム」はより多くの読者を獲得したいと望む野心的な歌人にとっては嬉しい状況と言って差し支えないでしょう。
ところで、「短歌ブーム」は短歌が歌集以外の場所で鑑賞される状況も生み出しています。具体的には広告です。広告と短歌については、事例の少ないために総括して良いかダメかの判断はまだできません。
この場面において、注目すべきポイントは、短歌それ自体が商品となっていることではなく、短歌が商品を媒介するものとなっていることです。私たちが短歌を買うのではなく、短歌が私たちに買わせる。この逆転現象が、広告の場において生じています。この状態にある短歌を、“手段としての短歌”と呼ぶことにしましょう。手段としての短歌は近年突如として発生したわけではありません。
かつて与謝野晶子はカルピスの広告のために短歌を二首詠んでいます。また百選会と呼ばれる高島屋の催事に関与し、ここでも広告としての短歌を詠んでいます(※2)。当時の晶子は大御所の歌人で、2024年現在の感覚では、俵万智がルミネとコラボするようなものです。しかし、実際にルミネの広告に使われたのは伊藤紺、くどうれいんでした。カルピスの広告には木下龍也、ホンダN-BOXの広告には岡本真帆が起用されています。“手段としての短歌”は同時期に多発してきます。
岡本真帆のホンダN-BOX広告は、4種類のN-BOXに関してそれぞれ5首連作を制作するという形式がとられています。他の短歌広告は短歌一首だけを利用しているため、現時点では特殊な例ですが、短歌の世界では連作が鑑賞の基本単位となっていることを鑑みると、伝統的な鑑賞方法を短歌外にも輸出した記念すべき例として分析したくなります。
制作されたのは以下のような歌です。
秘密基地まで/駆け抜けたあの夏と/秘密基地ごと進むこの道
犬に犬の寝言があれば/あるような気がしてしまう/愛車のねごと
-岡本真帆「Nのいる風景:第二章 遊ぶ夏」webサイト「Honda Art Garage」(/は改行)
一首目は、機能的であるという車種のコンセプトを反映したもので、そのまま車のCMで読み上げられても違和感のない作品です。二首目は犬好きである作者の自我が見えつつ、自分の所有する車への感情として共感されやすいポイントを突いています。車の広告と関係ない文脈で見かけたとしても、私は秀歌として二首目を手元の短歌ノートに控えておくでしょう。
とはいえ、私は連作「Nのいる風景」の一番良いところを引いたつもりです。他の連作にはそこまで魅力を感じませんでした。他の3連作では主体が仮構されています。若い小説家が老人の心境を書いたとて、若い小説家の書いた文章を嘘だと思ってしまう事はあまりないのに、短歌だとどうして、ここには嘘が書かれているという意識が働くのか。カレー味の唐揚げをサラダにする位の、歌を良くするための小さな嘘なら許されるのに。
そして私が最も気になっているのは、岡本がこの企業案件連作を歌集に入れるのか否かです。第二章を歌集から落とすのはもったいないが、他の連作は歌集が出現させるひとつの主体像と相克してしまいます。ちなみに与謝野晶子は広告として詠んだ歌を歌集に入れませんでした。理由はわかりません。ただ、高島屋の百選会に際して詠まれた歌を見ると(※3)、歌集に収録するほどの水準に達していなかったのだろうという推量は働きます。
歌人は、自覚の有無にかかわらず商業資本主義の力学に晒されながら作品や評論を書いています。それを認識するところからしか、現在の「短歌ブーム」を語るための言葉を生み出すことはできません。マクロな視点から「短歌ブーム」にどのような意義を見いだすことができるのかを語るには、今しばらくの時間が必要なようです。
※1 題詠マラソン2003のアーカイブはこちらのリンクから閲覧することができます。
※2 詳しくは松村由利子による『ジャーナリスト与謝野晶子』(2022)を参照ください。
※3 高島屋資料館編『与謝野晶子と百選会:作品と資料』(2015)参照のこと。国立国会図書館ほかいくつかの公立図書館に収録されています。