短歌の神様はどこにいるのか

昨年2023年の年末には、相次いで短歌入門書が3冊出版されました。榊原紘『推し短歌入門』が11月10日、平岡直子・我妻俊樹共著『起きられない朝のための短歌入門』が11月13日、ほぼ同時刊行の感があります。少し遅れて12月20日には笹公人『シン・短歌入門』も出版されます。3冊とも刊行間もなく重版出来とのことです。すごい(以下、『推し』、『起き』、『シン』)。
こうも一度に出版されると、つい比較したくなります。そういうわけでそれぞれの本について、どの歌人を何首引いているか数えてみました。冒頭や巻末の自作掲載部分を除き、本文中に引用されているものだけ扱います。引用歌総数とベスト3は以下の通り。比較対象として穂村弘『短歌という爆弾』(小学館, 2000)も加えてみました(以下『爆弾』)。手動で数えたので間違いがあるかも知れません。参考程度に見てもらえればと思います。
『推し短』は自作をもとに短歌の技術を解説する関係で、榊原の歌が4分の1程度含まれています。第三部収録の「イメ短歌」の項目は特におもしろく読みました。
『起き短』は意外なことに穂村弘が上位に登場しませんでした。佐藤佐太郎が10首も引用されているのは、平岡直子がコラムとして佐藤佐太郎一首評を収録しているためです。コラムに8首、対話部分で2首の引用でした。対話篇というのは気楽でいいですね。ラジオやTwitterのスペースなどを聴く感覚ですらすら読めてしまいます(※1)。
『シン短』は『推し短』同様に、他の歌人の短歌の作り方を解説し、関連する自作を引く形式で書かれている部分が多いため、おのずと自作の割合が増えます。ただし『推し短』とは対照的にベテランの歌人が多く引かれています。技術解説と同じくらい現代短歌のトップランナーを紹介することを意識しているようにも見えます。

さて、このままでもなんとなく引用歌の傾向はわかりますが、もう少しデータを加工します。どの時代の歌人がどの程度引かれているのかに興味があるからです。
目的のグラフを得るためには、短歌史の時代区分を設けて、歌人を登場時期に合わせて時代に紐づける必要があります。時代区分は以下の通りざっくり12の時期に設定しました。

①明治末:短歌革新運動、和歌から短歌へ
②大正:自然主義以降、近代短歌の中心時期
③昭和戦前:新興短歌運動から戦争へ
④終戦直後:人民短歌と戦後派
⑤50年代:前衛短歌前半
⑥60年代:前衛短歌後半と学生運動の時期
⑦70年代:土俗論や微視的観念の小世界
⑧80年代:フェミニズム、口語短歌の増加
⑨90年代:近代の終わりとニューウェーブ
⑩ゼロ年代:インターネットの普及、ポスト・ニューウェーブ
⑪テン年代:Twitterと短歌の蜜月期、短歌ブーム前夜
⑫近年:ここ3年くらい、短歌ブーム

上記の時期に分類できない和歌や、投稿者、小中学生、高校生、芸能人の歌などは、「その他」に分類します。
歌人の登場時期をどのように分類するかはなかなか難しいところです。例えば、1951年に第1歌集を出版し、のちに前衛歌人に列せられた葛原妙子は「50年代」で良いでしょう。けれども2021年に第1歌集を出版した平岡直子を「近年」に分類するのは違和感があります。歌壇賞を受賞したのが2012年なので、平岡は「テン年代」に置くことにします。また齋藤茂吉は比較的デビューが遅く、『赤光』は大正2年の歌集なので、「大正」に置きました。
このような具合で190人程度の人名にタグ付けして、時代ごとの引用歌数を数え上げます。例えば石川啄木の歌が7首、正岡子規が3首、若山牧水が2首、与謝野晶子が1首引用されていた場合、明治の短歌として累計13首を計上します。
ところで先に確認したように、入門書には自作がかなり引用されています。この作業の目的は、著者がどの時代の歌人を意識しているか明らかにすることなので、計上に際しては、それぞれの本からその著者の自作を除きました。
また書籍ごとの比較を容易にするため、自作を除く総計歌数で時代ごとの歌の累計数を割り、全体に対する時代ごとの百分率%を出しました。この作業の結果が以下のグラフです。見やすさのために線グラフにしました。数値は表の通りです。


なかなかおもしろい傾向が見えてきました。北原白秋や吉井勇、若山牧水や前田夕暮など、近代短歌の中心時期の歌人は明治末に登場し、大正期を中心に大御所へと成長します。そのため大正期にはじめて登場した歌人は多くないのですが、例えば釈迢空がいます。迢空の歌は上記4冊で誰も引用していません。まあビギナー向けではないかもしれない。終戦直後の歌人もやや等閑視されています。
さて、グラフには昭和戦前と50年代に特徴的な山を見つけることができます。ここから見えてくるのは、近年の歌壇が共有している正典カノンの存在です。昭和戦前に登場する歌人、また50年代の前衛短歌の周辺に登場する歌人は、共有して読むべきものとして扱われています。正典カノンとはやや大仰ですね。歌壇のなんとなく共有している名歌秀歌のリストとでも言い換えましょう。歌壇意識の最も有力なる原因です。
上記のグラフからは、どの本も秀歌リストをある程度踏まえていることがわかります。『爆弾』には葛原妙子、『起き短』には佐藤佐太郎、『推し短』には前川佐美雄、『シン短』には寺山修司と岡井隆が多く引かれています。実際のところ『推し短』に引かれている佐美雄の歌は2首だけなのですけれども、何度か繰り返し引かれているために、実際の数よりも印象に残ります。
秀歌のリストは短歌史的経緯により成立し、また変更を加えられてきました。けれども前衛短歌の終わりから80年代に登場した歌人の歌は、その時期の短歌史が書かれなかったために、正典として整備されることなく時間が過ぎてしまいました。このグラフはその結果であって、グラフを個々の著者を非難するために使うのは筋違いです。
その点で、70年代以降だいたい同じくらいの割合で歌を引いている『シン短』は貴重な仕事をしています。歴史化されないまま過ぎてしまった時期の歌人を正典カノンに登録する試みと捉えることができるでしょう(※2)。

また入門書の短歌群は秀歌リストを踏まえていると同時に、新しいリストを作るものでもあります。次々に刊行される若手の歌集の中から、それぞれの著者が近年の誰のどの歌を秀歌として提示しているのかを知るのに、これらの著作はうってつけでしょう。入門書の門は誰に対しても開かれています。

前置きはこのくらいにして、本題に入ります。ここまで、私は共通の秀歌リストがあることを無批判に良いものとして扱ってきました。けれども文学作品の正典化キャノナイゼーションは、これまで文学研究のなかで何度も批判されています。例えば文学テクストを国民国家イデオロギーの臣にしたこと、あるいは文学に関する“普通”や“人間”の範囲を限定していること。前者は短歌と天皇制の問題として現在まで持ち越されています。後者はいろいろありますが、誰をニューウェーブと呼ぶのかに関する問題が記憶に新しいでしょう(※3)。
しかし、だからといって、正典が不要であると論ずるのは早計です。先に挙げた問題は運用面のものであって、作品を価値づけること自体まで批判できるようには思えません。繰り返しますが、共同体意識の基礎には秀歌リストを少なからず共有していることがあります。社会と同様、共同体も意識されることで出現します。共同体はあった方が良いし、秩序はあった方が良い。
なぜか。端的にまとめるとアノミーは有害だからです。……端的にまとめすぎました。短歌の側から順を追って説明しますから、「アノミー」のことは一旦保留してください。あとで戻ってきます。

笹公人の『シン・短歌入門』第1章はQ&A方式で書かれています。その最後に扱われているクエスチョンは、同時期に短歌をはじめた友人が賞を取り歌集を出し有名になっているのに、自分はそうでないことに関する悩みでした。「友人」への嫉妬心がとまらないと。わかる……。学生短歌会でも同じような話をしていました。焦りますよね。
ただ、賞にまつわる悲喜こもごもはいろんなところで毎年繰り返される現象ですから、似たような悩みを前にも読んだことがあります。『NHK短歌』には、短歌のお悩み相談室として「短歌のペイン・クリニック」が連載されていて、2021年11月号の黒瀬珂瀾が担当している回でした。曰く、「華々しい活躍をする同年代の歌人に対して強い嫉妬心があります。」と(※4)。こちらの方はやや言葉が強めです。
その少し前、ウェブサイト「詩客」の短歌時評2020年5月の回では、千葉聡が「歌人を続ける、歌人をやめる」と題して、なかなか新人賞で成績をあげられない大学生の悩みを扱っていました(※5)。
三者の回答の方向性は、短歌の楽しさや、短歌を好きな気持ちを自覚させる方向で書かれています。けれども私は納得しません。活躍したいという悩みに対して、活躍しなくていいと書いているところが納得いかない。

ちなみに黒瀬は、そんなに「活躍」したいなら「猛勉強して、批評を書きまくる」といいとも書いています。これについては、猛勉強して批評を書きまくり、批評の賞を二つ取った立場から言わせてもらいますと、批評書きは華々しくありません。生涯かけていろんな人の短歌の魅力を書き残し、時代に作品を刻みつけるのが批評家の仕事です。評論を中心に活躍した人は死後忘れられがちです。アンソロジーに収録されるのは歌人の短歌であって、批評家の文章ではありません。それに、そもそも、短歌で評価されたいのであって、批評で評価されても仕方がないでしょう。
話が逸れました。笹の『シン短』には、「地道にコツコツ良い歌を作っている人を短歌の神様が見捨てることはありません。」と書いてあります。太字で、ラインマーカーも引いてあります。言いたいことはわかります。けれども、回答としては何かがズレている。主は「決して見捨てない」(創世記28:15)と言うけれど、敬虔な人でもそれを疑うことはあります。嫉妬していると短歌は楽しくもなければ、短歌で心が救われた経験を思い返すのも容易ではない。まして短歌の神様など信じられません。

くだを巻いてもしょうがない。真面目に考えます。短歌の神様はどこにいるのか。真面目に考えると、いちばん神様に近いのは選者や選考委員だと思います。すると笹はすごいことを書いている気がしてきました。地道にコツコツ良い歌を作っている人を、短歌の神様(選者)が見捨てることはありません、ということかもしれない。笹は短歌の神様を持ち出しながら、その実、選者として選歌欄の人々や、投稿者たちを激励しています。この人が読んで、覚えてくれるならば、賞をとって不特定多数の誰かに読んでもらわなくても、短歌を続けられる。そうした信頼を選者が代表しているのかもしれません。人間を深く愛する神があって、もしモノを言うななら、笹のようかもしれません(※6)。
短歌の価値は正典という形で一元化されていますが、短歌の共同体には、受賞への焦燥という毒を離れ、多元的な価値観を導入するほどの広さがありました。短歌結社は長らくそうした役割を担ってきしたし、結社に限らず、誰かが自分の歌を読んで、覚えてくれるという信頼があるならば、比較的平和な短歌ライフを過ごすことができます。

先に、賞を取れなくて悔しい感情は毎年繰り返されると書きました。しかし、ここ数年で何度も繰り返し、この悩みがとりあえげられていることには、歴史的想像力の介在する余地がありそうです。なぜ今、今すぐ歌人になれない・・・・あなたのための言葉が求められているのか(※7)。
問題は、お互いに作品を覚えられる共同体はそうそう見つからないことです。ここ10年で短歌をはじめる人は増えました。信頼できる短歌の人間関係という社会資本ソーシャル・キャピタルがある人は幸いです。結社に入っても放置されてしまうことはままあります。
つまるところ、短歌の共同体から疎外された人は増えているのではないか。また他人の活躍が容易に見えるので、賞を得て活躍しなければならないと、欲望の形は先鋭化します。
先鋭化した欲望と、欲望の満たされない現状との葛藤が生じた無秩序状態のことを、社会学者のエミール・デュルケームは「アノミー」と呼びました。ようやく戻ってきました。少しデュルケームの論を引きます。

欲望は、方向を見失った世論によってはもはや規制されないので、とどまるべき限界のどこにあるかを知らない。〔中略〕欲望にたいして供されるますます豊富な餌は、さらに欲望をそそりたて、要求がましくさせ、あらゆる規則を耐えがたいものとしてしまうのであるが、まさにこのとき、伝統的な諸規則はその権威を喪失する。したがって、この無規制デレーグルマンあるいはアノミーの状態は、情念パッシォンにたいしてより強い規律が必要であるにもかかわらず、それが弱まっていることによって、ますます度を強める。
だが、そのときには、情念の要求するものそれ自体が、はじめから充足を不可能にしている。激しくかきたてられる渇望は、獲得された成果がなんであろうと、つねにそれをふみこえてしまう。こえてはならない限界について警告を発してくれるものがないからである。したがって、渇望を充たすものがないまま、その心の苛だちは、それ自体やすらぎもなく永久につづく。

デュルケーム『自殺論』第2篇5章の2「アノミー的自殺」(中公文庫, 1897=2018)

ちなみにこの論はデュルケームの『自殺論』に書かれています。嫉妬は創作者にとって死に至る病かもしれません。なにもかも嫌になって筆を折るのは、見方によっては、創作者としての自分を殺すことです。自分の感情といかにして折り合いを付けるかは、その人自身の問題です。個々人の問題は私のあずかり知るところではありません。しかしながら他人の活躍に嫉妬することは、構造的な問題として扱う必要があります。
デュルケームは『自殺論』の最後に「実践的な結論」と題して、「同業組合再建の必要性」を説きます。曰く、「不幸にして、旧制度アンシャン・レジーム下の同業組合の歴史ののこした悪評がそこにつきまとっている。とはいえ、同業組合が、中世のみならずギリシア-ローマの昔から存続していたという事実は、それがなくてはならないものであることを証明しているのではないだろうか」。
この「同業組合」を短歌の共同体に読み換えてみます。数年前、入門書に「群れるな」と書いた歌人がいます(※8)。結社の害についても長らく批判されてきました。それでも、結社や結社未満の共同体がなかなか消滅しないのは、それが必要とされているからではないか。
共同体を成り立たせるにあたっては、共通の何かがあると便利です。短歌の場においては、正典化された秀歌リストがそれに該当します。リストと呼べるほど明文化されていませんけれども、あることは感じられる。それを身につけていくと、短歌の共同体のメンバーシップを得て“短歌の人”になることはできます。共同体は誰のどの歌を良いものとするのかについて言葉を交わす場を提供します。正典が共同体を立ち上げ、共同体が正典を更新する。短歌史はこの力学によって今日まで続いてきました。

それで「歌人」になれるかは知りません。賞を取るか、取れないかの世界からは、いずれにせよ適切にドロップアウトしたい。だからといって執心に折り合いを付けるのは易しいことではありません。全部の作品賞に応募するのは疲れて辞めました。それでも、作品賞に応募する気概と、受賞したい気持ちだけはずっと残っています。
賞が嫌になったとき、私は逃れ場として『短歌という爆弾』を読み返していました。ここ数年は評伝や評論集をぱらぱらめくって、興が乗ったら賞に応募しています。昨年末刊行された入門書たちも、それぞれ誰かにとっての避難地になる予感がします。話の流れでずっと『シン短』に言及してきましたが、『起き短』には第1部に「受賞しちゃうリスク」の話がありました。榊原の『推し短』には最後の方に、「もっとうまくできる人がいる、けれど」というコラムが収められています。それで心に平和が訪れるかはさておき、立ち戻って考えられる場があるのは良いことです。

今月は作品自体の話をしませんでした。来月はできるだけ歌を引いて話していきたいと思います。
願わくは、短歌をはじめたことが、あなたにとって良いことでありますように。


※1 2024年1月20日に福岡の書店、本のあるところajiroで開催された『起き短』刊行記念トークイベント「夢っぽい昼下がりのための短歌鑑賞」によると、実際は文章でのやりとりだったとのこと。私たちは文字からたやすく声を幻想してしまいます。
※2 『シン短』には各時期の歌人をバランスよく引こうとする意識を見出すことができます。けれども「新短歌」という言葉は、昭和戦前の自由律運動と、戦前を源流とする戦後の自由律短歌の結社(宮崎信義主宰)で長らく使われてきました。それを思うと呼称に少し引っかかる部分はあります。ナナロク社が「新短歌教室」をはじめた2020年にも同じことを思いました。
※3 ねむらない樹別冊『現代短歌のニューウェーブとは何か?』(書肆侃侃房,2020)収録の現代短歌シンポジウム「ニューウェーブ30年」および「わたしたちのニューウェーブ」参照のこと。
※4 黒瀬の回答はかつて月のコラムで引用されたことがあります。濱松哲朗「わたしたちにゆるされた孤独」月のコラム2023年「安心自由帳」3月を参照のこと。
※5 千葉聡「歌人を続ける、歌人をやめる」ウェブサイト「詩客」短歌時評155回2020年5月。
※6 釈迢空に以下の歌があります。自らを神になぞらえる不遜さと、それほどまでに人を愛しているという独白があり、私はこうした屈折した感情表出がとても好きです。

人間を深く愛する神ありて もしもの言はゞ、われの如けむ
/釈迢空『倭をぐな』(1955)

※7 穂村弘『短歌という爆弾』の副題は「今すぐ歌人になりたいあなたのために」でした。
※8 木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社, 2020)第3章