現代短歌のキリストと、今日の短歌の霊性のこと

みなさま、新年明けましておめでとうございます。西暦紀元2024年がはじまりました。2021年ごろからささやかれはじめた短歌ブームも、そろそろ成熟期に入りつつあるように見えます。そういうわけで、年のはじめのこのコラムでは、今日の短歌がどうしてあるのかについて考えたいと思います。その前にひとつ確認しておきたいことがあります。

西暦の略称「A.D.」はラテン語のanno Domini、「主の年に」を意味する言葉です。この紀年法のもとで、今年は伝承上のキリスト誕生から起算して、2024年目ということになります。この紀元と、歴史上のナザレのイエスが生まれた年は実際のところ異なるのですが、それは一旦置いておきましょう。
キリスト誕生は、単に紀元を定めるだけではなくて、季節のうちいつを1月1日とするかにも関与しています。西暦の1月1日はキリスト誕生の夜から8日目に定められました。古代イスラエルでは生後8日目に割礼を受け、名前を与えられます。これを記念してのことです。
つまり暦の起源をたどると、12月24日という日付にはそこまで意味がなくて、1月1日から起算して8日目の夜をクリスマスイブとする、という形でクリスマスは設定されています。子供の頃はなんとなく、プレゼントをもらって1週間くらいすると年が明けると思っていましたが、実のところ私たちの誕生日は、そもそもキリスト生誕8日目を起点とする日付のもとに設定されているのです。これに気づいたときには衝撃を受けました。
紀年法には意味があります。もちろんクリスマスは、冬至の祭りに影響された後付けの祭日だとも言われています。元旦とキリスト誕生の関係を意識する人も日本ではあまり多くないでしょう。けれども、紀年法には意味があり、意味づけられた時間を私たちは生きています。だからこそ、歴史のはじめに関する語りには、どのような意味が込められているかに注意しなければなりません。

それを踏まえた上で、現代短歌の紀元に関する語りを確認しましょう。今日の短歌がどうしてあるのかに関わる大事な話ですし、必ず2023年の短歌ブームの話に戻ってきますから、しばしお付き合いください。ここから先にはいくつか文末註がありますが、初読では飛ばし読みしていただいて構いません。
一般に、現代短歌は前衛短歌以降を意味すると言われています。この考えは1963年に篠弘しのひろしによって提唱されました。長くなりますが、その文章を引用します。はじめて歌論に触れる人には固有名詞が多くて読みにくいかもしれないですけど、ちゃんとあとで解説します。

はじめにわたしは、ここで一つの仮説をだしてみたい。短歌史上の〝近代〟と〝現代〟を、いままでの常識をうちやぶって考えるならば、〝近代短歌〟の系列に、明治四〇年代にスタートした作家から戦後の「新歌人集団」グループまでの作風をふくめてみることができるのではないか。いちど戦争という社会的・歴史的な条件を過小視するところから、もっと短歌作品のテーマなり方法・文体なりを中心にみていくとき、意外に近藤・宮らの作風は茂吉・迢空・白秋らの土壌のうえに、それを推進させてきたファクターがよみとれる。近代の下限を「新歌人集団」におくことによって、おのずから〝現代短歌〟は、その上限を昭和二〇年代末から三〇年代にかけて前衛短歌が開花した時期におくことができるのではないだろうか。
(篠弘「近代と現代のあいだ:現代短歌は始まったばかりである」角川『短歌』1963年8月号)→現代歌人文庫27『篠弘歌論集』(国文社, 1979)に再録

篠がこの文章を書く以前の、「いままでの常識」とは、1945年夏の太平洋戦争の終戦をもって近現代短歌史を区分するものでした。篠はそれを、「昭和二〇年代末から三〇年代」、つまり1954年から55年ごろにはじまる前衛短歌の運動まで10年後ろ倒しにしています。しかも提唱したのは1963年です。当時の衝撃は大きかったことでしょう(※1)。
篠は戦争という歴史よりも、むしろ短歌の文体を重視することで、近現代は分けられると語ります。この文章に引用されている「近藤・宮(近藤芳美こんどうよしみ宮柊二みやしゅうじ)」の二人は、ともに兵役を経験し、戦後に「新歌人集団」を立ち上げた世代です。けれども、彼らの世代の短歌は近代短歌の延長線上にあると、篠は主張します。つまり、前衛短歌は短歌史上の革命だったことが暗示されていますわけです。
現代短歌の紀元に関する語りには、ほかにもいくつか異説がありますけれど、現在一般的なのは篠弘の説です。
では、この紀元にはどのような意味が込められているのでしょうか。前衛短歌のはじまる年とされる1954年には、『短歌研究』が新人作品を募集し(短歌研究新人賞の前身です)、第1回の特選として中城なかじょうふみ子が登場します。中城自身は乳癌のため54年中に亡くなりますが、この出来事をきっかけに、反写実的な作風の歌人が何人か注目を浴びました。具体的には、森岡貞香もりおかさだか葛原妙子くずはらたえこ齋藤史さいとうふみ、それから塚本邦雄つかもとくにおを挙げることができます。具体的な作品も引用します。

閉ぢかけにふと色こぼす我の中の絵本をいかに人読むならむ
/齋藤史『うたのゆくへ』(1953)

一突きに刺されし夢に刺されしときの己が声が夢を断ちてくれしか
/森岡貞香『白蛾』(1953)

赤き空より遮断機しづかにりきたり自轉車あまた押しとどめたり
/葛原妙子『飛行ひぎやう』(1954)

五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる
/塚本邦雄『装飾楽句カデンツァ』(1956)

齋藤史の歌では、自分自身の経験や記憶が「絵本」として自分の中にあることを想起しています。森岡貞香の歌は、自分の寝言で起きた状況を描写していますが、結句からは、声をあげなければ悪夢が続くかもしれなかったことが読み取れます。葛原妙子の歌は踏切の様子を描いたものです。けれどもこのように書かれると、あたかも踏切の棒だけが、ふわふわと天空から降臨するような様子を想像してしまいます。
塚本邦雄の歌は、健康な青年と病気の自分自身が対比されているだけではありません。注目すべきは「火のごとき」と描写されているのが青年ではなく、孤独な病人の自分自身であることです。現実の価値体系のもとでは、病人よりも健康な青年が称えられます。けれどもこの歌では、むしろ「病む我」に美学的な価値が置かれています。塚本の短歌には、こうした価値の転倒がしばしば見られます。
これらの歌は1954年当時、「モダニズム短歌」などと呼ばれました。短歌史をご存じの方はおや?と思うかも知れません。いま「モダニズム短歌」といえば、戦前の1930年代に最先端の短歌を追究した人々の作品を意味します。けれども、1954年当時はまだ、そうした言葉の使い方が確定していませんでした。
1955年に入ると、先に引いた歌人たちの作品が単なる戦前のリバイバルに過ぎないのか、議論されるようになります。そこで、モダニズムを超克する前衛アヴァンギャルド短歌への待望論がおこります。
さて問題は、誰がその前衛短歌の名前にふさわしいのかです。1956年には『短歌研究』誌上を舞台に大岡信と塚本邦雄の間で方法論争が起こります。ここで、待望された前衛は塚本邦雄であると、『短歌研究』編集長であった中井英夫によって演出されました。
つまり、「キリスト」を紀元を定める人の喩として考えてみると、篠弘の歴史観における現代短歌のキリストは、塚本邦雄であったわけです。1956年以降、前衛短歌は運動として、様々な歌人を巻き込みつつ発展していきました。

私は1956年当時を生きていません。1956年を知らない人も多くなりました。ならば、どうして現代短歌の紀元が前衛短歌にあると信じられるのでしょうか。以前からそう言われてきたから、なんとなく受けいれてしまっているのだと説明することもできます(マックス・ウェーバーはこの現象を「伝統的支配」と呼びました)。
けれども、私はそこにもう少し積極的な意味を見出したいと考えています。また、ここには短歌史の語りが前衛短歌からニューウェーブへ跳躍ワープして、その間の動きがやや忘れられていることの原因があると思います。
さて前衛短歌の作品は、世界を革命する力を信じているように見えます。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
/寺山修司『空には本』(1958)

革命、それも遅し疊をかきむしりみどり兒があやつれる歩行器
/塚本邦雄『日本人靈歌』(1958)

われらこの佳き国に生き国王よりもゆたかなる語彙ごいをもてあますのみ
/岡井隆『土地よ、痛みを負え』(1961)

飲食おんじきののちに立つなる空壜のしばしば遠き泪の如し
/葛原妙子『葡萄木立』(1963)

寺山と祖国の関係、塚本の語る革命、岡井の皮肉、あるいは葛原の文明批判を見ると、こうした革命幻想が、当時は現実的なものとして信じていられたのかもしれないと想像できます。
しかし60年代の政治の季節が過ぎて、国内の豊かな平和と、海外の危機的状況との分裂が深刻な問題となり、70年代の短歌は内省的な方向に進みました。内省的というか、大文字の政治や大文字の社会と短歌との接続を解除した形です。
作品はできるだけ引用したいですが先を急ぎます。70年代の短歌は内向の時代と呼ばれ、当時の新人たちは内向の世代とも呼ばれました。篠弘はこの状況を個人的な生活実感と関係の深い近代短歌の再来ではないかと警戒し、「微視的観念の小世界」と批判します(※2)。篠がその状況への処方箋として提唱した新リアリズム論は、「体性感覚」の議論などにつながり、70年代短歌史を語る上では外せない成果に繋がるのですが、ここでは一旦置いておきましょう。また70年代から80年代の女歌とフェミニズムの議論にも言及したいところですが、やはり語りを控えます。
いずれにせよ、昭和の終りに日本社会は軽薄短小に向かっていきました。1985年には、角川短歌賞の次席となった俵万智が注目を浴びます。86年には角川短歌賞を受賞、87年には『サラダ記念日』が出版されました(※3)。近年言われている短歌ブームとは比較にならないほどの、空前絶後の短歌ブームが訪れます。

思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋
いるはずのない君の香にふりむいておりぬふるさと夏の縁日
/俵万智『サラダ記念日』(1987)

俵の歌は、自分自身が今日生きて在ることを肯定する歌です。もはや世界の危機的状況は意識されません。俵万智の登場によって、短歌は再びの現実の時代に入ります。ここから10年くらいで現代短歌史の語りは変更されてもおかしくはなかったでしょう。けれども今日の語りではそうなっていません。どうしてでしょうか。

この問いに対してはいろいろな説明をつけることができます。私は『新星十人:現代短歌のニューウェイブ』(立風書房, 1998)に収録された歌人たちが、それぞれの仕方で前衛短歌を参照したからだと一旦説明します。塚本邦雄に師事した荻原裕幸、岡井隆に師事した加藤治郎、春日井建に師事した水原紫苑の三人は単純に師弟関係を見ることができます。
けれども問題は、誰にも直接師事してはいない穂村弘にあります。穂村弘はどのように前衛短歌を参照したか、『短歌という爆弾』を紐解いてみましょう。穂村は、葛原妙子の幻視を、「愛の希求」が決して実現されない憎悪によって聖性が付与されたものだと説明した上で、次のように書いています。

前節でみた〈幻視の女王〉葛原妙子や、〈負数の王〉と呼ばれる塚本邦雄の作品世界を支え続けたのは、反〈愛〉としての悪意の徹底性であり、その根底には世界に対する強烈な違和感があったに違いない。理想と現実の間の永遠に埋まらない落差、愛の希求にともなって繰り返される絶望の衝撃こそが、彼らの表現のネジを巻き続けたのである。
(穂村弘「ミイラ製造職人のよう:違和の感受とその表現」『短歌という爆弾』(小学館, 2000))→2013年に小学館より文庫版刊行

先に、前衛短歌の革命幻想が当時は現実的なものだったのではないかと書きました。しかし穂村の語る前衛短歌のそれは、革命の政治学的な部分が脱色されて、「世界に対する強烈な違和感」という形に抽象化されています。文学作品の解釈が時代によって変わるのはよくあることです。当時の読み方を復元するのが読みの全てではなくて、今日の文脈でその作品をどう読むかを考えるのも、大切なことでしょう。
私がどうしても気になるのは、ここに提示される「世界に対する強烈な違和感」が、『短歌という爆弾』終章で記述される、高校生時代の穂村が抱いていた感覚にかなりの部分で重なることです。終章のタイトルは「世界を覆す呪文を求めて」でした。終章では、「この無気味な世界を正しい世界に変えるための決定的な呪文が知りたかった」がために、本を読みあさった少年時代と、自分専用の呪文を求めて短歌を作り続けた大学生のころが語られます。
なるほど、この語りのもとでは、あたかも前衛短歌の革命幻想が、霊性スピリチュアリティの世界に接近するために生み出されたようにも見えます。ようやく本題に入れそうです。穂村弘の呼び出した前衛短歌は、穂村弘の世界観のもとに再編成されました。私は現時点で、塚本邦雄をキリストとする現代短歌の歴史観は、こうして延命されたのではないかと考えています。

私はいまでも短歌史の特異点として塚本邦雄を語ることに批判的な気持ちがあります。そうした観点からいくつか評論を書いたりもしました。けれどもこうして短歌史を概観していく中で、私は穂村弘を今日につながる短歌史の特異点として語ろうとしています。マクロな短歌史を書こうとする際には、仕方のないことかもしれません。
いずれにせよ、短歌が見えないものの世界と直感的に繋がるための呪文であるならば、短歌のスピリチュアルな表現に着目することで、90年代ニューウェーブのあとの、00年代ポスト・ニューウェーブのさらにあとの短歌を、うまく整理することができるのではないかと思います。
呪文というとき、私は次の歌を思い浮かべます。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
音速はたいへんでしょう 音速でわざわざありがとう、断末魔
/笹井宏之『ひとさらい』(2008)

春雷は魂が売れてゆく音額を窓におしあてて聞く
雪よ わたしがすることは運命がわたしにするのかもしれぬこと
/雪舟えま『たんぽるぽる』(2011)

笹井宏之の歌について、「永遠解く力を下さい」といった祈りの言葉は、なんらかの神さまを想定しなければ出てこないでしょう。魔術の世界全く否定するならば、「断末魔」への呼びかけも難しいでしょう。雪舟えまの歌についても、「魂」や「運命」の存在に対する信頼が垣間見えます。
この系譜に、今や短歌ブームを牽引する歌人と言われている、木下龍也と岡野大嗣の歌を置くことができます。書肆侃侃房から出たそれぞれの第一歌集から引きます。

神様は君を選んで殺さない君を選んで生かしもしない
/木下龍也『つむじ風、ここにあります』(2013)

地獄ではフードコートの呼び出しのブザーがずっと鳴ってるらしい
/岡野大嗣『サイレンと犀』(2014)

木下龍也は、意識的に神の表象を用いていることを入門書で書いています。『天才による凡人のための短歌入門』(ナナロク社, 2020)では、第二章に「神をいじくりたおせ。」というセクションがありました。
定型には意味の羅列を呪文に近づける効果があると言われています。正確には、そのように感じる文化圏で私たちは生きています。岡野大嗣の地獄の歌を短歌でない形に翻訳してしまったら、この歌のリアリティと、そこに裏打ちされたすごく嫌な感じは霧散するでしょう。
近刊でかなりの部数を出した歌集からも、この系譜の歌を拾うことができます。どちらもナナロク社からです。

平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビールこれが夏だよ
水切りの石跳ねていく来世ではあなたのために桃を剝きたい
愛だった もしも私が神ならばいますぐここを春に変えたい
/岡本真帆『水上バス浅草行き』(2022)

いたる所で同じ映画をやっているその東京でもういちど会う
運命は流体で、街を巡ってはときどき夏の頬を濡らした
神曲……とへらへらしてたら僕の部屋に降臨するほんとうの神さま
/青松輝『4』(2023)

岡本真帆の一首目はとても有名で、数多くのパロディが作られています。モノを擬人化して語ることは日常会話でもしばしば行われます。付喪神のイメージもそれを手伝うでしょう。対してこの歌では、普通はこれから自分の中へ入っていく飲み物が擬人化されている点が実に奇妙で、呼びかける人と、呼びかけられるビールの間に不思議な関係を見つけられる点が歌の魅力となっています。二首目三首目は願望の歌で、かなりカジュアルに来世と神が登場します。
青松輝の一首目は上句で換えがきくことをほのめかしつつ、下句でそれを棄却することで、運命を暗示しています。直接運命に言及した二首目のような歌もあります。三首目ではさらに神が降臨します。『4』のいくつかの連作で、連作内の区切り記号に「✝」を用いていることも、スピリチュアルな雰囲気を出すことに一役買っています。
ここまで、穂村弘以降の歌人を6人引きました。それぞれの歌が切実な信仰告白なのか、それとも良い短歌をつくるためという功利的な動機から選ばれた表現なのかはわかりませんし、考える必要もないでしょう。ただ、今日までの短歌がスピリチュアリティを尊重する方向に進んできたことは言えそうです。
そして短歌史をスピリチュアリティのもとに再編するならば、その紀元にいるのが穂村弘であるというのが、現時点での私の仮説です。まだ穂村自身の歌を引いていませんでした。

キスに眼を閉じないなんてまさかおまえ天使に魂を売ったのか?
/穂村弘『ドライ ドライ アイス』(1992)

いくたびか生まれ変わってあの夏のウエイトレスとして巡り遭う
夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう
/穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(2001)

語彙だけを見ても、ここまで引用してきた歌との共通性は見て取れるでしょう。私は穂村弘を新しい短歌史のキリストに祭り上げようとしています。この筋書きに同意しない人も多いでしょう。けれども書いた方がいいと判断しました。篠弘の『現代短歌史』全3巻が出版されて以降、歌壇は短歌史の語りを冷却しすぎています。私はそれに火をつけたいと思っています。

 

ここで終えてもいいのですが、最後に少しだけ。『短歌研究』2024年1月号に、平岡直子が「木下龍也の「き」はキリストの「キ」」と題する時評を書いていました。もっとも、平岡が「キリスト」の語を用いているのはタイトルだけで、私がここで使っている喩の意味とどれほど共通する部分があるかはわかりません。平岡の時評のポイントは、短歌ブームと呼ばれるものが、実のところ木下龍也ブームではないかと指摘したことにあります。
木下龍也はかつて、依頼者から寄せられたお題に沿って短歌を作り、それを依頼者へ送付する「あなたのための短歌」というサービスを提供していました。2021年にはそうして制作された短歌が依頼者の協力のもと集められ、ナナロク社から『あなたのための短歌集』として出版されました。
これをめくると、お題のところに「自分の意志を伝えられるようになるための短歌」や、失恋から立ち直るための「救いとなる短歌」がほしいと掲げられています。占いやおみくじにも似た効果が短歌に期待されていて、さすがに驚きました。私の手元にある『あなたのための短歌集』は2023年4月発行の第11刷で、かなり人気のようです。
短歌はそんなものではない、と思いかけた本記事の読者の方は、一度落ち着いていただければと思います。短歌ブームに否定的な感情をもつのは良いことではありません。『あなたのための短歌集』をおすすめする投稿を検索してみると、依頼者からのお題が読みのガイドラインとなっているために読みやすいことが、しばしば言及されています。すると問題は、近年短歌をはじめた人が、短歌を読むことに慣れていないことにあります。
紙媒体による誌面共同体を歌壇と呼ぶならば、今後の歌壇の趨勢は、読み方の問題にどう対処するかに左右されそうです。2023年内に出版された3冊の入門書が読み方の問題にどう対処しているのか気になるところですが、長くなりすぎたので今月はここまでにします。

年始から長い文章を読んでいただきありがとうございました。来月はもうすこしコンパクトに書きます。1年間どうぞよろしくお願いします。

 


※1 実のところ、篠がこの文章で同時に示している〝明治四〇年代近代短歌紀元説〟はかなり魅力的な議論を提供してくれるのですけれども、短歌史が好きな人向けの話題なので、ここでは触れません。

※2 篠弘「戦後短歌と思想」現代短歌委員会編『現代短歌’78』(1978)より。この文章は篠弘『歌の現実:新しいリアリズム論』(雁書館, 1982)に再録されています。

※3 俵万智に関連して1985年に岡井隆が提唱した「ライトヴァース」の語が用いられることがあります。けれども、これがなかなか問題含みな概念です。これに関するよい評論に、濱松哲朗の「「ライト・ヴァース」概念史」があります。短歌史プロジェクト『Tri』創刊号、特集:『サラダ記念日』前夜(同人誌, 2015)に収録されていますので、興味のある方はご一読ください。濱松は、例えば自然詠のような、ひとつのスタイルとして提唱されたはずのライトヴァースが、80年代の消費社会とつながった概念へと遷移していったことを検証しています。また岡井隆の提唱したものは、重たい問題を軽く歌にすることであったけれども、その意味が失われ、通俗的な軽さを意味するようになったことも、同時に示しています。