短歌の言葉とは

 

10月13日(月)

新宿紀伊国屋で塚本邦雄・岡井隆・寺山修司を語るトークイベントが開催された。

林和清さん、大辻隆弘さん、藤原龍一郎さんが登壇される見逃せないイベント。聞いてすぐに予約しようとしたのだが、確定直前にその時間はカルチャー教室の時間帯と重なっていることに気付いて断念。

見に行った友人たちと待ち合わせてビールだけ飲んで帰った。
とても面白いイベントだったそうで、心残りだが、やむを得ない。

10月25日(土)

現代歌人協会主催全国短歌大会へ。

8月に続いて10月も短歌のイベントが少ない月である。
8月が(今は他の月に移動しているが)各結社の全国大会が開催されることが理由なら、10月は短歌大会が多いことがイベント開催が避けられる理由ではないかと想像している。現代歌人協会だけではなく日本歌人クラブの全日本短歌大会も、また国民文化祭の短歌大会や明治神宮献詠短歌大会も例年10月下旬から11月上旬に開催される。
文化の秋、芸術の秋ということなのだろう。

全国短歌大会では前半に各賞の選評と授賞式、後半では選者のうち二人の対談方式での特別選評が行われる。特別選評の内容は登壇者に任せられていて、入賞者の作品を素材に現在の歌壇のトピックが話し合われることが多い。ひとつのイベントとして十分に面白いものなのだ。

今年は佐藤弓生さんと坂井修一さんの対談だった。
この組み合わせははじめやや意外に感じたが、聞いてみるとお二人とも興味や知識の範囲が広く、社会の在り方やサブカルチャーにまで話が拡がり大変面白いものだった。
その中で印象に残ったトピックに、

「今の若い世代はSNSなどの炎上を過度に恐れていて、知り合いには感情が波立たないように文章を作成するAIを開発しようとしている人もいる」というものがあった。

短歌は、そもそも感情を波立たせる詩型である。
古くは古今集仮名序に

力をを入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男(をのこ)女のなかをもやはらげ、猛(たけ)き武士(ものゝふ)の心をもなぐさむるは、歌なり        (岩波新書『古今和歌集』佐伯梅友校注)

と記され、また近くは今年の8月6日の広島平和式典で当時の石破首相が引用した正田篠枝の短歌

太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり

がそれを思い知らせてくれた。
人の心を動かすのは短歌という定型の特徴なのだ。

もう十年も前になることにびっくりするのだが、2015年9月と12月に京都と東京の二か所で緊急シンポジウムが行われた。それぞれ「時代の危機に抵抗する短歌」「時代の危機と向き合う短歌」と題され、特定秘密保護法や安保法制への危惧から企画され、実際にはもう少し広く議論をされた。

(書籍化あり https://seijisya.com/book/seijisha-297/ )

私は12月に行われた東京でのシンポジウムを見に行ったのだが、その中にひどく印象に残っている指摘があった。それは永田和宏さんの講演のなかにある

「政治的な言葉と創作者の言葉が、違うということは明らか」というものである。

永田さんは自分の接した政治家のスピーチについて「何の遮蔽物もなく、どーんと前に出てくる」「彼らの言葉はすごい迫力」と述べ、しかし続けて「われわれの言葉はそうじゃないだろう」と語った。「われわれの言葉は、自分で話しながらも、どこかでこれでいいのかと自分で疑いながら発せられている。それを、われわれは本当に信頼できるんだという気がします。」「何の迷いもなく、あらかじめ決まったことをただ伝えるだけの言葉は、耳から入ってきても、心の中には響いてこない、そんな気がしますね。」。

確信ではなく心のゆらぎこそが相手の感情を揺り動かすこと、今思い返すべきするどい指摘だろう。

今年はまだ2か月残っているものの、2025年を振り返るときにおそらく思い出されるのは、世の中の大勢に逆らう自分の政治思想を確信をもって詠ったある連作のことだろう。

実際の作品について、短歌の習熟濃度の様々な読者の目に触れるインターネットでの引用は避けようと思う。おそらく短歌雑誌の年鑑でも取り上げられるだろうからそちらを参照してほしい。

この連作は発表時には特に話題にならず、それを批判的に取り上げた時評によって多くの反応が巻き起こった。ほんとうに久しぶりにどこに行ってもその話題が出るという注目の高さだった。私はこの件がこれほど「人の感情を波立たせた」のは、その時評の中で「怖い」という表現が用いられたからだろうと思う。「怖い」は人の心を波立たせる言葉である。ここで私は、2015年のシンポジウムでの永田さんの指摘を思い出すのである。

「政治的な言葉」と「感情を動かす言葉」についてはもう少し長い目で考えてみたい話題だと思っている。

10月30日(木)

結社の割付に。
通常最終土曜日に行われているのだが、今月はそれが25日と早かったため平日に設定された。

いつも遠い鎌倉が混み合った電車によりさらに遠く感じる。歌集を二冊鞄にいれてきたのだが、重くなっただけだった。そういえば、かつては電車内で歌集を読むことはなんだか恥ずかしくてできなかったが、最近はまあ気にせずともいいかな、と思うようになってきた。時代が個々を重んじるようになったからか、あるいは加齢により自意識が薄れてきたのだろうか。

割付の合間の時間に、「今月は短歌イベントが少なくてコラムに書くことがない」とこぼしたところ、「結社の選歌や割付、校正について書いてはどうだろう」と言われ、「読めるように楷書で丁寧にかいてください、とか? 原稿用紙に書くのに色紙に書くみたいに分かち書きしないでください、とか? 欄外に私信やなんらかのマークを書かないでください、とか?」「あと、文章の中に引用した歌は今一度表記を確認してください、とか、引用元のページ数を書いてくださいとか。」「最近のWordは勝手にレイアウトを整えてくるから今一度一行の文字数と行数を確認してください、とかね」と笑いあう。

色々な人がいてこその組織なので、厳密でなくても構わないけれど、可能であればこのあたりご留意頂けれは幸甚です。