9月6日(土)
鎌倉瑞泉寺で方代忌。
山崎方代は1914(大正3)年甲府生まれ、戦争で片目失明、片目が弱視となり、家族も定職ももたず、また短歌に関しても初期のわずかな期間を除いて結社に寄らず、同人誌などを発表の場としていた異色の歌人である。
茶碗の底に梅干しの種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ 『方代』
こんなところに釘が一本打たれいていじればほとりと落ちてしもうた 『右左口』
そこだけが黄昏ていて一本の指が歩いてゆくではないか 『右左口』
このような歌に代表されるような「方代節」は今も多くの人を惹きつけ、方代忌は第36回となる。今年の講演は島田修三。
方代忌が特徴的なのは、短歌関係者だけではなく故郷の甲府や長く暮らした鎌倉の人々が多く参加することだ。
歌詠みの目から見たとき方代は決してイメージされる無頼漢で素朴な歌人ではなく極めて意識的な歌人であるが、甲府や鎌倉の人にとっては愛すべき「方代さん」であり、まるで親戚の面白い叔父さんのように思い出や物語を語り合う。それでいいのだと思う。
方代忌では方代の歌をプリントした一筆箋や、最中、お酒を愛した方代にちなんでワンカップなどが配られるが、今年はそれに加えて方代が特集された「現代短歌」№108が配られた。
そういえば、このところ短歌総合誌での歌人特集が多い気がする。今年10月号までの各誌の特集を調べてみると、
角川「短歌」では4月号で岡部桂一郎、
5月号では塚本邦雄と山中智恵子、
7月号では若山牧水、
9月号では葛原妙子
「短歌往来」では5月号で白秋と牧水、
10月号では近藤芳美、
「歌壇」では7月号で塚本邦雄、
「短歌研究」では3月に永井陽子、
「現代短歌」では前述の方代に加えて№110で塚本邦雄が取り上げられている。
試しに2018年1年間の歌人特集を調べてみた。
角川「短歌」では1月号で岩田正の追悼
4月号で前登志夫、
5月号で馬場あき子、
12月号で春日井建、
「短歌往来」では4月号で松平修文の追悼、
「歌壇」では4月号で前登志夫、
5月号で与謝野晶子、
「短歌研究」では3月に岩田正の追悼、
「現代短歌」では4月に原阿佐緒、
10月号で若山牧水が取り上げられている。
(※追悼は両年とも多くあるが、追悼文のみは除外した。また、歌人を扱った講演録や座談会なども、それ単独の場合は除外した。)
| 2025年短歌総合誌特集一覧 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | ||
| 歌壇 | 本阿弥書店 | 新春巻頭言 短歌でかるた 昭和という時代に思うこと |
第36回歌壇賞決定発表 | 歌集のあとがき 第25回現代短歌新人賞決定発表 |
歌のなかの言う力、言わない力 | うたの扉(歌作にあたって) | |
| 現代短歌 | 現代短歌社 | 第11回佐藤佐太郎短歌賞 第12回現代短歌社賞 |
BL | 山崎方代・ドリル50題 | |||
| 短歌 | KADOKAWA | 新春146歌人大競詠 | 現代短歌と美のありか | 高校生短歌はいま 中核世代の歌集を読む |
それでも、旅をうたう。 生誕110年岡部桂一郎 |
没後20年塚本邦雄 生誕100年山中智恵子 |
|
| 短歌往来 | ながらみ書房 | 酒のうた | オメデトウ巳年生れの歌人 | アンケート 2024年のベスト歌集・歌書 | 近代・現代の愛誦歌 | 白秋・牧水生誕140年 | |
| 短歌研究 | 短歌研究社 | 第一回「定家賞」発表 「二〇二五年の短歌地図」 ふたたび能登、北陸の歌人たちと作る短歌研究 |
ついに読む、「永井陽子の世界」 第五回短歌研究ジュニア賞 対談小島ゆかり×根元知 |
300歌人の新作&歌会作品集「うたげと弧心2025」 | |||
| 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | |||
| 歌壇 | 短歌にタブーはあるか? 短歌の批評性とは | 塚本邦雄没後二十周年 講演録 茂吉歌に於ける七つの扉 |
歌人たちは戦争をどう詠んだか 第二十二回筑紫歌壇賞決定発表 |
戦後八十年、被爆八十年をうたう | あきつしま大和を巡る旅 | ||
| 現代短歌 | タイムスリップ194X | 塚本邦雄的生活 | |||||
| 短歌 | 第59回迢空賞発表 平明と奥行 茂吉の晩年を描いて |
若山牧水ルネサンス | 第4回Uー25短歌選手権 今こそ藤原俊成を語る |
没後40年葛原妙子 | 自然詠の冒険 結社賞受賞歌人大競詠 |
||
| 短歌往来 | 第二十三回前川佐美雄賞 第三十三回ながらみ書房出版賞 |
現代の新鋭 | うたと旅の風景 | 沖縄の現在 | 近藤芳美 | ||
| 短歌研究 | 第六十八回「短歌研究新人賞」発表 | 第六十一回「短歌研究賞」発表 第一回「短歌研究評論賞」発表 対談あたらしい人「定家」を語る 十五首詠競詠吟遊「2025年日本国際博覧会」 1970年代短歌史番外編 講演再録鷗外献呈本に見る大逆事件 |
|||||
| 2018年短歌総合誌特集一覧 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | |
| 歌壇 | 本阿弥書店 | 新春巻頭言 不易流行の短歌ー短歌の普遍と流行とは 鼎談 短歌の読みをめぐって |
第29回歌壇賞決定発表 氷見・五箇山を訪ねて |
追悼特集岩田正 引っ越しの歌 特別対談どこへ行く短歌と俳句ー大衆性のさきに |
前登志夫没後十年ーその抒情の源泉 作歌における断捨離とは |
生誕百四十年、表現者与謝野晶子に迫る 風土と短歌 |
生活詠にみる時代 |
| 現代短歌 | 現代短歌社 | 犬のうた | 心に残ったこの一首2017 | 分断は越えられるか 鼎談 時代の危機を語る言葉を求めて |
原阿佐緒 鼎談 言葉の危機と向き合うスタンス |
最後の晩餐 | 歌人の推敲 |
| 短歌 | KADOKAWA | 新春75歌人大競詠 馬場あき子の作歌・人生相談 |
追悼特集 岩田正 大學短歌バトル出身歌人競詠 馬場あき子の作歌・人生相談 |
出会いと別れ | 現代ならではのテーマをどう詠うか 没後十年 前登志夫 |
「かりん」創刊40年馬場あき子 歌の準備体操 |
身近な素材 いまこそ厨歌 第52回迢空賞発表 |
| 短歌往来 | ながらみ書房 | 「30代歌人の現在」を読む 新春作品集 |
オメデトウ戌年生れの歌人 | 50人に聞く2017年のベスト歌集・歌書 | 沖縄の旅とうた 追悼/松平修文 |
水面かがやく春のうた | 第十六回前川佐美雄賞発表 第二十六回ながらみ書房出版賞発表 |
| 短歌研究 | 短歌研究社 | 平成大東京競詠短歌 新春特別対談林真理子vs.穂村弘「短歌は一生の芸術」 現代歌人百人一首 |
ひろがる短歌 新しい相聞歌をさがして 平成と昭和の「大東京競詠短歌」を読む |
現代代表女性歌人128人作品集 追悼特集岩田正さんを、もっと知りたい。 |
不思議な歌の国名古屋の研究 | 現代代表男性歌人100人作品集 研究シリーズ この歌人をもっと知りたい |
平成じぶん歌 坂井修一vs.斉藤斎藤 |
| 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | ||
| 歌壇 | 年齢をどう詠むか | 回想の夏ー思い出をどう詠むか 第十五回筑紫歌壇賞決定発表 |
短歌の物語性 | 短歌の名鑑賞 | 名歌に学ぶー歌の語彙を増やす 筑紫歌壇賞作家競詠 |
妊娠・出産の歌 | |
| 現代短歌 | 山を愛するうた | 沖縄のうた | 歌人の俳句 | 牧水考 | ハンセン病と短歌 | 佐藤佐太郎短歌賞発表 | |
| 短歌 | 誌上大歌会 短歌とポピュラリティ 特別座談会 歌集『滑走路』を読む |
ふと立ち止まってー歌を鍛える推敲のポイント 創刊120年「心の花」の女性歌人たち 短歌とポピュラリティ |
短歌の構造 現代短歌の論点2018 |
錦秋の歌枕 歌集にまつわるあれこれ |
第64回角川短歌賞発表 知れば得する歴史的仮名遣ひ |
生誕80年・「未青年」発表60年記念 春日井建 作家と実生活 結社の愉しみ |
|
| 短歌往来 | 創刊350号記念 佐美雄賞・短歌賞・出版賞の歌人 | 映画とうた | 現代の衣食住を詠む | 動物のうた鳥のうた | 私が会いたかった歌人 | 題詠による詩歌句の試み16 平成と言う時代 | |
| 短歌研究 | 平成じぶん歌 特別インタビュー 馬場あき子氏に聴く 特別企画 新刊歌集クロス書評 |
挽歌の研究 平成じぶん歌 北の国から歌を詠むひとびと 第八回中城ふみ子賞発表 |
第五十四回「短歌研究賞」発表 第六十一回「短歌研究新人賞」発表 平成じぶん歌 |
平成じぶん歌 三十六回「現代短歌評論賞」発表 イベント収録『塚本邦雄全歌集』を大いに語ろう |
生誕百四十年記念特集「与謝野晶子の目」で現代を生きよう。 平成じぶん歌 最近心に残った歌 |
座談会 二〇一八年歌壇展望 歌人一〇〇〇人アンケート「平成の名歌」 |
2025年(46冊)がのべ10回12人、
2018年(60冊)がのべ12回12人、
2025年はまだ10月号までなのと、「短歌研究」と「現代短歌」が現在は隔月刊になっているので冊数がかなり違う。そのため割合はいくぶんか増えているもとはいえ多いと言えば多いがはっきりと増えていると言い切るには微妙な割合になった。
各誌の特集には恒例の企画、たとえば角川「短歌」1月号の新春競詠や「短歌研究」5月号の新作作品集、「短歌往来」の干支の歌人競詠などがあるし、主催する賞の発表も雑誌によっては複数あるため、割合以上に歌人特集が多い印象になるのかもしれない。
歌人特集は重要だ。過去の優れた歌人を読み返すことは自分自身の歌作の幅を広げるし、そこから作者だけではなく系譜や時代を知ることにもつながる。
ある程度評価が定まっているからこそ、新しい切り口で論じることに意味があるし、新しい書き手の発掘にもなるだろう。この人にこの作者を読ませてみたい、という期待である。
なにより、資料的な価値が高い。今読みこむかどうかはともかく、いつか必要になるかもしれないからとりあえず買っておこうと思うし、この号は処分せずに残しておこうと思う。歌詠みは歌を作るだけではなく、それを読み、評し、そして研究することすべてを求められるから、いつ必要になるのかわからない。
また、なんだかんだ言っても一番には、自分の好きな歌人が取り上げるのは純粋に嬉しい。方代忌のように100冊買って配ろうというケースは稀だろうが、読む用と保存用で複数買っておこうかな、という人は結構いるだろう。
そんなことを思いながら2018年の雑誌をめくっていった。7年前、まだ最近だと思っていたが結構忘れている。
常々総合誌は7~8年寝かせると面白くなると思っていて、2018年はちょうどそのころだ。読みたくなってしまうし、当時の雰囲気をよく伝えてくれると思う。たとえばこれら。
「歌壇」1月号〈不易流行の短歌ー短歌の普遍と流行とは〉、
5月号〈風土と短歌〉
6月号〈生活詠にみる時代〉
7月号〈年齢をどう詠むか〉
9月号〈短歌の物語性〉
「現代短歌」1月号〈犬のうた〉
3月号〈分断は越えられるか〉
7月号〈山を愛するうた〉
8月号〈沖縄のうた〉
「短歌」3月号〈出会いと別れ〉
6月号〈身近な素材 いまこそ厨歌〉、
10月号〈錦秋の歌枕〉
「短歌往来」4月〈沖縄の旅とうた〉
8月号〈映画とうた〉
9月〈現代の衣食住を詠む〉
11月号〈私が会いたかった歌人〉
「短歌研究」2月号〈ひろがる短歌〉〈新しい相聞歌をさがして〉
4月〈不思議な歌の国名古屋〉
8月〈北の国から歌を詠むひとびと〉
作品と同様に特集もまた知らず知らずに時代を背負っているのだろう。
タイトルだけ見ても、この年は「年齢」「物語」「相聞歌」など私性が問題になっていたことが分かる。
また、「生活詠」「衣食住」「厨歌」など、生活をうたうことも注目されていたようだし、「沖縄」「名古屋」「北の国」と地域性・風土について、あるいは分断や格差についての課題もありそうだ。「映画」など他ジャンルとのかかわりへ「ひろがる」予兆も見えていたのかもしれない。
資料として20年30年前あるいはもっと前の雑誌を読む時にも「この歌、ここが初出なんだ」とか「この人この間亡くなったな・・・」などと興味深い発見があるが、7~8年前の雑誌を読むことはまた格別に面白い。現在につながる問題を、答え合わせをするように読むことができるからだ。
当時はなんとなく読み流していた特集が数年を経て面白く感じられるのだから、今年の特集も何年か経てば興味深く面白く振り返るのだろう。各誌の企画力と先見性に驚くばかりである。
歌人特集も有意義だがこのような工夫に富む企画こそ時代を作り、伝えるのではないか、と思ったところでふと気づいた。もしかしたら、今歌人研究が目立って感じられることも、7年後の世界で「2025年」を感じる重要な要素なのかもしれない。
9月26日(金)
短歌研究4賞授賞式へ。
選評の中で「短歌研究新人賞は選考委員が若い」という話が出たが、参加者も受賞者も若い人が多かった。とはいえ尊敬する先輩歌人にも久しぶりに会え、両者の熱気に当てられてその晩はほとんど眠れなかった。
何人かの人が言っていたが、選評がとても濃密だった。
授賞式でのスピーチは、受賞者のことばこそ感動的でも選評にはそれほど意外性がないことが多い。しかし今回の選評はどれもある種の覚悟のようなものが感じられ、聞きごたえがあった。選考が自分の短歌観と引き換えの真剣勝負であることを思わせるものであった。
それは、結びの一番で行司が真剣を腰に差す覚悟に似ていた。差し違えたら腹を切る覚悟、である。
9月27日(土)
早起きをして鎌倉へ。結社の割付である。
少し秋めいてきた9月末、ホームに降りると危険なくらいの人ごみであった。
大仏方面に行くひとが多く、八幡側の改札は空いていて、バスもほどほどの混み具合。観光シーズンはまだまだこれからなのだろう。
4月に借りた『羊雲離散』を、返そう返そうと思ってまた忘れてきた。持ち主はこのまま貰ってしまってもいいような雰囲気を出しているが、古書での価格を検索するとそれはあまりにも申し訳ないので来月はきっと返却したい。
結社について賛否はあるだろうが、年齢の幅があるからこそこうして大切な本を借りたり戴いたり、そしてのちには自分も貸したり託したりできる。他ではなかなか作りにくい関係だろうと思う。結社とは場であり、場とは人間関係である。
「コスパ」や「タイパ」などとからは離れた豊かさのあるコミュニティだが、「そんな呑気なことを言っていられるのはお前が恵まれているからだ」と言われたらその通りなので何も言えない。
9月28日(日)
他結社の若手の勉強会(zoom)にちゃっかり混ぜてもらって道浦母都子『無援の抒情』と阿木津英『紫木蓮まで◎風舌』を読む。
今更蒸し返しても仕方ないかもしれないが、篠さんの阿木津さんの歌の読みが酷い。どうしたんだろう。篠弘は広い視野で正確な読みをする人である。悪意は感じられないので、そう思い込んで書いてしまったのだろうが、当時は誰も何も言わなかったのだろうかと疑問に思った。
今ならば誰かが異議を申し立てるだろう。SNSなどインターネットが拡がり、また簡単に同人誌やネットプリントが作れる今は、玉石混交を仕分けることが難しく混乱することも多いが、それでも誰でも発言ができる手段があるということは大前提としてすばらしいことだな、と改めて思う。



