個人と社会のあいだ

何か事が起こるたびに、数か月後の誌面の姿を思うことがある。あの出来事も、あの事件も、これまでと同様に誰かの歌に詠まれていることだろう。そしてこの予測はほぼ当たる。いわゆる社会詠、時事詠と呼ばれる歌群は、いつの世も詠まれ、読まれている。その繰り返しのなかに、嫌でも放り込まれてゆく。

そうした作歌行為を、愚かだと思っていた時期が私にもあった。今でも少しだけ思っている節がある。自分や誰かの作品がコミュニケーション的な言語モデルのなかでのみ読解され、「分かる/分からない」の軸や題材への接近の切実さに気安く読みが収斂してゆくさまを見ると、むずむずと不快な気持ちが湧き上がってくる。あなたに分かってもらうためにこの作品を書いたわけではありません、ほんとうの思いなんて書き表せるはずがありませんと、この世の全ての短歌に注を付けて回りたいと思うことさえある。それは〈詠む〉者であると同時に〈読む〉者であるかぎり引き受けざるを得ない、ある種の矛盾であるのだろうが、矛盾を通じて見えるものが真理であるともまた思う。

当たり前だが、私たちが生きている現実というのはそれぞれ異なっている。同時代に同じ出来事を目の当たりにしたのだから認識も共通するだろう、等という早合点がいかに乱暴であるか、ここに改めて書くまでもない。

だが同時に、だから人は言語という共通の手段を用いることで意思疎通や表現が可能になっているのだ、と論を持っていくことにも、私は強い違和感を覚える。

たしかに言語は意味伝達のための共通の手段としての役目を持つ。だが、伝わる、という他者を前提とした仕組みや機能ばかりを殊更に指摘するなかで、無数の取りこぼしもまた生じているようにも思う。それは単に私自身が、認識の有り様として非言語の方と相性が良いだけなのかもしれないが、しかし一見言語という構造物によって成立している文章においても、私の認識を形づくるものはあくまで、ある瞬間にみずからの内に響き去った和音を聞き取る時にも似た、非言語的な瞬間と持続の体感である。一応は物書きであるくせに、言葉でものを考えるのが苦手だと私が頻繁に言うのはこのためだ。

私の体感と、言語化された経験とは、それらが互いに近づくようにどれだけ工夫をこらしたところで、接近はすれどもイコールになることはけっしてない。加えて、経験の結晶として提示された言語表現が、この社会に既存の意味の体系につねに則っているかというと、そんなこともあり得ない。また一方で、規則や体系、あるいは集団において発生し得る空気感といった社会的に共有された何かから完全に独立した発話や表現というものも存在し得ない。

意味と用例、個人的なものと社会的なものは、鶏と卵の関係にあるだろうが、だからこそ、片方がもう片方を従属させる安易な二項対立モデルを警戒し斥けることは、想像と創造の命脈を保つ上でも、あるいは必要以上に個人を社会に還元し過ぎないためにも大切なことである。〈あなた〉と〈私〉は絶対的に翻訳不可能である、それなのに社会は言語という媒介を通して成立してしまっている、という認識に立って初めて、私たちそれぞれの「文学」と呼び得るものは始まるのではないか(と、前回の「文学」まわりの話を再度つまみ出す)。個人と社会は、あるいは個人の発話と言語の社会的体系は、互いに逸脱と囲い込みを繰り返す。相反するもの同士のグラデーションの只中において、私たちは認識し、体感し、経験を言語化する。その構造とはおそらくは絶望が行き着いた先であり、あるいは希望の出発点でもある。

――前置きが長くなった。ただ、こうした意識でいるおかげで、私が社会詠や時事詠に対して、それを殊更に取り上げて云々したいという欲望があまり無いことはお分かりいただけたかと思う。いまだに何となく忌避感を覚えるのも、そうして他人と同じ方を向いたところで安心できた試しが一度もないからである。私は私の現実を、個人と社会のあいだで揺れながら生きて、書いてゆくしかない。その前提に立って初めて私は、他者の言葉として作品を受け取ることができる。

 

 

字数を気にしつつ、少しだけ過去に寄り道をしたい。

『いま、社会詠は』(青磁社・2007年9月)を読み返しながら、この時の小高賢に対して今の自分ならどう意見するだろうかと考えることがある。この論争を私はリアルタイムでは知らないし、何なら生前の小高賢とはすれ違うことも叶わなかったわけだが、それでも短歌の評論を書く上で小高賢からは少なからぬ影響を受けてきた。だからこれは、私にとってはこれからも答え続けられなければならない問いのひとつでもある。

 

(…)いうまでもなく、技術的に優れていなければ作品は読まれない。しかし、うまくできていると、逆に読み手が「フーン、うまいなあ」で終わってしまうきらいがあることだ。おそらく、この海外派兵の作品[引用注:〈一度もまだ使いしことなき耳掻きのしろきほよほよ 海外歩兵〉佐佐木幸綱『百年の船』(角川書店・2005年12月)のこと]も、岡野[弘彦]の例でいったように、作者が外部に立っていることで、読み手に題詠的にしか感受されないことから来ている。(…)
「新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな」(土屋文明)、「中国に兵なりし日の五ケ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」(宮柊二)、「世をあげし思想の中にまもり来て今こそ戦争を憎む心よ」(近藤芳美)といった作品は、先に挙げた馬場[あき子]などにくらべ、かなり素朴なつくりである。技巧的でもない。直叙的だ。しかし、それゆえに読み手に届くものがある。その差。これは私たちに到来している困難さではないだろうか。
つまり、作者は外部に立たざるをえない。社会や時代は、私たちのはるか彼方を通過しているようにして動いている(そうしか見えない)。社会に対して鋭敏でありたい。歌人として、人間として、少しでも作品の上で訴えたい。その誠実な対応が挙げたような作品なのだ。ところが巧緻なゆえに、あるいはうまく出来ているために、意外とひびいてこない。そのアポリアが私たちの前にある。
(小高賢「ふたたび社会詠について」「かりん」2006年11月号)

 

これはほんとうにアポリアなのだろうか、と思う。非技巧的で直序的なものを、すなわち読み手に届くものであるとする、小高の見立て自体にそもそもの問題があるのではないか。

巧緻さが作者個人の誠実さを覆い隠してしまうという発想は、〈読み〉という現場を多数派的かつ無名のもののうちに設定することで成り立つ。『宮柊二とその時代』(五柳書院・1998年5月)の著者である小高には、おそらく知識人的なものと大衆的なものの二項対立も念頭にあったことだろう。小高が「読み手」と書く時、それが大衆とニアリーイコールであることを望ましいと思っているように私は感じるのである。

一方で、「作者」は「外部に立たざるをえない」であると小高は書く。それは言い換えるなら傍観的で、みずからが晒されているわけではないということだ。だからこそ社会詠に対して「読み手に題詠的にしか感受されない」という批判が成り立つ。最初からこれは、言語表現の技術に関するアポリアなどでなかったのだ。ここにあるのは、技術の獲得を通じて個人的(≒知識人的)なふるまいを帯び始めた「作者」は、その技術ゆえに「読み手」という多数派(≒大衆)に受け入れてもらうために苦しむという、二項対立から生じる必然の表明でしかない。

大衆とは、多数派とは、技術から遠い存在なのだろうか。そんなことはない。保守とは、ある事象を当然のこととして受容した結果、他に存在し得る選択肢を想定できない状態であることを言う。当然視によって無かったことにされているだけで、認識への何らかの要請が存在しないわけではけっしてない。「題詠的」という批判が、認識のコード化に対して為されているのだとすれば、コード化していない認識などあり得るのかという話になるだろうし、社会詠の〈詠み〉の現場における事件や出来事の体感を〈読み〉の現場における共通の社会的事象に一様に回収してしまうのもおかしなことだ。そんなことでは作品は独りよがりになる、と言うかもしれないが、むしろ逆である。「題詠的」という〈読み〉を提示した時点で、それは〈詠み〉の体感を〈読み〉のコードに置き換えるという独断ではないか。そもそも題詠というものが要請する共通認識的側面は、〈詠み〉を〈読み〉に奉仕させることで成立しているのではなかったか(だから私は、二重の意味で題詠が苦手である。こなせている自分が嫌になる)。

無論ここで、読者としては到達不可能な〈詠み〉のイデアを追い求めよと言うつもりはない。要するに、〈詠み〉の現場のダイナミズムに迫る〈読み〉はいかにして可能か、という話である。当然それらのダイナミズムは、両者の切実さ云々の話でもない。今そこで指で動かしそうになったMINとMAXとを行き来する認識のつまみそれ自体を、短歌再生機器としての私自身の〈読み〉を、もう一度観察する必要があるだろう。クラヴィコードの音を拾うようにエレキギターの音を拾ってしまえば、盛大な音割れを起こすだけだ。ある創造的試みが現代的であると指摘する時、そこにあるのは必然的に、最適化の絶えざる再検討ではないだろうか。〈詠み〉と〈読み〉は両輪の関係にあると私も思うが、一方で、それらのあいだに何かラックレールのようなものが無数に歯を噛み合わせているようにも思うのである。

 

 

ここまで書いて、ようやく私は「短歌研究」9月号のいくつかの作品について言及ができる。8月21日発売号と言った方が、あるいは締切の想像がしやすいかもしれない。

 

アベノマスク廃棄されたるこの夏の演説の声は永遠とはに断たれつ
(栗木京子「犬の鼻、鳥の目」「短歌研究」2022年9月号)

歩きながら撃つて押さへられて抵抗せず もう生きをへたいのちのやうに
(米川千嘉子「コロボックル」「短歌研究」2022年9月号)

國葬はくにを葬る秋ならばかへらざるべし血の蜻蛉あきつしま
(水原紫苑「僭主ティラン」「短歌研究」2022年9月号)

銃撃事件のニュース検索する間にも赤い中央線はすぐ来る
(小島ゆかり「真夏のひかり」「短歌研究」2022年9月号)

 

これらの歌を読んだ時、やはり詠みますよね、という納得とも諦めともつかない感覚と、けれどこれらの歌を単に同時代の事件を題詠的に詠んだものとして処理してしまっては何かを摑み損ねることになる、という思いが、渾沌と私のなかに浮かんでは消えて行った。そうした明滅する印象の理由は先に記したとおりである。

栗木の歌に含まれる、失政の象徴としてのマスクと失政の責任を取るべき張本人とが、ともに「この夏」にこの世からいなくなったのだという認識の、批判の重みと対比の軽みの配合は絶妙だ。少しバランスを崩せば、標語的に傾きそうな予感もする。大喜利的と見る人もいるかもしれない。だが、栗木のこういう歌の作りはむしろ真似をするのが難しい技術のように思う。以前、栗木が『短歌をつくろう』(岩波ジュニア新書・2010年11月)のなかで定型に親しむための「ビート板」として標語の活用を初心者にすすめているのを読んだ時、それって結構危うい方法なのではないかと思ったことがあった。けれど、栗木の実作に触れると、標語的なものを単に忌避するのではなく、そこから言葉をいかにして漕ぎ出すかという意識が作品に通底していることに気づかされ、ハッとする。

米川の歌に見られる対比は、撃った者と撃たれた者である。射殺犯の一挙一動をコマ送りのように描いた上で「もう生きをへたいのちのやうに」という言葉を通じて捉え直すことで、実際にそこで「生きをへたいのち」となった者のイメージが絡みついてくる。恐らくはその後の報道で明るみとなった犯人のいわゆる宗教二世として生きざるを得なかった事実も、作歌の時点で視野に入っていたことだろう。ならばこの犯人にとって生きるとは何であったのか、あるいは銃撃の瞬間が唯一の生きた瞬間だったのかもしれないと、読みながら心が凍りつく。

水原作品の視野は大きい。国葬は結局、議論も法的根拠も乏しいままに実施され、喪主である夫人の献花時のBGMに《カヴァレリア・ルスティカーナ》の間奏曲が流れるようなハリボテぶりはこの国の文化・教養を失墜させた張本人を象徴するがごとくで呆れるしかなかったわけだが(だから私は大衆や民衆といった言葉に強く警戒心を抱く)、たしかにあれは、ある意味で日本という国自体がとうに死に切っていることを再認識する儀式でもあった。「血」のイメージは射殺の事実だけでなく、蜻蛉島=大和に綿々と続く天皇制や、いまだに信奉されている「正しい家族」像に対する、強い批判の意志が込められている。

小島作品の「赤い中央線」は、あくまでも〈私〉の目の前の現実の提示である。しかし、それゆえに初句で遠くの「銃撃事件」が示されたのちに敢えて目の前の中央線が「赤い」と描写されたことで、接続してはいけないもの同士が結びついたような強烈な不安感が読後に残る。この色の提示は、快速か各駅停車かという説明では必ずしもない。それに「すぐ来る」の「すぐ」も怖い。検索すれば情報はすぐに手に入るし、都会の電車は数分のうちにやってくる。その否応の無さが、一首とともにねばつきながら迫ってくる。

この号で特に惹きつけられ、圧倒されたのが、吉川宏志「西大寺」と、大口玲子「視界に花は」の2作品であった。それは私自身にとって不思議なことだった。これまではむしろ、この二人の作品に立ち向かい切れないことの方が多かったからだ。

 

京都はアカが多いと言いし祖父おもう 知らざるものほど人は憎むや
早口に神を言う声 すでにして言葉通じぬ人になりいて
言われたるとおりに票を入れるとう入れねば不幸になると言われて
基地あればミサイル撃たるる当然を沖縄は言えり聞かぬまま逝く
(吉川宏志「西大寺」「短歌研究」2022年9月号)

 

吉川の30首は、銃撃事件とそののちという現在の時間と、政治やカルトにかかわるこれまでの記憶の時間とが作中で折り重なることで、30首の歌同士がひとつの連作としての強い結びつきと推進力を得ているように思うが、加えて「言う」という動詞の多さにも注目に値する。30首中8首に「言う」が登場し、しかも14首目から18首目までは5首「言う」が続く。それは単に連作の見せ場としての効果を強める以上に、この連作全体における〈私〉以外の他者が「言う」という発話を直接表した動詞によってはっきりとした輪郭を獲得し、存在感を強めているように感じるのである。

あるいは『石蓮花』(書肆侃侃房・2019年3月)の途中、具体的に言えば沖縄の米軍基地周辺を訪ねた経験に基づく「高江」「海ぶどう」以降、これまで以上に短歌において他者の言葉や声に自覚的に耳をすませてきたのが吉川の近作であったようにも思う。

祖父の言葉を「知らざるものほど人は憎むや」と一字空けを込めつつ突き放し、カルトの盲信の只中にいる者を「すでにして言葉通じぬ人」と裁断する。それではこれら他者の言葉は、〈私〉の、作者の主張のためのダシとして使われているのかというと、けっしてそうではない。境界を引かなければ、他者は他者として、世界は世界として、自己を自己として受けとめられないということを、この作者はよく知っている。個人の主張が決然としていればいるほど、一首や一連を読んだ時のはね返りの力は大きくなる。それは〈読み〉においてというより、〈詠み〉の現場において作者自身が受けとめたはね返りの体感の痕跡ではないか。そんな思いから、私は「西大寺」という連作を、事件の痕跡を辿りながら他者と〈私〉の痕跡に出会い直し、その都度の衝撃を受けとめ直しながら、〈私〉の輪郭を、〈私〉が生きる時代の輪郭を、よりくっきりと描き出す方法を探った一連として読んだ。

 

ピオーネは果皮かたく黒々と濡れてこの国に国葬と死刑あり
人を悼むあるいは憎む内心の自由にわれは蛍を放つ

二〇一六年七月二十六日 相模原障害者施設殺傷事件
二〇一八年七月二十六日 オウム真理教事件死刑執行
二〇二二年七月二十六日 秋葉原通り魔事件死刑執行

奪はれたいのち刑死のいのち今朝刑死によりて奪はれたいのち
暴力のなほうつくしき世であるか七色のかき氷そびえたつ
(大口玲子「視界に花は」「短歌研究」2022年9月号)

 

『ザベリオ』(青磁社・2019年5月)や『自由』(書肆侃侃房・2020年12月)を読んだあとで「視界に花は」30首に触れたとき、あらためてこの作者が投げかけている問いの重さを思った。ときに原告としてみずから法廷の証言台に立ち、ときに死刑囚との面会をも試みる〈私〉の行動力の、芯の部分にある問いである。

おそらくそれは、「裁く」と「殺す」というふたつの行為が結びつくことに対する、強い感情を伴った疑問符である。

「内心の自由」が保証されているからこそ、ある者は悼み、ある者は憎む。だが、果たして憎しみには「蛍」のような光が宿っているのだろうか。「国葬」として丁重に扱われる死がある一方で、「死刑」の死は高い塀の向こうで冷えている。「ピオーネ」の鮮やかさはこの二種類の死を文字通り「黒々と濡」らすが、だからこそ何故、これらは違うのか。人が人を殺し殺されるという意味では、死刑もまた殺人ではないか。大口作品において、キリスト教は個人の信仰であるとともに、「裁く」とは何かを問う道筋であり、神の下における平等と現実社会の不平等とを照らし出す光源である。

引用四首目は当然だが〈暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた〉(齋藤史『魚歌』1940年)を踏まえている。「かくうつくしき」から「なほうつくしき」に到るまでの時間を、人が今もなお他者に死を与え続けている事実を思う。「ピオーネ」も「蛍」も「かき氷」も、重い主題を引き受けた作中にあって鮮やかに飛び込んでくるが、その鮮やかさは常に裏返しの闇を見るための、〈詠み〉の地点において何かをぐっとこらえた際の力の痕跡として、歌の〈読み〉のなかに現れているのではないだろうか。

 

 

上の鑑賞を書く際に、私は「分かる」という語を使わなかった。「分かる」という発想は、個人的なものと社会的なもののあいだに属する言語表現と向き合う際の拠り所としては、実はもっとも脆いものではないかと、繰り返し思うのである。

引用した歌は、たしかに同じ事件に端を発する社会詠である。だが人は、「同じ」であると思う地平や段階を、容易に踏み越えてしまう。社会詠だから、共通の題材だからと言って、すぐに分かりたがる。その時、〈詠み〉の時点では含まれていた個別のダイナミズムを、〈読み〉という変換を通じて過剰に消去してしまっていないか、今一度検討してみた方が良いだろう。

そしてこれは、当然ながら、社会詠に限った話でもないはずだ。