『竹乃里歌』正岡子規
「箱根七湯」は江戸時代以降に広く知られた分類であるそうだ。曰く、湯本・塔ノ沢・宮ノ下・道ケ島・底倉・木賀・芦ノ湯の七つ。大正末にさらに十二湯に増え、現在は十七湯や二十湯といわれている。インターネットで調べたのでこういった情報はすぐに手に入れることができた。病床に伏せていた子規にもインターネットがあれば、きっと少しは慰めになっただろうと思う。
この歌が収録されているのは「足たゝば」という連作だと思い違いをしていただけれど、正確には「徒然坊箱根より写真数葉を送りこしける返事に」という表題であった。有名な作品を引いておこう。
足たゝば不尽の高嶺のいたゞきをいかづちなして踏みならさましを
足たゝば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを
遠出の願望はふつうには目にすることのない富士の山頂や、エベレストの麓までをめぐるのだけれど、掲出歌はまずは箱根の山路、温泉地の風景を記している。「写真数葉を送りこしける返事に」書かれていることから、湖が映った写真を受け取ったのではないかと思う。「箱根の七湯」は現実に指を折って数えあげるもので、「七夜」は七回寝るということ。さらに繰り返し夜をこえて千夜に至るならば伝説にたどり着くわけである(『竹乃里歌』に収録されている作品は明治15年から33年までの作。「千夜一夜物語」は明治8年に日本語に訳出されているそうだ)。「水海」に月が映っているのは、すでに漢詩のような光景であって、あまり現実的ではない。この歌ではさらに舟まで浮かべているけれど、この舟はもう夢から流れ着いた存在である。このように現実を出発した願望が夢に至り、目に見えぬ山嶺をめぐり、「返事」となってふたたび現実に宿る。
このごろ考えていることで、私のこれまで書いたものをAIに参照元データとして取り込んでこうした感想文を出力してもらうと、どういった結果になるのだろうと思うのである。私の文章は、私のうみだしたそこはかとない思惟である。子規の作品は、病床にあった子規のとめどない思惟である。私は子規を読み、文章を書く。子規の手紙は、文章表現であり、かつ知人に向けて書かれた返事である。AIは、私の文章と、子規の文章を。同一のテキストとして書きだされた私の思惟と子規の思惟、私の夢と子規の夢とをどのように見分けるだろうかと思うのである。見分けがつくのならばどのようにして。どういった結果が出るのか、不思議に思っている。検索してもこの世に現れない夢から流れ着いた舟を、AIはどのように認識するだろうか。