どんよりと曇りて目鼻なき空が坂ののわが家に触るるまで垂る

『紅』河野裕子

 どんよりと一面に曇った空がわが家に触れるほどに垂れている、と歌われている。家は「坂の上」にあるというので、よけいに空が近いのだろう。「目鼻なき空」という言葉の面白さはあるが、しかし情景以上の何かを伝えている歌ではない。『紅』の中の、このような日記風の歌がわたしの心を惹くのは何故なのか。それはこの歌がわかりやすい事柄や情感を歌っていないからだ。逆にこの一首には気配というか、過剰なエネルギーが籠っていることは確かだろう。どんよりと曇った空が「わが家」の上に垂れるというのは、いわばありふれた日常の一情景にすぎないだろうが、その空が「わが家に触るるまで」とあることが読み手の心を動かし、さらに「目鼻なき空」という言葉と呼応しはじめるのだ。おそらく、平凡な日常性という枠組に自らの歌=言葉をはめ込むだけでも、私性という肉体は狂気を孕む。河野の歌には、あちこちにそうした狂気が見えている。一九九一年刊行。