人が人を呼ぶ声高くさびしさの根源のように窓は開きぬ

 『河を渡って木立の中へ』秋山律子

 誰かを呼ぶ高い声を作者の耳はとらえた。自分が呼ばれたのではないが、思わず作者はあたりをうかがう。すると呼ばれた人なのだろうか、ひとつの窓が開いたというのである。動きのある情景が見えてくるが、むろんこの歌は情景そのものを歌ったものではないだろう。中間に「さびしさの根源のように」という言葉が挟まれているからだ。

人が人を呼ぶ声を淋しいと感じ、さらにその声に応える行為をも淋しいと感じている作者がいる。それ以上のことは伝えられているわけではない。しかし、言葉では伝えにくい人間の「さびしさ」という「根源」的なものが、「人を呼ぶ声」とそれによって開かれた「窓」という映像的な表現によって、鮮やかに構成された一首といえるだろう。二〇二二年出版の作者の第五歌集。