柳 宣宏


短歌が文学である時~鳥居歌集『キリンの子』~

歌人鳥居は、朝日新聞朝刊の「ひと」欄でも取り上げられたので、多くの人がその存在を知っているだろう。歌集『キリンの子』に載せられた著者プロフィールの一部を引用する。

2歳の時に両親が離婚、小学5年生の時には目の前で母に自殺され、その後は養護施設での虐待、ホームレス生活などを体験した女性歌人。義務教育もまともに受けられず、拾った新聞などで文字を覚え、短歌についてもほぼ独学で学んだ。

入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で

自殺未遂の歌。「海のブーツ」という題のついた10首のうちの3首目。海に入って助け出してくれた人は、夜の浜辺に上がって、さぞ寒かったことだろう。2、3句目の「助けてくれた人たちは」の「は」が鈍く光る。助けられた「わたし」は、寒いと言わない。ふつうの人たちにとっては、寒いことが問題だ。だが、「わたし」にとって、それはさしたる問題ではない。当然だろう、「わたし」にとっては「死ぬ」ことが問題なんだから。そう、確かにいくらかは当たっている。でも、いくらかだ。こう問い直したい。「わたし」にとって「死」とは、何か。著者プロフィールからの勝手な想像は慎もう。この歌から考えたい。「わたし」は「寒い」を奪われている、そう感じる。「寒い」と感じる、世の中のふつうの人の感情を奪われている。「わたし」は、助けてくれた人たちと自分とのあいだにある、決定的な隔たりを感じている。結句に置かれた「夜の浜辺で」は、実に素っ気ない措辞だ。浜辺には、ふつうの感情をもった人間とそれを持たない人間と、異種の人間が同時に居て、お互いに素っ気ないのだ。

助けられぼんやりと見る灯台はひとりで冬の夜に立ちおり

同じ一連から。下句の「灯台」が、孤独の喩であることはわかりやすい。助けられた彼女は、あらためて自分の孤独を見直す。彼女は死ななくて済んだ。しかし、死のうと思ったときの孤独は、助けられた後も変らない。

靴底に砂や海藻沈めたまま入水後の冬迎えたブーツ

同じ一連から。海から救い出された時のブーツが、ある季節を経過しても、そのままになっている。生きてはいるが、死のうとした時と気持も事情も変っていない。この「死」に直結する心的水準から、彼女が「生」を庶幾する心的水準までのぼるには、どうすればいいのか。それには、奪われたふつうの感情を、取り返すことが必要なのではないか。

 次は、「職業訓練校」という題のついた一連から、いくつかの歌を引く。

昼休み「家族はみんな死んでん」と水を飲みつつクラスメイトに

さりげなく、ふつうのことのように「家族はみんな死んでん」と言ったに違いない。それが冗談ではないと知った時、周囲は凍っただろう。ふつうではない自分に、あなたたちは、ふつうに、付き合えるのか。アタシに触るな。これが彼女のメッセージだ。

昼ごはん食べず群れから抜け出して孤独になれる呼吸ができる

「呼吸ができる」というのは、生きることができるということ。それは、孤独の時に限るのだ。「家はくずれた」という一連に次の歌がある。

振り向かず前だけを見る参観日一人で生きていくということ

家族を失った彼女は、一人で生きていく他はない。こんなに悲しい、前を向く歌を読んだことがない。次は、「ヘモグロビン」から。

日曜日パパが絵本を読んでいる子供のとなり我も聴き入る

この「我」は、もう幼くない。大人になってからか、あるいは思春期か。ふつうならあり得てよかったことが、彼女にはあり得なかった。そのことがうたわれる。

作者は、水に魚が棲むように、空に鳥が棲むように、孤独な世界に棲む。自ら壁を作っているとか、内に閉じているという人がいるかもしれない。もし、彼女に家があり、自室があったなら、ひきこもっていたのだろうか。そのことは想像しにくい。なぜなら、彼女は、ふつうの子どもなら、少女なら、ふつうに持つものを奪われているゆえに孤独を選んだと思うからだ。すでにあるもののうちに籠るのではなく、世の中のふつうの人がふつうに持っている感情生活を持たずに共に生きる、その困難と痛苦よりは孤独である方を選んだのだと思う。彼女は、いじめる誰かや、冷たい社会が怖いのではない。

「みずいろの色鉛筆」の一連に、次の歌がある。

「奨学金は高校から」と言われし日募金の声を足早に過ぐ

世の中の困っている子どもたちのために、奨学金があり、募金をしている。「家族がみんな死んでん」と言う彼女は、この世の中では、「困っている子ども」の範疇に入らない。彼女は、この社会の人ではない?彼女は、身をもって知る。みんながふつうに暮らしている世の中が、自分には異界なのであり、異類である自分には息苦しい、と。孤独になると「呼吸ができる」というのは、思いつきの比喩ではない。締めつけられる喉から絞りだした命の訴えなのである。

再び、「職業訓練校」から。

強すぎる薬で狂う頭持ち上げて前視る授業を受ける

音もなく涙を流す我がいて授業は進む25ページ

私ではない人が座る教室の私の席に私はいない

ここには離人症のような自分もうたわれる。私は教室にいながら孤独である。これらの歌を読むと、自殺未遂をした夜の浜辺がふたたび思われる。救い出した人々は口々に、「寒い」と言う。彼女にとって、そんなことはどうでもいいことだった。確かに寒かったはずだ。それなのに、「寒い」が浮かばない。彼女から「寒い」が奪われている。ふつうに「寒い」という人たちの中にいて、彼女からは「寒い」が奪われている。

水とお茶売り切れになる自販機は大人が多く居る階のもの

履歴書に濁った嘘を連ねよと進路指導の先生は言う

彼女は、大人に敏感である。草原の草食動物が、肉食動物を恐れるように。履歴書に嘘を書けと勧める大人の論理は、わかりやすい。

就職に有利なように、ということだ。生計が立てば、ふつうに暮せる。そのための嘘は、君を救う方便にすぎない。職業訓練校の進路指導の先生たちには、ごくふつうの考えだ。しかし、食っていければ、ふつうの人と同じ感情を持てるようになるのか。

「濁った」という何気ない措辞に、思いを致さなくてはならないだろう。彼女は自殺から救われ、再び生きることになった。それは、死のうとまで思った孤独を、再び生きることに他ならない。彼女の場合、その孤独から抜け出すとは、「ふつう」の感情をとりもどすことだ。そこに居るみんなと一緒に、「寒い」と言えることだ。

「濁った嘘」とは、綺麗事の揶揄である。そんなことを書いて就職をしても、その先にあるのは同じ孤独であることは、目に見えている。生き直すことにはならない。生計が立てば、ふつうに暮らせる。そういう「ふつう」と、自分が今「ふつう」に置かれている状態の違いが、先生には全くわからない。この隔絶が、彼女の孤独そのもと言っていい。

もちろん、生計が立つことは、立たないよりましだから、彼女は嘘を書くかもしれないが、それは彼女の生を強めることにはならない。彼女はこう歌う。

就職は数十年後も生きていて働きますと交す約束

彼女には自分が生きていく保証ができない。

白々となにもかなしくない朝に鈍い光で並ぶ包丁

悲しいから死にたくなるのではない。悲しいとも思わないから死にたくなるのだ。つらいことがあっても、悲しいと思えないで、それで何で生きているって言えるのか。彼女の歌は、生きるとは何かを、真剣に、切実に問う。繰り返すが、彼女は「悲しい」を奪われた人である。

ここまでは、歌集『キリンの子』が、私たちに何を訴えているかを述べてきた。作者鳥居は、おそらく彼女の体験に基づいて歌を詠んだ。その歌が、同じ経験を共有しない私たちに訴えるものは、何なのか。それについて書いた。端的に言えば、彼女は、生きることとは何かという問いかけを、真剣に詠んだのであり、それだから私たちに訴えかけたのだ。

さて、彼女の歌が、単なる個人の感情告白ではなく、訴求力を持った言葉たり得るのはなぜかを、考えてみたい。

昼休み「家族はみんな死んでん」と水を飲みつつクラスメイトに

歌の解釈は繰り返さない。「ふつう」ではない自分が、強力に押し出されている。理解し難い尋常でない体験と整理しえないままのありあまる感情が、ある時の、ある場の、ある断片的事実として、客観的に描かれる。それによって、歌は、核心的なモチーフにきっちりと照準する。「家族はみんな死んでん」とクラスメイトにうそぶく彼女の心の痛苦は、誰もがわかる。このような痛い孤独を抱えながら、人は、どのように生きることが可能なのか。作者が照準したモチーフは、それだ。生きるとは何か、この普遍的な文学のテーマが紛れもないから、この歌集は訴求力を持つ。

孤児たちの墓場近くに建っていた魚のすり身加工工場

「孤児院」一連の中にある歌。孤児の死。それは、悲しむ父と母がいない、肉親がいないということだ。それは、誰も深く悲しむ者がいないことだ。そしてそれは、かれらは死んだらそれきり、生きている誰の心の中にも存在しなくなるということだ。もちろん、彼女自身がそういう身の上にある。これほど「死」について、具体的にイメージする若者がどれほどいるだろうか。下句にあらわれる「魚のすり身」は、ものがまったく痕跡をなくすことを意味しており、上句の痛切な比喩となっている。

この酷薄な運命は、孤児自身に由来しない。彼らは、自分のせいではない不幸を背負わされている点で、不条理な存在だ。作者鳥居は、生の不条理を、明晰な言葉で詠んだ。彼女の歌が、すぐれて文学的な営為であることは、間違いない。

亡くなった劇作家の太田省吾が、人間存在ということについて、こんなことを書いていた。

「昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。」これが、絵本の昔話のふつうの書きだし。ところが、かつては「おじいさんとおばあさんがありました。」だった。比較すると、「いました」は、自分からすすんでそこに居たというニュアンスがあり、意志的、「ありました」は、おのずからそこにあったというニュアンスがあり、自然生命的である。この「ありました」から「いました」への変遷は、人間の力が自然を凌駕していく歴史を反映している。それは、人間の作り上げた社会が人間の暮す世界そのものになることであり、社会からはみ出して生きることが難しくなったことでもある。

太田は、おおよそこういうことを書いていたのだが、遊牧民やイヌイットなどの暮しが難しくなったことなども思われる。

なぜこのようなことを書いたかは、歌集の歌を読んでからにする。

「孤児院」から。

全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る

剥き出しの生肉のまま這う我を蛇のようだと笑う者おり

先生に蹴り飛ばされて伏す床にトイレスリッパ散らばっていく

爪のないゆびを庇って耐える夜 「私に眠りを、絵本の夢を」

本読めぬ指にされても本を読む汚さぬようにページを捲る

孤児院で生きるほかない彼女は、凄惨な虐待にあっても、そこを逃げ出すことは難しい。幼い子どもにとって、そこが社会のすべてである時、そこで虐待されれば、孤独にならざるを得ない。耐えて本を読む姿に、孤独であるから生きられるという彼女の気持ちが、すでに見て取れる。

では、この孤児院の生活に、彼女の孤独の原点があるのだろうか。そうではないと思って、これらの歌をあげた。彼女の「先輩」を詠む視線、「蛇のようだと笑う者」を見る目、虐待する先生を見上げるそれ。いずれにも、不遜とも言えるまなざしを感じる。あんたらはそんな程度かと。彼女は、彼らの鬱屈とそれが由来する不幸とを、共に孤児院という場に居ることで察していただろう。その上で、彼女は、マイナスのベクトルの方向において、彼らの不幸より優位であると確信していたに違いない。私の不幸には、誰にも叶わない。

亡き母の日記を読めば「どうしてもあの子を私の子とは思えない」

花柄の籐籠いっぱい詰められたカラフルな薬飲みほした母

くちあけてごはんいれてものみこまず死を知らぬ子は死にゆく人に

母は子どもの目の前で、薬を飲んで自殺した。子どもは、世界中のほかの子どもと同じように、母を愛していた。子どもは、長じて、日記を読み、自殺の場面を思い返し、こう思う。わたしは、母に愛されていなかった。ほんと?そんなはずはない。でも……。自分は喜ばれて生まれたのではないのか、そう彼女は疑い、不安になった。

コロッケがこんがり揚がる夕暮れの母に呼ばれるまでのうたた寝

目覚めれば無数の髪が床を埋め銀のハサミが傍らにある

朝になり髪一面の床あればコートを羽織り鍵をかけ去る

3首をまとまりとして読めば、1首目は母に愛されている風景、2首目と3首目は、1首目の母の愛が嘘であり、捨てられたと思う自分の不安をあらわす。

1首目と2、3首目の落差が、「ふつう」の他者と「ふつう」でない私との相容れない隔絶の正体である。

孤児院や学校や職場の虐待は、共同体からの疎外を意味する。彼女は、孤独の位相に置いて耐える。しかし、母からの拒絶は、生まれてよかったのかを疑わせ、不安に曝す。それは、存在の根源的な否定に直結する。彼女は「寒い」を奪われた、と言ったのは、その謂いである。

目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ

目を伏せるのは、「月の光」を見たくないから、「かあさんのいろ」を見たくないから。彼女は、母を否定したのか。そうではない。母に愛されていないという自分自身を、思い出したくないのだ。だが、この歌は、彼女に、いつか、そうは思わなくてすむ日が来るかもしれないことを思わせる。月を仰ぐ、その日まで生きることを予感させる。

『キリンの子』を読んで、生きるとは何か、という文学の普遍的で根源的なテーマに向きあえた。この歌集のその点の卓越性については、拙いながら語れたような気もする。もう終わっていいのだが、はたして彼女は「かあさんのいろ」の月を見ることができるのだろうか、そのことについて触れたい。駄弁は省く。歌を引く。

母の死で薬を知ったしかし今生き抜くために同じ薬飲む

休日は薬を飲まず過ごしてみるこんなに細い心をしていたか

大花火消えて母まで消えそうで必死に母の手を握りおり

枯れた葉を踏まずに歩く ありし日は病に伏せる母を疎みし

秋風のうすく溜まれる木の皿に亡母(はは)の分まで梨を並べつ

対岸に灯は点りおりゆわゆわと泣きじゃくる我と川を隔てて

手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた