東京にも久しぶりに雪が降って、大雪だってことだけど、どうしてこう東京の人達は数センチ程度の雪で、やんや騒ぐんだろうかと不思議に思っている大井です。雪道の歩き方知らないから? 縦に長い日本なので「雪」に対する思いも、その人の生育環境に応じていろいろなんでしょうけど、僕、東北生まれなので。まあ、今、僕の住んでる所では、多摩川の河口からそう遠くない、つまり海が近いってこともあって、ほとんど積ってないんですけど。
「生育環境」なんて書きましたが、人間が生れてから死ぬまでの時間と、それを超えて流れている時間とは、当然ながら不可分で、その不可分の時間を無理矢理に生物的な「個」に当て嵌めちゃったのが、近代的な「個人」というまぼろしだという気がしています。
先日、歌人の川野里子さんとお話ししていたら、川野さんがこんなことを言ってました。「あの世にもひとつ『歌壇』があって、そこからこの世に本が送られて出版されてるような気分になるわね」と。「たしかに」と応えました。そうなんです。遺歌集となるものが、最近多いのです。さっと思いつくだけでも、
『パン屋のパンセ』 杉崎恒夫(六花書林)
『少時(しまし)』 森岡貞香(砂子屋書房)
『地の世』 竹山広(角川書店)
『てんとろり』 笹井宏之(書肆侃侃房)
などが挙がるでしょう(他にも、前登志夫さんの死後に刊行された著作・歌集や、新たに単行本化された塚本邦雄さんのエッセイも記憶に新しいとこですね)。それだけ鬼籍に入られた歌人が最近多いということなので、悲しいことには違いないけれど、これらの著述は、『遺作』という成立事情を一旦措いてみても、それぞれが魅力的で良い歌集・著作だと思います。
森岡さんについては前作『九夜八日』に続いてのもので、またもう一冊、刊行が予定されているというので、それも待たれます。竹山さんの『地の世』は、『眠つてよいか』以降の作品(実質的な創作日数は十二ヶ月だそうです)が集められています。
・あたらしき日を吾は持たずブランデー滴らせ紅茶かたはらに置く /森岡貞香
・中空にいでてめぐれる鳥の様子の急に低くなりぬ何を見る (註1)
・わが脈をそしらぬふりに確むる明け方の妻脈はあつたか /竹山広
・ことばつくして励したまふありがたさ電話に受けて素直に忘る
森岡さんの歌の、僕は良い読者ではないんだけれど、「鳥の様子」から「何を見る」という結句にいたるまでの、景と思いの流れを言葉の運びの急旋回に載せる手法には、森岡さん独自のものがあるように感じます。また、追悼記念として編まれた『短歌』の特集記事(註2)の中にある花山多佳子さんの文章を思い出すと、紅茶入りのブランデーをめぐって、森岡さんと花山さんの歌とで、歌物語が出来あがるんじゃないんだろうかとも思います。生きている間には、お互いに明かさない心の内も、追悼の言葉とともにその人が思い出される時に、振り返られた時間が新しい意味をもって立ちあがってくるというのが、こうした遺歌集の魅力なのかもしれません。
竹山さんの歌集『地の世』は、その作品を読み進めながら、読者も死に臨むことになるようです。生き残ったものとしての僕らは、旅立った死者の一人称での死を、ついに体験することができないけれど、死に臨んでいる人が自分の衰えを冷静にみつめ、また歌にすることで冷静になった結果としての作品を通して、「僕の」死を見ていることになるのかもしれません。「脈はあつたか」と問うことで自分の存在を確かめる。それは人が最後の最後まで人と関わりを持ちながら、人にその存在を認めてもらうことで、その存在が自身にも認識されるということを端的に示してるんじゃないんだろうか。そう。認識されなくなった時こそが人の死なんだと思います。だから、「死」を狭く捉えて、「個」の生物的な死と同義に捉えるのは、やっぱり少しおかしな人間観なんじゃないんだろうか。デカルト的な「自我」概念を、実際の人間に当て嵌めると、少し窮屈なんですよね。殊に、後世に作品が残る仕事をした人の場合には、尚更。
さて。森岡さん、竹山さんらが歌壇的にも(と言って、僕は「歌壇」なるものを実際には見たことが無いんだけど(勿論雑誌のことじゃないです))良く知られた作家だったのに対して、杉崎恒夫さん、笹井宏之さんは、残念ながら死後にその歌名が知られたような状況でした。ほんとにもったいない。
それぞれの遺歌集となった『パン屋のパンセ』と『てんとろり』の出版に尽力された皆さんに対して、僕は心から「ありがとうございました」と言いたいです。また、笹井さんの『えーえんとくちから』(PARCO出版)についても同様です。僕らの時代にもこうした素敵な歌集が生まれた。歌友がこぞって故人の作品を収集し、選歌し、歌集を編んだ結果、多くの人に読まれる作品となったということに、素直に感動します。『パン屋の…』を、僕はようやく第4刷で手に入れることができたけれど、恐らくは版元さんさえも驚くほどの多くの読者を得たんじゃないんだろうか(杉崎さんの第一歌集『食卓の音楽』も、どこかで復刊して貰えないもんでしょうか)。
歌人が歌集を編む場合には、歌の選びや並び順、一聯の構成などなど、当然、その全てに思いを反映させることができます。けれど遺歌集の場合、よほどその歌人が生前に整然と準備していたのでもない限り、自ら出版するものとは異なります。「母がこの体裁を見たら、きっと「貴男、これは歌集ではないわ、資料ね!!」と酷評するでしょうが」と『少時』の編集にあたった森岡璋さんが「後記」に書かれてます。そう。遺歌集を編むということは、故人の「思い」とたたかうことでもあって、編む側としては、寂しいけれどその作品に向き合っている間はその人を身近に感じることができる、楽しいけれど辛い、という精神的に複雑な位置に立たされてしまうことになります。そうした相克をも経て世に出た歌集ということは、読む側にもしんしんと伝わるものなんだと思います。
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』より
・晴れ上がる銀河宇宙のさびしさはたましいを掛けておく釘がない
・バレリーナみたいに脚をからませてガガンボのこんな軽い死にかた
・微粒子となりし二人がすれ違う億光年後のどこかの星で
・石鹸がタイルを走りト短調40番に火のつくわたし
・この夕べ抱えてかえる温かいパンはわたしの母かもしれない
*
・たそがれにこそ会はましを紫式部(カリカルカジャポニカ)は秋に瑠璃色木の実
笹井宏之『てんとろり』より
・渚から渚へつづくトンネルを運ばれてゆく風のわたくし
・一様に屈折をする声、言葉、ひかり わたしはゆめをみるみず
・喩えではなくてちぎれてゆくひとの、さようなら一枚の青空
・挨拶の代わりにからだいちめんに花を咲かせてしまう曾祖母
・さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに
*
・ひとときの出会ひのために購ひし切符をゆるく握りしめたり
附箋を付けながら読んでいくと、附箋が足りなくなるほど、杉崎さん、笹井さんの歌集には良い作品が並んでます。杉崎さんは九十歳で、笹井さんは二十六歳で儚くなられてしまいましたから、現世の年齢的には相当の開きがあったわけだけれど、その詩的世界は近接しているのかもしれません。ただ、杉崎さんの「われ」はある「個」としての独立性をもっている感じがするのに対して、笹井さんの「われ」は変容・汎化していくものとしてあるような感じを受けます。笹井さんの「われ」意識は、ひょっとすると渡辺松男さんの短歌に見られる「われ」の意識に共通しているのかもしれません。
杉崎さん、笹井さん、二人とも口語脈の柔らかい日本語を極限まで駆使することで、口語脈のことばが詩のことばとして立ちあがっている。そう感じます。そして今回の歌集で気付くことは、口語脈の短歌が目立つこの二人の歌人の中にも、別の語法があって、そうした作品もきちんと歌集の中に位置付けられているということです。それぞれ「*」印の後に一首だけ引用したものです。「こそ会はましを」という古典的な日本語を、旧かなでさらりと書き、「紫式部」を「カリカルカジャポニカ」と読ませる。技巧が目に立つという嫌いもあるけれど、杉崎さんがこうした語法を手中におさめていたということが、他の口語作品の裏側にあったということに、「やっぱり」という感覚を持ちます。笹井さんの場合は、実名の「筒井宏之」として発表された作品とのことですが、短歌的骨法をのみこんだ歌いぶりには、確かな素養を感じるんじゃないでしょうか。
・砂時計のあれは砂ではありません無数の0がこぼれているのよ /杉崎恒夫
・砂時計のなかを流れているものはすべてこまかい砂時計である /笹井宏之
杉崎さん、笹井さんの歌集をあわせて読んでいると、こんな歌合せのようなものを考えたくもなります。二人とも、時間を分断して考えることの不可能さを、つまりは時間の本質的な連続性を、異なる詩句で語っているように思えます。
杉崎さん、笹井さんについては、その作品に対する評論と、作者に対する評伝とが書かれることが待たれます。その肉体が死んだからといって、作品に働きかけることをやめてしまうことは、歌人としての二人を殺してしまうことに他ならないわけで、作品について語り、作者について語り続けることで、作品は磨かれ、作者の存在も輝きを増すんだと思います。当然、良い面も悪い面も含めて。故人だからと言って、神や仏のように崇めて口を噤んではいけない。人が作品を生んだのです。天使が生んだのではない(天使の直観が働いたということはあるかもしれませんが)ので、それらすべてをひっくるめて日本語の財産目録に加えるための営みを、生き残ったものであるところの僕らが続けなければならないんじゃないかと思います。『遺歌集』とは、だから、その営みの端緒なんだと思います。
結局、大田区にはほとんど雪がつもりませんでした。予報では今日は雨なんだけれど、きれいな朝焼けが、ついさっき出てました。未来は、やっぱりまだ予測不可能ってことで安心します。今日は、杉崎さんの歌に敬意を表して、モーツアルトの40番で過ごすことにします。
(註1)パソコンでの表示を考慮して、『少時』の用字とは異なる字体で引用しています。
(註2)『短歌』2009年03月号所収「楕円のテーブル」花山多佳子
花山さんは、次のように書いています。「森岡さんはいつも紅茶を淹れてくださるが、そこに小さなガラス容器に入ったブランデーを、思い切り振り入れるのである。それを飲んだとたん、何か世の中から隔絶したふしぎな空間に入ったように思われたものだった。私たちは鋏や糊を手に、切り貼りなどの作業を始めるのだが、たちまちに森岡さんの思い出話の中に吸い込まれていく」と。そして自作を二首挙げています。
・まぼろしのごとく円卓に人らゐて長き戦後は室内に充つ
・うつくしく老いたる人と共に在るこの日月のかりそめならず
花山さんのこうした思いと、森岡さんが「あたらしき日を吾は持たず」と嘆じていたということ、それが同じ「ブランデーを滴らせた紅茶」に凝縮しているようで、これはもう一つの呼応した歌物語のようで。
編集部より:森岡貞香歌集『少時』はこちら↓
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