島田 幸典


「たらちね」の言語生活―豊潤なる混沌

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 江戸落語に「たらちね」というよく知られた演目がある。長屋住まいの八五郎に縁談がにわかにもちこまれる。何から何まで良縁に思われるが、ただ一点言葉遣いが丁寧にすぎるのが玉に瑕なのだという。それでも「思い立ったら吉日」で、八五郎はその日のうちに(これが落語の落語たる所以だ)祝言を挙げることを決める。

 
 この新妻、京の出身で漢学者の娘というだけに初お目見えの名乗りからして仰々しい。手許にある五代目小さんの録音では「妾(わらわ)の姓名は、父はもと京都大内山の産にして姓は安藤、名は慶三、字(あざな)を五光、母は清(きよ)女と申せしが、三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見て妾を妊みしがゆえに、たらちねの胎内を出でしときは鶴女鶴女と申せしがそれは幼名、成人の後これを改め、千代女と申しはべるなり」と来るからたまらない(*1)。「あァら我が君」という強烈な呼びかけはもとより、江戸っ子の八五郎にとっては面喰らうことの連続で、以下若夫婦の頓珍漢なやりとりが続くことになる。

 
 笑いの核心は、夫婦の言葉遣いのズレにある。いや、そんな公平なものではなくて、ここでは江戸ことばが標準語の地位を占めるのにたいして、余所からやってきた妻の言葉がとことんデフォルメされることになる(*2)。それは古語・漢語・京(女房)ことば等様々な言語体系の、誇張された文体模倣に基づく雑多な混成言語であり、八五郎(と彼に同調する噺の聴き手)の標準的言語感覚から乖離すればそのぶん、混沌とユーモアが醸しだされることになる。

 

 だが、見方を変えれば、聴衆は二人の言葉をちゃんと聞き分けているのであり、千代女の混成言語でさえ、すべてではないにせよ、なかばは理解できるからこそ八五郎の誤解を誤解として笑いの種にすることができる(もし、そうでないのなら、八五郎と同じように我々もまた当惑するよりほかにない。)もう一つ言えば、千代女の言葉が、たぶんに庶民が別世界の人にたいして抱く揶揄を含んだ想像に沿うかたちで変造された、人工言語であることも、聴き手は了解している。そこを承知のうえで、噺家の作為が言葉の落差と、そこから生じるおかしみを増幅させることを期待し、また喜んでいるわけである。

 

 落語に興じる庶民は、なんと分厚い言語生活を享受していたのだろう。「たらちね」で笑える人は、身めぐりの言語環境の多層性について自覚的な人である。それはなにも特別なことではない。我々も生活のなかで言葉を使い分け、また聞き分けている。方言、標準語、敬語、ジャーゴン、仲間内の省略語。自称や他称も相手次第でちゃんと変えている。インターネットの出現によって、日常使用する文体はいっそうの多様化を迫られさえした。五七五ないし五七五七七という定型もまた、所によって使い分けられる発話様式の一モードだったのではなかったか。旅先や記念の日に一句捻りだすという習いは、その名残であろう。

 

 そろそろ短歌の話をしようか。「たらちね」を持ちだしたのは、なにも口語と文語の対比に擬(なぞら)えたかったわけではない。我々の言語生活は、多層的で複雑である。ただでさえ精妙な話し言葉の周囲に、じぶんでは用いないが聞けば分かる言葉が存在する。さらにそれと並行して書き言葉の世界があり、これらの領域は読書や外国語の体験に応じて広くも厚くもなる。それなのに文語対口語という対立図式を過度に強調することで、歌の作り手・読み手が抱える言語生活の多層性への注意を怠ったなら、不毛な結果を導くだけであろう。口語/文語という切り口も、日本語を構成する多様な要素を大雑把に整理分類するための一視点にすぎない。その表層のしたで日本語はたえずたがいに差異化しているのであり、我々もまたそれを日々使い分け、聞き分け、あるいは読み分けている。

 

 そういう言語環境のなかで定型詩を書くということの意味は、「たらちね」における千代女の役回りを積極的に引きうけるということにあるのではないだろうか。つまり、言葉の奥行きや表情の多様さを浮かびあがらせる媒介としての役割を、定型詩は担っているのではないだろうか。短歌表現は言語生活の豊潤な混沌を活かすものでありたいと私は思う。

 

 

(*1)第一九四回東横落語会(一九七七年二月二八日収録)。
(*2)東西間の違いという点は強調しないほうがよい。「たらちね」は、上方落語では「延陽伯」にあたり、そこでは標準的言語感覚を構成するのは大阪である。言語上の差異は、地域差というより社会差に基づいている。千代女ほど誇張されたかたちでなく、かつ相応しい時と場を得たなら、鹿爪らしい言葉遣いは上品さや厳粛さ、さらには威厳の感覚さえつくり出すだろう。