加藤 英彦


父は山にて小川はむすめ   ~上村典子歌集『天花』を読んで

  今年の八月二十二日、現代女性歌人叢書の第一冊目が刊行された。上村典子歌集『(てん)()』(ながらみ書房)である。上村には五冊目の歌集になるが、歳月の濃淡のなかに人生の起伏はじつにさまざまな表情をのぞかせる。それはわたしの人生ではないが、そこにたしかにひとりの生の影が濃く刻まれていることに驚かされる。その影の克明を辿ってゆくと、なぜかこころが疼くのだ。それらは、汲みあげられた山水のように鮮しい。そして、読み了ったわたしのこころを重たく豊かに満たしてくれる。

 

   かなかなはわれをもたざるひかりなりひかりのこゑをこぼしてやまず

   わが恋に汁椀ほどのみづあかりあれば朝夕机辺にひかる

   浅葱は糸葱とも書き葱に棲む春の心やそのうすあかり

 

  歌集の最初のほうに、淡いひかりを纏った作品が何首かあらわれる。かなかなは〈われ〉を持たざる生であるという認識が、まず巻頭に示される。あれは蟬という個体ではなく、夏のひかりなのだという。かなかなの声を〈私〉は天から降る「ひかりのこゑ」なのだと思っている。

  二首目も、だれへの恋なのかは明示されていない。それは過ぎ去った淡い記憶のひかりなのかも知れない。あるいは、庭の池水が照り映えるのだろうか、朝夕の机辺にちいさく揺曳するひかりがある。それがとおい恋の岸辺と照応する、わたしにはそんな印象をのこす一首である。

  三首目の糸葱の束には、「春の心」が宿っている。仄かなひかりである。それは外光をうけて輝いているのか、葱の内部から発光する繊いひかりの束であるのか       〈私〉はそこに「春の心」を感じている。上村典子の感受性は、こうした微細なひかりのうごきに敏感である。

 

   戦争に狩られざる児らなづむなく和す声あつし白組つぶせ

   懸命に車椅子駆くる徒競走少年少女の二の腕勁し

   笛太鼓にぎにぎしきは一日のみ七十人の生徒の学ぶ

 

  突然、この「紅組白組」という運動会の一連はあらわれる。一首目には、「かつて次代の戦力とは見なされず、学童疎開の対象とされなかつたであらう生徒たち」の詞書きが添えられている。そうか、肢体不自由児は戦力外として疎開の対象とはされなかったのか。太平洋戦争当時、政府が大都市の児童を学校ごと集団疎開させると閣議決定したのは、戦況の敗色濃くなった昭和19年6月であり、同年8月から学童疎開は始まっている。

  そのとき、肢体不自由児をふくむ虚弱児童はその対象からはずされた。国の方針は「人的にも物的にもいわゆる戦闘配置を整え、国家戦略の増強に寄与せしめること」にあり、当時の東京都長官はその方針に順って「帝国ノ学童疎開ハ将来ノ国防力ノ培養デアリマシテ、学童ノ戦闘配置ヲ示スモノデアリマス」と明言している。「学童ノ戦闘配置」とは、児童を次世代の戦力として温存することを指す。要するに、〈戦力〉たり得ないものは切って落とす強者の論理である。その結果、当時の養護学校の校長や教員は教室に畳をいれ、校庭に防空壕を掘って、全校児童とともに避難した。昭和19年7月のことである。これを「現地疎開」といった。

  前掲歌は、現代の運動会風景ではあるが、上村はそこに戦時の歴史を重ねている。当時であれば、この子たちも「学童疎開の対象とされなかつたであらう」というのだ。「戦争に狩られざる」ことの幸運は、その一方で疎開の対象からは外されるという別の意味での生命の危険を引き受けなければならなかった。それは国家にとって有用な戦力たり得ない、まるで河原の石ころ並の扱いである。

  一首目の「白組つぶせ」と和す声の熱さも、二首目の懸命に車椅子をあやつる少年少女の「二の腕」の強さも、健常児(いやな言葉だ)と変わるところがないどころか、腕っぷしはおそらく健常な児童たちよりよほど頑健であったろう。ノーマライゼーションが普及しつつある現代にあってすら、障害のある児童にむける社会の視線は、あからさまでない分だけより暗く屈折し、潜在化しながら今も生き続けているようにわたしには思われる。

 

   昼休み十七歳の排便を手ぎはよろしく拭ききよめたり

   クリスマスソングに少女の四肢うたふこゑはなけれど破顔一笑

   不実なと叱りとばして六限目いきいきとせるわが疳の虫

 

  この生き生きとした光景はどうだろう。昼休みに〈私〉は、十七歳の女子生徒の排便処理をしている。歌集では、「のりこせんせい上手くなつたね」などと、この寡黙な少女に褒められたりもするのだ。そして二首目、クリスマスソングのリズムに合わせて全身をゆする少女の笑顔を、わたしはありありと思い描くことができる。教師でありながら、「不実な」と生徒を叱りとばして生き生きとする「わが疳の虫」もいい。そこには、日常の喜怒も哀楽もわかちあう対等な人間同士の関係が見てとれる。

  障害のある子のこころの純粋さに学べという人がいる。わたしは、そこにも某かのバイアスがかかっているように思う。障害のある子が〈純粋〉なのではない。彼らもときにずるかったり、妬んだりもする、他の子たちと何ら変わらない普通の子どもたちなのだ。肢体の不自由は排便処理に介助を必要とするが、音楽を全身で感じとる力をもち、ひとたび車椅子に乗れば風を切って疾走する躍動感ある二の腕をもっている。もし違いがあるとすれば、彼らにはわたしたちと同じように生きるための社会的な生活環境が整っていないということだろうか。

 

   逆流の胃酸が喉までのぼりくるふかく会議に負けにし夜は

   虐待の闇の池より釣られこし小鮒の(なづき)少年はもつ

   母と子のもつれてしづむ沼()れば少年ながくひきこもりゆかむ

   灼くるごとき子へのこころをわれ知らず 子を産み育て 少年潰す

   息子死ぬるまで続くと母は 排泄、着替へ、摂食の日々

   をののきは便器の蓋をあぐるとき嬰児の頭蓋浮きてをらむか

 

  任意のページから引いているので、状況は異なるのかも知れないが、この会議とは職員会議だろう。夜まで紛糾した会議で〈私〉の主張は通らなかった。めざすべき理念や方向性のちがいだろうか。実現にむけての考え方や手法のちがいだったかも知れない。あるいは、改革派と現状肯定派とのちがいであったか、国の基準に追従するか学校の独自性を押し通すかの決定的な対立であったかも知れない。会議の詳細はわからないが、とにかく〈私〉は負けた。信じるものが通らなかった口惜しさだけが残った。しかし、この譲らなかった頑迷さをわたしは信じてよいと思っている。

  二首目の虐待は、子どもにとってはまさに「闇の池」である。家庭という密室内で行われるために発見が遅れがちだとはよく言われる。そこに、虐待を疑われても確証がないという理由だけで通報しなかった近隣社会や、虐待の痕跡をうっかり見逃してしまう教育現場が拍車をかける。子どもにとっては、出口のない生き地獄である。加害者がDV被害者であることもある。暴力はつねに弱いほう弱いほうへと向かうから、この暴力の連鎖が最終的に行きつく先は子どもや高齢者たちなのだ。身体的な虐待は痕跡をのこすが、精神的な虐待はさらにむずかしい。

  しかし、この虐待を受けている小さな魂と向きあうことは、わたしは文学として可能だと思っている。さらに誤解を怖れずにいえば、虐待する側の加害心理に寄り添うことも、虐待された小さな魂を反対側から照らしだすもうひとつの表現の可能性を残しているように思う。この上村の描くような心の闇の深さが、もっと現代短歌に生まれてきてもよいはずだ。

  三首目、四首目は、子に過剰な愛をそそぐ母と引きこもりの少年である。ときにこの過剰な愛が少年を潰してしまうという背理に〈私〉は気づいている。だから、母親がわるいというのではない。ことはそう単純ではないだろう。先の虐待は、一方的な加害行為によって少年のこころが潰されるのだが、ここでは「灼くるごとき」一方的な愛がひとりの少年を潰すのだ。ここにも出口は用意されていない。

  上村の勤務校は「総合支援学校へと編成され、肢体・知的・聴覚・視覚・病弱の五障がい対応となつた」と詞書きにある。前掲の三、四首目はその詞書きを受けた作品であるが、五首目は総合支援学校へと編成されたあと、デイサービス施設で卒業生の母親に出会ったときの作である。障害者である息子が死ぬまで、私の「排泄、着替へ、摂食の日々」は続くのだと告げる母親の言葉には、すでに介護への疲弊の色が濃厚である。日々の介護は被介護者への愛だけでは完遂できないという現実は、この例を待つまでもなくリアルな社会的実態であるが、家庭内介護の場合、介護者である母が死ねば、息子の死もその延長上に容易にみてとれることをこの母親は知っている。知っていてなお、息子が死ぬまで「排泄、着替へ、摂食の日々」から私は解放されないのだという思いは、倫理を越えた覆いがたい現実としてある。

  一首目の夜の会議に負けた〈私〉はこうした現実と向き合っている。正解はどこにもない闘いであるがゆえに、議論も紛糾して尽きなかったろう。多角的な議論は大いにされてよいのだが、理想論だけで論評する評論家たちとちがって、上村たちはそこからひとつの具体的な結論を導きださなければならない。不完全を承知のうえで、いま選択できる最も現実的な方法を絞りだすことをしなければ、目の前にいる救済を待つ子どもたちは救われない。終わりのない議論を終わらせて、多くの課題を残していることを承知のうえで、ひとつの決定をくださなければならない。そうした決断を迫られる立場につねに〈私〉は立たされている。

  最後の六首目は、きわめて暗示的である。夜に帰宅して便器の蓋をあけたとき、そこに嬰児の頭蓋が浮かんでいるのではないかという。それは嬰児殺害の幻視であるというより、便器のなかに浮かんでいるのは、行き場を失った嬰児そのものである。今の社会では、いつも被害者は弱者ばかりなのだということを上村は身に沁みているにちがいない。こうした作品が社会詠としてでなく、日常詠として詠われるところに現代の病理の深刻さはあるのだろう。

                    *

   犬にのみ語りし恋のひとつあり老いふかめゆく犬を(いだ)きし

   伯耆冨士初冠雪と案内(あない)するやまみづ奔るがごときよきこゑ

   菜園の明眸皓歯霜とくる朝をかがやく水菜・春菊

   渓谷を抜けてはひらく秋の(まみ)豊後水道また日向灘

   天衣無縫、テンイムホウと呼びかけむ南東へゆく暮鳥の雲へ

 

  遠いむかし、犬にだけ語りかけた淡い恋は成就しなかったのだろう。そのことは問題でない。今ではすっかり老いたこの犬を、〈私〉は昔語りをするように抱き寄せるのだ。それは老犬と〈私〉だけが共有するなつかしい歳月である。

  いっぽうで、上村典子には二首目から五首目のような風景にかかわる佳品も多い。地元の観光ガイドの声は「やまみづ奔るがごときよきこゑ」であり、ひかりを帯びた水菜・春菊は「菜園の明眸皓歯」である。渓谷を抜けてひらけるのは「秋の(まみ)」であり、そこに「テンイムホウ」と「暮鳥の雲」のさりげない配合がひろがりを添える。この詩の適量を心得た措辞が巧みだ。

 

   佐野洋子われに呼びかく寂しくばいそいそと来よ死のこちら側

   病む父にむかふわたしの狭量をゆるめむとして立ち食ふうどん

   目に追ひて父はわたしを亡き母の名にて呼びたり三たびがほどを

   雪払ふ一月の檜葉 台座には火葬了へたる父の在りたり

   さびしいかさびしくないかさびしいかせいせいとして冬のあをぞら

 

  一月二十四日、上村の父はその生涯を閉じた。遺品の日記には「天下無敵の我が儘娘」と愛情いっぱいに書かれた父の文字があった。〈父を許さず父も許さぬひとつことあるを噛みしむあるをかなしむ〉と詠い、〈父は母にあへただらうか極月のぬくき日和の空にかはりて〉と詠う上村である。不眠不休の介護が続いたのだろう。

  家族には家族のたったひとつしかない歴史がある。そして、ある日ひとりずつその歴史の扉をとじて深い眠りにつくのだ。母との物語も、父との物語もそこで終わりである。そこから、また残された者たちの新しい物語がはじまる。

 

   山と川くすぐりあひて笑ひをり山は父にて小川は娘

   新雪にあづきをのせてわかちゐし二歳は父と(てん)()の庭に

 

  歌集名となった「(てん)()」は山口市天花、地名である。アルバムに二歳の〈私〉は新雪にあずきをのせて庭で父とふたりで分けあっている。まだ父との物語が始まったばかりの、とおい記憶の一枚である。上村典子は職を辞し、愛犬とわかれ、母とわかれ、父とわかれて、これから夫とふたりだけの人生を歩みだすのだ。

 

   あゐふかきどてらを蒲団にかけくるるあなたをチチとよぶことにする

   招き猫の座布団ほどの掻揚げのうどんの湯気に鼻まで濡るる