「正史」の罠にはまるな。

 

睦月都の評論「歌壇と数字とジェンダー――または、「ニューウェーブに女性歌人はいない」のか?」(「短歌往来」十二月号)を読んだ。それによると、今年六月二日に名古屋で開催されたシンポジウム「ニューウェーブ30年「ニューウェーブは、何を企てたか」において、つぎのような発言があったという。

 

荻原 次の質問にいきますね。「ニューウェーブの女性歌人は」って、すごい質問だな。千葉聡さんの質問ですが、「ニューウェーブで男性4人の名前はあがりますが、女性歌人で同じように考えられる人はいませんか」です。論じられてないのでいません。それで終わりです。(以下略)

 

「他の質問については四者順繰りにマイクを回していった場面で、この質問にかぎっては荻原の以上の発言のみであっさりと次に移り、会場には戸惑いの空気が生まれた」と、睦月は書く。終盤、東直子から「ニューウェーブという言葉によってくくられる短歌史の認識に関しては、なんで林あまりさん、早坂類さん、干場しおりさんなどが、あまり論理の俎上にあがってこないのかとずっと疑問に思っていました」と問題提起がなされたが、加藤も穂村も「女性歌人をニューウェーブに入れる必要はない、歴史的な定義からいって無理だ」と述べるにとどまった。

 

こういった議論が起きてまず思い出されるのは前衛短歌のことだ。「前衛短歌」というタームはもっぱら塚本・岡井・寺山のものとなり、葛原や山中や中城ら、そこにはいなかったはずのない女性歌人たちが、定義上排除されてしまうこと。多くの女性歌人たちが、正史の中に確かな立ち位置をもたないこと。今回、荻原や加藤、穂村から「ニューウェーブはこの四人だ、女性歌人はいない」という宣言がなされた瞬間、まるで裁判官によって「短歌史」という見えない大きな書物の一頁に「正史認定」の重厚な判を押されたような、そんな錯覚を受けた。

 

睦月はこのように書いて、川野里子や佐々木朔、瀬戸夏子などを引用しつつ、歌壇の女性排除の構造に異議を申し立てる。

 

 

ネットを開いてみると、ブログ「はやくおとなになりたい」がシンポジウム当日の発言メモをアップしているが、先の東直子の質問に対する加藤治郎の回答は

 

前衛短歌にも、葛原妙子や山中智恵子は入らなかった。女性はこういう時代の括りにとらわれない、自由に天翔ける存在だから。

 

というものだったという。ひさしぶりに脳が沸騰した。睦月が抗議の筆をとるのも、もっともなことだ。

 

 

問題は複雑にいくつか絡まりあっている。少しずつ解きほぐしていってみよう。

まずはじめに、この数年、瀬戸夏子・睦月都・佐々木朔をはじめとする若い女性たちが、歌壇中心からの女性排除の構造に対して、また男性のほとんど無自覚なセクシュアル・ハラスメントに対して、真正面から異議をとなえ始めていることを掲げたい。ここに書く睦月の文章にしても、堂々と胸を張ったさわやかさが流れているところに、新世代の空気を感じる。

 

そもそも男女平等だの女性の権利だのと声をあげて主張することを、日本社会の深層意識は忌避するところがある。平等だの権利だの言わなくても日本にはうるわしい「女手」の文化伝統があると、ほかならぬ女性の側から反論の来る時代を過ごしてきたわたしとしては、うらやましいくらいのさわやかさだ。

 

(注・「女手」は女が創出したものではない。平仮名やその書字は男性を主として女性もいくらかは混じっていたかもしれないという程度の文化的蓄積から現れてきたものである。さらに現代とは違って「女手」という語の使われ始めには非公式・私的なといったいぐふん軽んずる意味が添っていたはずだ。)

 

女性国会議員の割合は、日本(衆議院)では193カ国注165位(列国議会同盟2017年度ランキング)、世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数も、日本は144カ国中114位(2017年)というていたらく、世界で拡がっているME TOO運動にも反応の鈍い日本といった、わが国の女性に対する人権意識の低さではあっても、若い世代には確実に浸透していることをうかがわせる。

 

 

しかし、それにしても、彼女たちは、どうしてこんなに「正史」という言葉(たとえカッコ付きであっても)を口にするのか。

辞書的な意味では、「正確な歴史」「正式な歴史」とあるが、少なくとも「正史」というからには、しかるべき史観のもとに一次資料の渉猟がなければならないだろう。史観はさまざまにありうる。木俣修の大正昭和短歌史も、篠弘の現代短歌史も、いずれも一次資料にあたった重厚な短歌史だが、だれも「正史」だなどと思ったことはないはずだ。

見る角度が違えば、異なる史観がありうる。異なる史観の提出こそ、意味のあるところだろう。もし、そのもろもろの史観のなかの一つを「正史」(正式な歴史)とすることがあるなら、そこには強大な政治的権力が介在する。これが、歴史というものの現実だ。

 

わたしは歌壇に「正史」と言われる短歌史があるとはまったく思わないし、まして「ニューウェーブ」世代についての一次資料を渉猟した短歌史書は寡聞にして見たことも読んだこともない。もし、あるのだったらご教示を乞う。

つまるところ、瀬戸夏子や睦月都たちのつかう「正史」という言葉は、歌壇通念としてなんとなく是認されている共通理解、せいぜい『岩波現代短歌辞典』とかの記載事項くらいを指すように思える。もちろん、何とない共通理解という雰囲気は、むしろ雰囲気だからこそ人心を強固に束縛するとも言える。何か厳然たる「正史」が眼前にそびえたっているかのように錯覚しないではいられないこともわからないではない。

 

そのような錯覚を前提とすれば、そこからの女性の排除が不当だとする要求はまことに正当なものだが、一抹の疑念の湧くこともおさえがたい。

それなら、男性側が要求をのんで数人を「正史」に入れてくれることがあれば、女性たちはおさまるのだろうか。もし、そうだとすれば、中心を形成して誰かを排除しようとする中心志向の構造をたんに追認是認、強化するだけのことではないか。

 

「正史」「正史」という若い女性たちの本音は、もしかしたら、この男性中心市場万能の競争社会のなかで勝ち組になりたいという〈剥き出しの野心〉のあらわれにすぎないのか?

 

 

しかし、また、ひるがえって考えてみれば、彼女たちの〈わたしたちは「正史」から排除されている〉という抗議の言葉は、じつは〈場〉によって誘き出されたものとも言えるだろう。

冒頭紹介のシンポジウムでは、ニューウェーブの代表歌人は荻原裕幸・加藤治郎・西田政史・穂村弘である、と西田を除く三人自らが断定したそうだ。

本来、きちんとした歴史記述は第三者によってなされるものであろう。当事者の発言は、あくまでも当事者からの見方にすぎない。

にもかかわらず、たぶんこの三氏の存在した〈場〉は、彼らの発言を「正式な歴史」として認定させるべく要求圧力の高いものであって、その無言の政治的圧力が、彼女たちに思わず「女性を「正史」から排除するな」と口走らせたのかもしれない。

 

「正史」からわたしたちを排除するな、と他者に声をあげさせてしまえば、自分たちが「正史」として是認されることになる。一方、他者は、いじましい要求を突きつける存在へと身を落とす。要求が通っても、通らなくても、袋小路。罠だ。

 

 

佐々木朔「歴史について」(早稲田短歌四十六号)によると、「短歌の口語化を推し進めた世代は、大きくライトバースとニューウェーブの二つに分けて呼ばれている」と『岩波現代短歌辞典』1999年刊の記述にもとづきながら述べる。(ちなみに三省堂の『現代短歌大事典』2000年刊には、「ニューウェーブ」の項目は立っていない)。

 

わたしの記憶を合わせても、ライトバースの命名は岡井隆であってその頃の現象を名づけたものであったが、ニューウェーブはその後、加藤・荻原ら一部の若い男性歌人たちが自称したものであった。

佐々木朔の整理によると、昨今はそれがどうやら「方法意識を持たず、時代に対応して自然に口語で作歌していた女性歌人」たるライトバースに対するに「明確な方法意識に基づいて口語短歌を理論化した男性歌人」たるニューウェーブ、という図式に変じているらしい。

短歌の口語化という八十年代半ばからの時代の潮流全体を、自称「ニューウェーブ」グループが自らの功績として覆うのは、これは明らかにゆがんだ見方である。もし、そういう言説があるとすれば、それは短歌史というよりも、当事者の主観的回想にすぎない。

 

そこに短歌史としての意識が少しでも働くなら、まずは俵万智をあげないわけにはいかないだろう。睦月や佐々木の文章によれば、彼らは俵万智や林あまりたちを切り離して「ニューウェーブ」四人の功績を前景化させているやにうかがわれる。

もし、そうだとすれば、そんなものは「正史」でも何でもありはしない。捏造だ。

 

 

加藤や荻原ら「ニューウェイブ」の歌人たちは、意図的に自分たちの口語短歌を前衛短歌を継承するものとして位置づけようとした。そのことによって俵万智や林あまりたちばかりでなく、七十年から八十年代にかけての女性たちのシンポジウム活動の時代、女歌論議の時代が「無いもの」にされていった。

あれは、昭和十九年生まれの会主催のシンポジウムだっただろうか。戦後の短歌史をふりかえっていくつかのセクションにわけたとき、その作成年表には、女性たちの活動は書かれていなかった。「こんなふうに消されていくのね」と誰かが言った。

 

 

冒頭引用の荻原の「論じられてないのでいません。それで終わりです」という言葉は、痛烈だ。

「正史」の罠にはまるな。歴史は上書きせよ。

女性歌人を歴史に残したいなら、きちんと対象として捕捉せよ。対象として捕捉するということは、讃嘆するにせよ、批判するにせよ、その人をひとりの創作者として見るということだ。

 

佐々木朔の文中、わたしが俵万智の批判をしていることについて数行触れているが、わたしは歌壇うちもっとも真剣に俵万智を論じた一人であると自負している。