歌集を読むということ

なんとなく僕は「ビブリオバトル」のようなものを思い浮かべていた。

が、その予想はいい意味で大きく裏切られ、候補作を実際に読んでみればどれも一冊の歌集と誠実に向きあった文章ばかりだった。

現代短歌社のBR(ブックレビュー)賞のことである。
 
 
謳い文句は「ブックレビューに光を!」。

これは面白そうなところに目をつけた、と思った。同時に、それが「賞」として成り立つのか、疑問も湧いてきた。

角川「短歌」や「短歌研究」、「歌壇」、「短歌往来」、そして「現代短歌」、書評が載っていない短歌総合誌は存在しない。結社誌もほぼ同様だろう。

僕も機会に恵まれて何度か書かせていただいたけれど、あれほど楽しくもあり、ややこしくもある原稿はない。

読者が歌集に興味を持ってもらえるように、しかし褒めるばかりでは不自然にならないか、作者が読んだらどう思うか、とか、まあ、あれこれと考える。かなり昔の話だけれど、ある後輩が批判的な書評を書いたところ、お叱りを受けて掲載が見送られたと噂に聞いたこともある。知らず知らずのうちに、そういう暗黙のフォーマットというか、書評とはこういうものだと、ある程度のイメージが共有されているようなのだ。

いい書評とはなにか、今回、その評価軸が明らかになるのではないかと、僕は結果発表を楽しみに待っていた。ついでに踏んではいけない地雷があるのなら、これも知っておきたかった。

募集〆切が今年の六月一日。二〇一九年の一年間に刊行された歌集から応募者は好きな一冊を選び、規定の分量の書評を書く。選考委員は内山晶太、江戸雪、加藤英彦、染野太朗の四人。

はたして残念ながら、第一回は受賞「該当作なし」の結果に終わった。予選を通過した作品は十三篇で、そのうち上位の七作品が佳作として「現代短歌」十一月号に掲載されている。順に乾遥香の吉田恭大歌集『光と私語』評「短歌という「光」と「私語」」、沢茱萸の相原かろ歌集『浜竹』評「あるがままの風」、石井大成の吉岡太朗歌集『世界樹の素描』評「〈ほんまのこと〉への機構」、近江瞬の田中有芽子歌集『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』評「時空を超えて出会う」、朝凪布衣の柴田葵歌集『母の愛、僕のラブ』評「「正しさ」への光」、山﨑修平の吉田恭大歌集『光と私語』評「仮構された「私」あるいは「私たち」」、木下美樹枝の佐佐木定綱歌集『月を食う』評「現代を食べる」。
 
 
江戸は選考会の開口一番「書評とはどういうものなのか考えながら、候補作を読みました」と発言した。選考委員のあいだでも、書評とは何かを問い直そうと、いくつもの意見が交わされた。

加藤は「読者のほうを向いて書く」こと、すなわち「批評者の分析の提示」ではなく、「未知の読者」に対して「その作品の魅力や一冊の価値を読者に示す」のが望ましい書評のあり方だと説く。

内山は「書評って結構むずかしいと思うんですよ。宙ぶらりんな文章というか。かっちりした評論というわけでもないし、やわらかいエッセイでもないし、その間のバランスをどうとるのか」と、書き手のとるべきスタンスの難しさに注意を払う。

BR賞のコンセプトに文句をつける意図は一切ないことを断ったうえで書いておくと、短歌総合誌に掲載される一般的な書評と、今回のように「賞」の応募作品として書かれた書評とでは、その意味合いが異なってくるのは自明だろう。

応募者の立場から言えば、ひとつは、書き手が匿名の状態で読まれること。ふたつめは、ふつう書評の対象となる本は、依頼されて書くのに対して、BR賞では、取り上げる本を選べること。そして最初の読者が「選考委員」であることだ。

応募側も選考側も、こうした微妙にして決定的な差を意識しながら書評を書き、読まなければならない。不自然と言えば不自然な話だけれど、考えてみれば評論の賞も、作品の賞であっても、これは新人賞の場に働く共通の力学なのだろう。

さて、一般的な書評とはなんだろうか。

歌集が出る。書き手が決まる。誌面に掲載されるまでの期間は、だいたい三ヶ月から半年くらいだ。

SNSが今日ほど浸透するまでは、最初の「歌集が出たこと」を知る機会が、読者にはなかった。その意味で総合誌の書評は、刊行案内の役割を果たしていたと言えるだろう。
 
 
そこに「批評」の入る余地があるのか、どうか。
 
 
もちろん「ある」と答えるべきなのだろう。「現代短歌」同号には内田樹、添田馨、永田和宏の三氏が「よい書評とは」というテーマの文章を寄稿している。

内田はやや及び腰に「批評的な立場は苦手」だと書き、添田は「美の痕跡を見出し、自分自身の精神をそこに共振させ」ることに詩歌批評の本質を見出す。

永田は赤坂憲雄と丸谷才一の著書を引きつつ、書評を取り巻くふたつの認識、すなわち「書評に批評など必要とされていない」という苦い現実認識と、「それでも書評は評論に通じる批評であるべきだ」という批評家の矜持とを示した。

現状はどうか。「書評という文化」を支える書き手は、歌壇には皆無と言わざるを得ない、と永田は嘆く。実作者が互いの読者であり、書評の書き手でもある短歌界の構図が「できるだけ波風を立てない無難な仲間褒め批評がまかり通ることになる」事情を生む。

そのしがらみを超えて「信頼に足る書き手を確立する」ことはできないのか。

永田は、新聞の書評委員のような専門家を短歌総合誌にも置こうと提言するが、誰がその任に当たるとしても、いずれにせよ、短歌に「批評」が成立するのか、という最初の問いが立ちはだかる。

もう少し、批評家ではなく読者寄りの立場で書かれたブック・レビューも、数こそ少ないけれどあると言えばある。書店員の梅﨑実奈が書く「文鳥は一本脚で夢をみる」がそうだ。書肆侃侃房の短歌ムック「ねむらない樹」に連載されている。

二〇一九年三月、Twitterで千種創一の作品〈アラビアに雪降らぬゆえただ一語 ثلج (サルジュ)と呼ばれる雪も氷も〉が「こんな短歌を詠みたい人生だったな」の言葉とともに投稿されると、たちまち拡散され、リツイートは一万回を超えた。

その勢いを前にして、短歌にとって、歌集にとって本当に必要なことは何か、僕は考え込んでしまう。たとえば僕の耳に痛かったのが、江戸雪のこんな選考の言葉だ。「作者がどんな人かというより、その歌が社会とどんなふうにつながっているかとか、そういうところに行きついてほしいな、と書評に対してわたしは思うんですよね。」

書評を書くとき僕が気をつけているのは、作品を一首以上、紙幅のバランスが許すかぎり多めに引用すること。必要と判断すれば作者のプロフィールや新人賞の受賞歴など、歌集のバックグラウンドに言及すること。など、なんというか、情報を盛り込むことに意識が向かいがちだった。

作品が「社会」とつながっていくこと、そういう視点は抜け落ちていた。千種の例は、一首の歌が「批評」を飛び越えて「社会」とダイレクトにつながった例だと僕は思う。

いい書評を書くのは難しい、とわかっただけでも第一回は、僕にとって大きな収穫だった。選考委員の見解で共通していたのは、「作品に即して言葉を紡ぐ」ことだ。添田馨の言葉を再掲しよう。

「言葉の芸術たる詩の価値とは、これを深層のレベルで発見し、掘り起こし、泥を落として磨きあげ、そこにまぎれもない美の痕跡を見出し、自分自身の精神をそこへ共振させ、そのことにより発生する意識の余剰を、こんどは自らの言葉で第三者に伝えうるかたちにまで精緻に加工して、再提示する」。

ハードルを上げるつもりはないけれど、第二回以降、さらに創意を凝らした批評が読めることだろう。新しい書き手の登場を、楽しみに待ちたい。
 
 
 
角川「短歌」十月号では、岡井隆の追悼特集が組まれた。

特集のひとつ「岡井隆マイベスト歌集」には、二十五人の歌人が寄稿している。一九五六年の第一歌集『斉唱』から二〇一八年の最終歌集『鉄の蜜蜂』まで、三十四冊。人気なのは第五歌集『鵞卵亭』だった。歌人への思い入れとともに、それぞれの歌集に対する思いが語られた。

追悼座談会では岡井隆の歌業とその評価をめぐって率直な意見が交わされ、興味深く読んだ。

短歌の近代的な一人称性を、戦後、新たな文学理論の裏付けによってアップデートした一連の歌論の意義は広く認められた一方で、遺された膨大な短歌作品のどこをどう評価するかは、かなり意見が分かれた。

弔意の言葉もほどほどに、『土地よ、痛みを負え』の目覚ましさ、『朝狩』の映像的な鮮明さ。大辻隆弘は「文語と口語がハイブリッドに合体した」晩年の『鉄の蜜蜂』を高く評価する一方で、永田和宏は後期以降の実験的な文体を退け、「岡井隆の意義を論じるのなら、『人生の視える場所』で終えたほうがいいと思う」と断言する。あの歌集はどうだ、この歌集は。

これこそが、まさに「ビブリオバトル」の様相を呈していた。

作者をよそに、作品がこんなにも侃々諤々と語られるのは、僕の勝手な想像だが、歌人を除けば、映画監督くらいだろう。

歌を読み、歌集を読んで、歌人は何を語ろうとしているのだろう。歌集を読むとは、いったいどういうことなのだろうか。