認識の不変と更新 百々登美子歌集『荒地野菊』

昨年8月に刊行された、百々登美子氏の第11歌集『荒地野菊』(砂子屋書房2020.8)を長い間かかって読んだ。なぜ長くかかったのかといえば、次の歌に立ち止まったからである。

 

若き日のわれを求めてこし人が帰り際いふ小さく「わかつた」

 

百々登美子氏は「原型」に所属、かつては山中智恵子、佐竹彌生と盟友で、中部地方の短歌シーンの中核を成していた。その作風は幻想的な指向を含み、さらには鳥をモチーフにした歌も多く、「鳥の歌人」とも呼ぶ人もあった。これらの経歴はほかに詳しいからこの辺でとどめるが、本歌集はそれらのもともとのその印象からは少し逸れるのであった。それは本人の手によらない遺歌集だから、という類のものではない。

その気持ちは、上に引いた歌、「若き日のわれを求めて」百々氏を訪ねて行った人の気持ちとおそらく同様なのだろう。しかし私にはまだ「わかつた」とは言えなかった。なにがそうさせているのだろうか。

 

不動かと見てこしものがふいに動くひかりの中を蝶ぬけゆきし

 

認識の更新

この歌で印象的なのが「こし」である。「きた」という古語だが、先々月に挙げた永井祐さんの「ている」と同種で、ここでは「見てきた」という意。これは継続しているものの過去形ともいえ、見たという動態の内容を方向付けている。

ここでは、3句目「ふいに動く」の扱い方で意味合いがより多くを含む。

一つには、ずっと「不動か」(動かないのか)と、「見てきた」ものが、ふいに動くという読み方である。いわば、「動かない」という自分の中での把握・認識が、「ふいに動く」全く異なるものに更新される瞬間を描いている。その正体とは「蝶」であったのだが、蝶そのものよりも、認識の翻りのほうに軸足がある。もう一つは3句目「ふいに動く」を4句目の「ひかり」にかかるとして見る読み方である。動くのは、「ひかり」なのか「蝶」か、両義的に捉えられるようにしているのはしみついた方法によるのかもしれない。

たとえば、この読みにおいて、最初の「若き日の」の歌を見てみよう。これも「若き日のわれ」を思って、「求めて」きた人の印象が「わかつた」という結句で更新がなされる瞬間を描いている構成であることがつかめる。しかし、何が「わかつた」というのだろう。それは読み手のありように託されているのである。

このように、『荒地野菊』には、主体の、既存の認識の更新の瞬間を描いたものが多く見いだされる。次にあげてみたい。

 

同じき闇みてゐるとふも錯覚かとびら出づれば牡丹ぼうたんの花

 

昨日ありしもの今日なくて風吹けば百日ももひ百夜ももよは生の塵めく

 

花はいづれ根にかへるともけさ見たる莟の色は少し翳れる

 

廃屋と見てこし大き建物に人の気配す音ゆきたがひ

 

昨日おぼえて今日は忘れてしまふこと嘆きにもならぬ朝涼あさすずのなか

 

一切れの柑橘うまし若き日はきらひし酸味いつか身に添ふ

 

少年は青年となりささやかな品物もちて雪の日にきぬ

 

たとえば、4首目「廃屋と見てこし・・」の歌には前述した既存の認識の更新が顕著にみられる。「廃屋と見てこし」建物に人の気配がするという。今までそう思っていたものに別の要素が加わるとまったく別の表情を見せるという小さな気づきをつねに主体は持っている。

以前、たしかに見ていたのである。しかし、現在は異なる。そうした更新と変容が幾度となく詠われていく。儚さとも違う、今見ているもの不確かさを、確かめるように詠う。

 

 

不変への視点

次に多く気が付くのは更新されないものについての気付き・確認である。こちらは歌集後半に多く見いだされる。

 

渡り切ればそこにポストのあることを幾度おもふ冬のこもりに

 

戦没の少年の墓のかたむきを正す人なく漫然の春

 

もはやわれ知るもの居らぬ町筋をゆるゆる過ぎてのちにさびしむ

 

分裂のごとく内より出でゆきしもう一人のわれなつかしむ春

 

ふと気づきそして忘れて夜半おもふ八月四日わが生日を

 

山にまだ不明者ありと知るときに過ぎし時間は遠き闇

 

 

不変であること、存在し続けること、1首目、「ポスト」はずっとそこに在り続けていたはずで、2首目、「少年の墓」もいつからかずっと傾いたままだった。

3首目、4首目は主体自らについて言及している歌。「もはやわれ知るもの居らぬ」という。「われ」はずっと居るが、周囲が変わっていったのである。結果「知るもの居らぬ」という状態になっている。気楽だがさびしい、そんな気持ちが表れている。

4首目、「わが生日」も、動かされない唯一性をもつ一日であろう。しかし、主体その人にとっても「ふと気づきそして忘れて夜半おもふ」という不確かな位置づけ、他者性を出した存在になっている。五首目も同様に、離人感がある、存在というそのものを問う歌になっている。不変であることを深く疑う、そんな視点が読む人の視点を攪乱し、問うていく。

 

過去を語りにくる人はみな敬遠しあした、あしたといふ人に会ふ

 

百々の病は日々深まっていったのだろうか、死はいつしか近接したものになり、既に亡い父母の像が頻繁に歌に現れる。

「あした、あしたといふ人に会ふ」、時間の変遷と不変とを見つめ、なお更新をしてゆくことを強く指向した意識が見える。最初に掲げた歌の、他者による「わかつた」という理解のレベルを拒み、すぐに到達されないような、自らの不変の部分、更新の部分を絶えず見つめているようでもある。これら百々氏の詩魂を綴じた本歌集を、その歌人像を全照射しつつ、さらに評価してゆく人があってほしいと思う。

youtubeに、昨年11月に、岐阜県の「古今伝授の里フィールドミュージアム」で行われた「第8回・古今伝授の里・現代短歌フォーラム」での小塩卓哉氏による講演の模様がアップされている。1960年代の岐阜県における前衛短歌運動を中心に、百々登美子氏の参加していた同人誌『假説』について、詳細に言及をされている。

第8回古今伝授の里・現代短歌フォーラム「第1部」

ひとりの歌人の一つずつの歌業が、様々な人々によって丁寧に辿られていくことを望む。