北辻一展さんの歌集『無限遠点』(青磁社・2021.7)が刊行された。描写力の確かな、歌に重量感のある一冊である。作者は医療者であり、職業に関する作品も収録されているが、この歌集の魅力はそのことよりもさらに詩的な表現によるのだろうと思う。さらに考えて、何をもって詩的と感じるのだろうか?さらに読み深めてみたい。
視点を絞るということ
本歌集で非常によく見られるのが、対象の大→小への視点の移動である。
大学にある千の窓その窓のひとつ灯して実験をする
キャンパスで測量実習する人のなかをわれは歩みぬ
数万のつぼみのなかに花びらは畳まれており朝の河岸に
漁船にて往診する医師たちと雲間より降るひかり見ており
胸骨圧迫を施行している高みから処置を急げる上級医見ゆ
一首目は歌集巻頭にある歌で、印象的なものになっている。大学の棟に無数にある「千の窓」→「その窓のひとつ」を灯すという。全体に含まれる個である自身の存在を意識的に観察している。
二首目、大学内での光景。「測量実習する人」のなかを「われ」が歩む。「われ」だけが異なる動きをしている。
三首目は花の咲く風景か。「数万のつぼみのなか」に「花びら」という一枚の断片を意識する。「花びら」に関して、存在の場所が「つぼみのなかに」と「朝の河岸に」と二つに分散してしまっているのが気になるが、美しくみずみずしい雰囲気になっている。
四首目、離島への往診のさなか。「医師たち」のなかに主体は含まれているが、「雲間より降るひかり」は唯一性を醸している。
五首目、医療行為の最中。上級医だけが自分たちよりも概観的な視点をもっている。全体を見ている人が見えているのである。では主体自身とは何か?問われてくる歌である。
これらの表現とは、やはり主体という「個」の抽出にほかならないだろう。個という存在を再確認することで、主体の存在位置が確かになるのである。布石のように「個」の歌をくり返し置くことで、主体の志向するものを徐々に見せていくという方法だ。人物像の掘り下げとして有効な方法だが、一方で、視界が同様のものが多いということでもある。志向されるもの、表現との関係性を改めて深く考えさせられるものでもあろう。
比喩表現
本歌集の詩的な表現を支えているのが比喩表現である。
吹雪の日は望遠鏡にいるようで白さの中に人吸われゆく
会える日を告げえざるときはつ夏の立葵のごと喉は伸びる
わが身より枝折るように取り出した体温計に微熱の表示
いくつかの約束事の紙切れをピンで押しゆく蝶刺すごとく
抽斗に乳首のごときつまみありその影ながく床へと垂れる
比喩表現に於いて、作品は抜群の抒情を見せる。「~のごとく」と直喩が多いが、これらの歌のみ集めて歌集にしたらもっと違う雰囲気のものになったかもしれない。一首目は閉ざされた距離感のない、降雪の日の情景。「望遠鏡にいるようで」は「望遠鏡の視野の中にいるようで」ではない。説明的ではない。二首目はまっすぐな様子を「はつ夏の立葵」に託す。立葵のイメージと心象があっている。別歌集でも触れたが、これは「夏の向日葵」ではいけないのである。三首目・四首目、自然の事物を喩に使う。五首目は一首全体が「つまみ」の比喩描写となっている。女性性も感じさせながら情念のようなものの引きずる感じがある。
この歌集には医療者としての歌が多くみられる。と、判断するのは、医療用語(名詞)が入っているからだ。描かれる「私」を考えるとき、「私」がはらむ属性としての職業は、「私」にいかに関与してゆくのか。職業に費やす「私」は、いつしか職業のそれと果てしなく同化して、純粋な・属性のない・何者でもない「私」は消滅するのだろうか。
本歌集では、さらに私の「私」と公の「私」とが隔てなく混ざり合う。しかし、上にあげた比喩表現があるのは私の「私」を詠んだ歌が圧倒的に多いようだ。反対に、医療用語か頻出する歌をここで引かなかったのは、医療者としての「私」を描いた歌に感動するとき、読み手とは医療の新奇なことばに惹かれるのか、そうでないのか、不明だからだ。たとえば、「Aライン、CVカテ、気管挿管患者のめぐりに音なくさやぐ」(p159)という歌は、筆者個人は一読しても意味が取れない。Aライン(動脈ライン・動脈内カテーテル)、CVカテ(中心静脈カテーテル)なのだが、では、筆者のような読者はどこに心を動かされているのかさらに分けて考えてみると、この場合では用語の新味とそれによるわからなさによるのではないかという答えに行き着く。
全人的な「私」を描くとき、どのような方法でアプローチするのがよいか、書き手の現在の各個の身の窶し方にもよるのだろう。本歌集のようなタイプの、作者と主体が限りなく=で結ばれている歌集においては、私人としての「私」と公人としての「私」を対何割で曝露させてゆくのか、ということではなく、もしも職業的なものであったとしても、そこから何を見てゆくのかということだろう。歌集に何を収載し、何を描きゆくのか。さらに考えてゆきたくなる歌集である。