時間の遡行と表現 川野里子歌集『天窓紀行』

川野里子氏の『天窓紀行』(2021・8 ふらんす堂)は、ふらんす堂のホームページ上に掲載される「短歌日記」の、2020年の1月1日から12月31日まで、一日一首、366日分(うるう年の一日分含む)の歌を収録している。少し前に刊行された『歓待』(2019.4 砂子屋書房)が、老いた母君との日々をテーマとし、一冊全体で大きな連作として成立させていたのに対し、この『天窓紀行』は、大きく形態を異にする。端的に言えば、連作を拒否する構造を持っている。この歌集の歌を読んでいくことで何らかを明らかにしたい。

 

思考の逡巡

日付でいえば三月ごろまで、川野氏の叙述体には、次のような形式が多くみられる。

 

IターンしてUターンして自由形ありバタフライあり友の生き方   1月16日

 

帰りきて帰りゆくなり渡りするツグミにおほきな空といふ家       1月17日

 

渚であるか山巓であるかうたた寝ゆ覚めて見廻す眩しきリビング 1月20日

 

みしらぬ草みしらぬ国で食べてをり草食獣に生まれ変はりて       1月29日

 

空を飛びまた空を飛びかへりきて羽繕ひせず脱ぎぬコートを           2月12日

 

あそこにもここにも巣穴の気配して気づけば春のマンホールある       3月16日

 

難攻不落 つひに敵来ず誰も来ず誰かを待ちかね春の城跡                    3月20日

 

挙げた作品のなかで、並列、あるいはリフレインで表され、示されてゆく構成は、事実を表すこと以上に、その韻律とともに強調する意味合いが大きいだろう。それは描かれている事象の動態ということではなく、状態そのものの描写を強めるということである。

たとえば、ここで挙げた五首目は、氏がマレー半島をめぐって帰国したときの作品であるという。上句の「空を飛びまた空を飛びかへりきて」は、二首目に挙げた「帰りきて帰りゆくなり・・」とほぼ同じ構成になっている。下句に主軸となる要素がくる。往還する対象をどう表すか、着想はいつも一定の、「起点・帰点とはどこか」という、主体の逡巡から来ているようだ。上句で繰り返される類似の語句は、主体の逡巡であると同時に、この設定へどう取り組むかといった逡巡も含まれるようにも思うのは筆者だけだろうか。

 

存在について

「をり」ラ変動詞の頻用にも注目したい。

 

脱いだまま読みさしのまま言ひかけたままそこにをり亡き人なれど 4月15日

 

陽だまりに輪郭溶けつつ猫ねむり液化してをり目覚めるまでを   4月30日

 

尾を垂らし狸あらはれつくづくと吾を見てをりそこにゐたかと   8月2日

 

ざふきんがけしてをり廊下を光らせて父母の生きたる時間の上を  9月8日

 

夜のビルのガラスのなかに人ひとり働きてをり漂ふ匣に        10月6日

 

ここで挙げた作品は、つねに存在が「ある」ことについて言及したものだ。亡き人、猫、狸、自分、労働する人が、主体が見ている視界の中にたしかに存在している。もっと言えば、主体が注目して目を向けて見たある区切られた時間において、その視界の中にずっと存在し続けていて、主体はそのし続けるという線ではなく、点としてある存在を見ているのである「点」を見ている主体とは、いつを存在している主体なのだろうか?タイムラグがある設定のなかで、なお「をり」という存在は、永遠の時間を保っているようでもあるし、時間の概念を覆しているようにも考えられる。

たとえば、五首目は夜のビルでなお働く人を見つめた作品だ。視点は遠くに引いていて、明かりのともったビルが景として見える。そこにうごめく人がいる。視点の側は別な場にある。相互に過ごしている時間は交わらない。だから、ビルで働く人は、思い返すという時間において、主体のなかに再生される。その時間は日記形式、それも後日的な、という発表の場でどのように内包されていくのか、ということである。

 

日録ということ

これまで、このふらんす堂の「短歌日記」は東直子氏(2007)岡井隆氏(2010)永田淳氏(2011)ら、これまで10名の歌人が携わり、今年、2021年は大辻隆弘氏がホームページにて目下連載中である。掲載の短歌はその後、歌集として刊行されている。筆者も過去刊行された何冊かを拝読する機会をいただいたが、どなたの歌集においても感じるのは、構造的、時間的な制約が多いことである。

構造的というのは、日記形式のことをいった。一日に一首と、その歌に関するごく少ないメモのみが掲げられるというなかで、伝わる作品を詠む。連作形式に慣れてゆく人にとっては、案外難しいことかもしれない。連作であるとき、通底する題材か主題にそって歌があった場合に、作品間で、相互に情報を補完するような構成は不可能かもしれないのだ。短歌がはじめ一首ずつで成立していたことを考えるとおかしな話ではあるが、いかに私たち歌人が連作形式に慣れ過ぎているかの証左でもあると思われる。

 

時間的というのは、二つあって、一つは日記といっても、その日そのときのものがリアルタイムで掲載されるというのではない。実際、川野氏のあとがきにも「作品は1週間前に提出することにしたため、この歌集での出来事はおよそ1週間遅れている」とある。毎日先方に送るということにしても、その日が終わって書き留める、あるいはその日のはじまりに言う、といった日記の定義からは外れている。(これは設定上やむを得ないことではある)

 

二つ目は、そうした日記的な要素を保ちつつ、設定上の制約を遵守しつつ作歌されていく行程についてである。「日記」としてその日を何らかをいい、また連続性を持たず、記す行為をする、一個の、同一の主体が存在するという設定は、作成に多くの約束事ができるだろう。(もちろん、それらをまったく無視して、あらかじめ作っておいた連作を一首ずつ載せていく、という方法もあるけれど、それでは、ふらんす堂が志向した「短歌日記」の趣旨をまったく無視したものになるし、ここではそういう方法を取らないことを前提として話す。)

だとすれば、この「日記」というのは、記す行為者を取り巻く、外部的な・そのときの時事・季節など、内部的であれば、行為者のごく短い、ある区切られた時間やある区切られた思考を歌として実現させたものに限られるということになる。

 

歌には定型をはじめとして様々な制約があるが、日記形式は定型という制約の上にさらに時間的構造的な制約をもたらすものであった。また、実現可能かどうか、「日記をつけている主体の一年という日々」の連作として構築できるかもしれないが、読み手にその構成意図が伝わるかどうか疑わしい。それほど一首の屹立性が前提とされているからだ。日記形式という構成には、なお大いに思考する余地がありそうだ。