高木 佳子


必然性のある歌 立花開歌集『ひかりを渡る舟』

立花開さんの歌集『ひかりを渡る舟』(2021.9角川書店)は、豊かで鋭い感性と詩的な広がりを感じさせる作品が収められている。この歌集は五章に分けられ、主体の生の行方が鮮やかに記されていく構成だ。

作者の立花さんは、名詞のイメージを上手に使っていくタイプの歌人だと感じる。一首に、必ず布石となる語句があり、その応答が布石より後出する語句に使われていく。また、連作という単位についても、読者が導かれていくように順番が緻密に構成されている。これらから、ひとつずつの例をとって考えてみたい。

 

色彩の統一・「白」

歌集を通して多く見られるのが、「白」という色である。

 

抱きしめる君の背中に我が腕をまわして白い碇を下ろす

 

金木星の匂いは白き鳩のかたち撃ち殺すのも誰かの愛さ

 

もう歩けず片眼も見えず祖母も逝きひねもす眠る白き置物

 

白き我が家の天窓見上げたり底方そこいにおれば月光眩し

 

日常に声のみ混ざりゆく人よその背景の桜白かり

 

一首目、鋭い詩的な表現が際立つが、詩的である条件を成り立たせているのは、白色の使い方に起因するようだ。「抱きしめる」というエネルギーが向かう対象が上句で詳細に表出され、逆に四句目半ばから結句までは語句の飛躍がある。「白い碇」とあるが、白くなければならないという必然性が一首ずつを成立させているのだ。これは読み手のなかにある、白という色のイメージを十全に生かしながら、無垢だが傷つきやすい造形を示唆していく構成だといえる。

対象を描いた上句は、情景を表すのにやや説明的な組み立てが垣間見える。言い換えれば、一首の構成の密度が濃いのだ。これは一首目だけではなくほかの歌にも言えて、たとえば三首目は、結句の「白き置物」を描きたいのか「祖母」の無力感を描きたいのか、重心が二分されていて、読み手の側では何等かの具体的な像を結びにくい。これは核心についての描出の動詞の数が多いからである。モチーフが過密で、情報量が多いことが多くこの歌集に通じる特徴である。情報量の多い中で、時折「白」という色を使った歌を点在させることで、連作全体にも詩的で無垢な印象を描出させているのは、過密なモチーフと反対にすっきりしたイメージが生まれるからだろう。

 

 

場所の通底・「海」

もう一つの特徴が、海をモチーフにした、連作の組み立てである。

 

来る波がだんだん小さくなることに安堵の海を泳ぐ寂しさ

 

磨り硝子の向こうに古代の海があり泳ぐシーラカンスの幻

 

明るすぎて冷たい浜辺 持ち切れぬものとして足跡を残せり

 

クジラには万の言葉が満ちていて時折悲しみが遠鳴りす

 

挙げればなお多く見つかる。こちらも「海」という語句の持つイメージを大きく使った例だ。深淵なもの、包含するもの、多くの人が共有するイメージを上手に活かして構成している。「海」というモチーフは、既視感があり、描き手には使いやすく、読み手もイメージ喚起される。好んで使われるモチーフであるだけに逆に使いづらい面もある。しかしここでは、そんな使いづらさは見えてこない。

作者にとって、主体をどう歩ませるかは、作品の方向性を決める大きな要因だ。浜辺か廊下か、草原か、友の横か、場所や事象が持つ、含意あるいは喚起性によって大きく歌の面持ちが違ってくる。意図したのか、実際に取材したからそうであったのか、実際からさらに高次の表現に行き着かせるときに、何を絡ませるかはその人自身ということになろうか。本歌集も簡単なようで難しい題材を、果敢に挑んでいるようにも見える。たとえば4首目は、浜辺の光景だが、砂浜に残る足跡を心象風景に重ねている構成だ。容易に想像でき、場面が浮かぶ。それはなぜであるか、各人共通のイメージを使っているからという好例である。

ここまで見てきて、主体が一つの生を紡いでゆくというオーソドックスな構成は、私性の充実した歌集なら時系列に組むことが自然とそれと近づくけれども、一つの主体として作品世界を構築してゆくときには、一つの主体が矛盾しない内容を保ちつつ、なおどのように構築されていくかは、使う語句の種別によって左右されるのである。

衒学的な語句を使った場合、衒学的な作品世界が構築され、口語を多く使えば口語の軽やかな、文語を使えば、重厚な作品世界が生まれるだろう。これらが意識無意識に使用されているかは別として、読み手は記されている語句を、挙げた「白」や「海」と同様にシグナルとして受けとるのであって、さらに使用すれる語句は描き手にとって必然性がなければならない。だ

とすれば、よく聞く「置換可能な」とは、いったいどういうことであるのだろうか。置換可能であることは、一方で必然性はなく不全でもあるのだ。素早く作られた歌はそのように伝わるし、精魂込めた歌は、そのように伝わっていく。

歌を作る人は、自身が置換不可能な・必然性を見出した語句をどれほど使っているのだろう?そうした観点においては立花さんの歌は、必然性のある語句が込められた濃密な世界を感じるものだった。タイトルの「ひかり」は光ではないし、「舟」は船ではない。どれも語句の選択に意志が働いている。述べてきた「白」や「海」といった名詞と、緻密な構成は、作者にとって「今・ここ」の必然の問題なのだ。