一度短歌で遭難しかけたことがあります。原因は短歌地図が違っていたことでした……と書き始めると、短歌が樹海か何かのように思われてくるのですが、私の遭難は文字通り“難”儀に“遭”うたことを意味しています。この話はフィクションではなく、実在の人物、団体、事件に関係します。
あれは2021年末のこと。私は学部生で、客員講師として短歌実作を担当していた奥田亡羊さんの授業をモグリで受講していました。この授業をきっかけに私が竹柏会に入会するのはまた別の話です。
ある日のこと、亡羊さんから「髙良さんのことを題材にして総合誌に文章を寄せるのですが、構いませんか。迷惑をかけるといけないので匿名にしておきます」という話がありました。早稲田短歌会で使われていた独自の歌会用語に関するものかなぁなどと思案し、二つ返事で「構いません」と答えたことを覚えています。
そうして発表されたのが奥田亡羊「短歌地図が違う」(『歌壇』2022年1月号)でした。独自の歌会用語に関する批判もありましたけれども、この文の要旨は、ある学生歌人との会話から着想を得た学生歌人批判にあります。当該文章を引きます。
学生短歌会に所属し、短歌総合誌にも寄稿する、ある若手歌人とよく話をする。学生時代には俵万智の『サラダ記念日』しか知らなかった私に比べたら、彼の博識には感心させられる。ところがその彼がときどき、首をかしげたくなるような変な発言をするのだ。
例えば話が口語短歌に及んだとき、岡井隆の口語歌集はどう思いますか、と私が問うと、「すみません、岡井はまだ読んでいないんです」と特に悪びれる様子もなく答える。
〔中略〕
先週は真顔でこんなことを聞かれた。
「奥田さんの世代はライトヴァースの陰に隠れてあまり読まれていないんじゃないですか?」
私の年齢がよくわからなかったのだろうか。吉川宏志、梅内美華子、大口玲子、横山未来子、松村正直、江戸雪、高島裕、大松達知、島田幸典、松本典子……まさに多士済々、前後も含めて同年代の歌人を数え出したらきりがない。それぞれにスタイルを確立し、テーマの掘り下げも進めつつあって、今まさに脂が乗り切っている世代だ。もちろん文語も自在に使いこなす。この分厚い歌人層が見えていないのだろうか。
-奥田亡羊「短歌地図が違う」『歌壇』2022年1月号
「彼」になっているのは匿名化するための亡羊さんによる配慮ですが、読む人が読めば誰の話かはわかるようです。『歌壇』が発売されたのち「これ髙良さんのことだよね。大丈夫?」と数人から声をかけられました。非難されているのは私の顔によく似た藁人形なので、そんなに気が動転したりはしなかったのですが、確かに良い気はしません。引用箇所のあと、話は書肆侃侃房の歌集ばかり読まれていることや、近年刊行された3冊のアンソロジー(『桜前線開架宣言』、『短歌タイムカプセル』、『はつなつみずうみ分光器』)だけしか読んでいなかったとしたら、「現代短歌の地図はかなりいびつなものになるだろう」ことにも及びます。
「短歌地図」のポイントは二つあります。まず岡井隆の受容に世代差があること。次に昭和40年代(1966~75)生まれの歌人の受容にも世代差があること、です。それではこのタイミングで、学生歌人の「彼」に代わって、髙良真実(マミィ)の代弁(※1)をさせてもらいます。先月から亡羊さんは『心の花』の時評を担当されていますので、何かしらの反応があることを期待しています。
岡井隆の受容に世代差があることについては、短歌に触れてきた時間の長さが反映されていることを指摘しておきます。岡井は、同年代に登場した塚本邦雄や寺山修司に比べて、これから短歌をはじめる人にとって受容に時間のかかる歌人です。私は生前の岡井の謦咳に接することが叶いませんでした。同じ立場の人間はこれから減ることはあっても増えることはないでしょう。どの歌集が重要で、どの歌集から読めば良いのか。記憶すべき岡井の秀歌はどれか。夭折した寺山と、2005年に没した塚本に比べて、岡井の業績を整理した書籍は未だ不足しています。最晩年の歌集を含めた岡井の全業績を収録した全歌集も未刊行です。
そんな中、2023年に大辻隆弘『岡井隆の百首:調べのうたびと』が刊行されているのは貴重なことです。私はアララギ関係の評論で大辻の記述を信頼しています。この本の解説で、大辻は岡井の文体変遷を5つの時期に区分しています。
第Ⅰ期が「意味と調べの相克」。これは前衛短歌に併走する時期と重なります。
第Ⅱ期は「古典的文体の再発見」。この時期に岡井は妻子を捨てて九州へ出奔し、齋藤茂吉論などを書いていました。
第Ⅲ期は「ライトな文体の試作」。1984年に「ライトヴァース」を提唱してからの作品群です。個人的にこの時期の岡井作品の楽しみ方はまだよく分かっていません。
続く第Ⅳ期は「ニューウェーブ短歌への傾斜」。大辻の語る「ニューウェーブ」には深層心理をあぶり出すことがしばしば含まれます。
そして最後の第Ⅴ期が「口語文語混交体の豊熟」。亡羊さんが口語短歌を語るなら岡井を読まなければと語っていた背景にあるものを、この時期の作品から読み取ることができました。
大辻この区分けは『現代短歌』2021年3月号に掲載された「メール対談:岡井隆の歌集を読む 加藤治郎vs大辻隆弘」が初出で、それぞれの時期をどのように特徴付けたいのか一言で理解できる点に好感を持ちました。
正直なところ、私は大辻の本を読んでも岡井隆の短歌がまだまだ苦手です。私は歌人としての岡井よりも評論家としての岡井を数倍評価しています(※2)。
閑話休題、ここで私の好きな岡井の秀歌をいくつか紹介します。
父よ父よ世界が見えぬさ庭なる花くきやかに見ゆといふ午を
-岡井隆『眼底紀行』(1967)原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは
-岡井隆『鵞卵亭』(1975)いづこより凍れる雷のラムララム だむだむララム ラムララムラム
-岡井隆『天河庭園集』(1979)ヘイ 龍 カム・ヒアといふ声がするまつ暗だぜつていふ声が添ふ
-岡井隆『宮殿』(1991)つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて
-岡井隆『ネフスキイ』(2008)
このあたりの歌はなんとなく口ずさみやすくて好きです。大辻は岡井を「調べのうたびと」と呼んでいますが、そうした岡井の特性がよく見える歌だと思います。この点では句跨がりによる韻律破壊を試みた塚本邦雄と対になる歌人と言えるかもしれません。
もし岡井隆の歌を一首しか引けないとしたら、私は『ネフスキイ』収録の花梨の歌を引きます。月光に照らされた花梨の樹木だけでも不可思議な気持ちになれるのに、その風景に充填された目に見えない「時」まで言及する。自分の人生の残り時間を見つめるおそろしさも感じつつ、かろやかな言いさしはその恐怖を緩和しています。
個人的には岡井隆の名歌集を一冊挙げるなら『ネフスキイ』なのですが、収録歌数が800首超なのと、新刊の在庫は見当たらず、古書で探す必要があるのが難点です。新刊で買うなら、思潮社現代詩文庫短歌俳句編に収録されている『岡井隆歌集』(2013)が選集としてお手頃でしょう。選歌担当は黒瀬珂瀾。『ネフスキイ』までの歌集から抜粋されていて、1400円程度で手に入ります。
時間に関する過去の名歌には、以下のようなものもあります。
まつぷたつに割れてゆく時間の底にありてあの顔が今はげに遙かなり
-前川佐美雄『白鳳』(1941)花もてる夏樹の上をああ「時」がじいんじいんと過ぎてゆくなり
-香川進『氷原』(1952)犬の舌 叢のもえ じいんと むなしきかなや地球の瞬時
-加藤克巳『宇宙塵』(1956)
岡井の歌の構造に近いのは香川進の歌です。こうした名歌を前にすると、同じテーマで歌を詠むことに怖じ気づいてしまいますが、円熟期の歌人の底力とはつくづくすごいものだと脱帽してしまいます。
次に、昭和40年代(1966~75)生まれの歌人の受容にも世代差があることについては、それ以前に刊行されているアンソロジーにはしばしば間に合わず、かといって新世代の初学者向けアンソロジーにはベテランとして省かれてしまった世代であることを指摘しておきます。あと正確には、私はライトヴァースではなく、「ニューウェーブの陰に隠れて読まれにくくなっていないか」と言った記憶があるのですが、細かいことは置いておきましょう。
この世代の歌人を読むには邑書林の「セレクション歌人」シリーズが最もお手頃でしょう。だいたい一冊1500円以下で入手できます。とはいえ何冊も集めないといけないのは一冊読めば多くの歌人を概観できるアンソロジーに比べてハードルが上がりますし、沢山並んでいるうちの最初に誰を読めば良いのかも悩みます。1964年以降に戦中派が特集されたような形で、雑誌やアンソロジー、評論などによる交通整理が必要だと思われます。
亡羊さんの挙げている10人のうち、私が好きなのは竹柏会の大口玲子と横山未来子です。私の所属している竹柏会から2人挙げているのは、結社の先輩を優先して読んでいるためです。所属結社によっても「短歌地図」はまた違ってくるでしょう。二首ずつ歌を引きます。
形容詞過去教へむとルーシーに「さびしかつた」と二度言はせたり
-大口玲子『海量』(1998)みどりごはあくびせりけり神がノアに見せたりし虹のごときあくびを
-大口玲子『桜の木にのぼる人』(2015)変はり得ぬわれを率ゐて十月と九月をつなぐ真夜を渡りつ
-横山未来子『水をひらく手』(2003)花首より出でたる蟻を這はせたりいくたびもわが掌ひるがへしつつ
-横山未来子『とく来りませ』(2021)
初期の歌と、近年の歌を引きました。大口の一首目は日本語教師として母語が日本語でない人に形容詞の過去を教えている際のものです。感情を語らせることの暴力性を介して、言葉を教えることのおそろしさまで気づかされる名歌ゆえに有名な歌となっています。大口はカトリックの洗礼を受けており、第四歌集以降はキリスト教に題材をとった歌が多く見られます。大口の二首目は、旧約聖書創世記において、大洪水のあとに主なる神が二度と地上のすべての生き物を滅ぼさない証としてノアに虹を見せた話が下敷きになっています。この虹は契約の虹とか約束の虹などと呼ばれ、信徒が神の約束と祝福を思い返すきっかけとしての意味を持ちます。掲出歌はあくびをする口から虹が伸びていく景が幻視されつつ、子が自身のもとに産まれてきたことを介して神の祝福を感じ取っている様子を読むことができます。
横山の一首目は韻律の関係で「十月」が「九月」に先行して言及されている点に興味を引かれます。時間は九月から十月へと流れていきますが、向こう側にある「十月」が先に語られることで、作中主体はすでに一度「十月」へわたった後、「われ」の身体を「十月」へ導いているように見える。そのため「われ」自身が「変はり得ぬ」ことにそこまで暗い印象を持つことなく歌を読み下すことができます。二首目は西遊記の孫悟空がどれだけ飛んでも釈迦の手のひらの上を出られなかったエピソードを連想させつつ、蟻に対する慈しみが見える静かな秀歌です。
ともあれ、私の問題意識と亡羊さんのそれはある程度共通しています。それを対立的に描き、藁人形を仕立てるのはあまり良いことではありません。ちなみに「短歌地図」を受けて、『短歌研究』2022年3月号には未来短歌会の柳澤美晴が「新しい短歌地図とは」と題した時評を寄せているのですが、そこでも亡羊さんの記述に基づく学生歌人の「彼」に対する批判がなされています。ここまで来ると「彼」はもはや私ではなく、学生歌人一般の傾向を示す架空の人物に変質しています。こうした形の批判をすることで、「彼」が態度を改めて、“正しい”短歌地図を描くように努力を重ねるとでも思ったのでしょうか。そうではなくて、必要なのは彼我の「地図」が異なるものになってしまう背景を探り、広い世代の歌人が読まれるような環境を整えるための提言や行動ではないか、と思います。
*
私の2022年短歌遭難記はこんなところです。(※3)
ところで上の世代の歌人たちも、若手の短歌の世界を垣間見た際に遭難することがあります。2018年からの数年間は「基本的歌権」という語で若手歌人がしばしば批判されましたが、思い返せば、あれは遭難した際に発信されるベテラン歌人たちのSOSだったのかもしれません。
ここで「基本的歌権」にまつわる事の顛末をおさらいしておきましょう。まず竹柏会『心の花』の120周年記念号の座談会収録の場で、「基本的歌権」という言葉を穂村弘が語りました。しかしこの語が誌面に初めて登場するのは『短歌研究』2018年6月号の「坂井修一vs斉藤斎藤対談」でした。結社誌は座談会収録から編集、刊行までの過程がとても遅いことで知られています。『短歌研究』の当該号から「基本的歌権」に関する発言を引きます。
斉藤 先日、「心の花」一二〇周年記念号の座談会で穂村弘さんがされてた話だと、基本的歌権みたいなものがあると。基本的人権じゃなくて基本的歌権。
坂井 あ、歌の権利。へーえ。
斉藤 一首の歌について歌会とかで、「ここはこうしたほうがいい」みたいな批評をするのは望ましくない、それは基本的歌権の侵害だみたいな話があるらしいんですよね。
坂井 あ、そうなの(笑)。けっこうわれわれ、歌会で言うけどね。
-坂井修一vs.斉藤斎藤「社会現象としての短歌滅亡」『短歌研究』2018年6月号
歌会では、短歌を完成したものとして扱うべきか、それとも添削する形で発言をしても構わないのか。この語りでは、若手の歌会ではあまねく「基本的歌権」を前提とした運営が為されているように見えてしまいます。正直なところ、歌会での発言に課せられた暗黙の了解は歌会に参加している層によって大きく異なります。しかしながら、異なる文化に接すると、共通点よりも差異に注目しがちです。
実際に穂村はどのように発言していたのか。『心の花』の誌面を見てみましょう。記念号座談会の参加者は、穂村弘、大井学、斉藤斎藤、花山周子、藤島秀憲の5人です。
穂村 これも余談めいてくるけど、あの時、大井さんもいたよね? 若い作者の歌で埠頭の先で鍵をひろったという内容の歌を見たときに、「これっていいところでいいものを拾いすぎているんじゃないの」って言ったんですよね。道で石を拾うのがスタンダードだとすると、埠頭で鍵を拾うというのは、象徴的な場所で象徴的なものを拾っているから。自らレートをあげていると思って。僕もよくやるし、それ自体は別にいいんだけど、ただその分回収が難しくなるって言おうとしたら、同席していた寺井龍哉君に「今は、歌会とかでは、そういう批評は無しなんですよ」と言われて。
つまり基本的人権じゃないけど、基本的歌権の尊重みたいな空気が広がっていて、現にこう書かれているんだから、そこには必然性があったという前提があって、歌会の批評はその上でより効果的に読みあうことなんだって言うんですよ。ショックでした。
斉藤 基本的歌人権、みたいなものが暗黙の前提にあったから、一首単位では叩けたわけで。それが基本的歌権になって、「いいね、いいね」って褒めあうしかないんだとすれば、歌会って何するところなんですかね。
穂村 「無しなんですよ」と言われたときから、ずっと「では、どうすれば良かったのかな」って考えているんだけど、わからない。
大井 佐々木朔さんの〈消えさった予知能力を追いかけて埠頭の先に鍵をひろった〉(「羽根と根」6号)という歌でした。ただ、今の若い人の歌の作り方としては、そういう象徴性を詠う文脈を理解するというのがとても大事なんだと思います。
-「120年記念座談会Ⅱ 現代短歌を考える:前衛短歌以降の短歌史における〈新しさ〉とは」『心の花』120周年記念2018年7月号(1437号)
繰り返しますが、歌会における暗黙の前提は歌会出席者によって大きく異なります。出席者同士に信頼関係ができている歌会の場合は、歌の表現の必然性を疑う評も語られることになるでしょう。しかしながら、例えば学生短歌会など、歌会に不慣れな人も参加する場においては、自分自身がその歌を読めていない可能性を内省することが推奨されています。穂村の参加した歌会がどのようなメンバーで構成されていたのか、私にはわかりません。また寺井の発言の真意がどこにあったかは、参加者同士で確認すべき事柄であって、過度な一般化は避けるべきでしょう。
「基本的歌権」の語は、『角川短歌年鑑』令和6年版の「巻頭言」で島田修三が使っているのを確認して以降、管見の限り総合誌では使われなくなったように見えます。
文化地図が違うところに行くと遭難しがちです。私が短歌をはじめたてのころ歌集批評会に出向くのが怖かったのは、誰がどんな歌人なのかを示す地図を自分の中に持っていなかったからだと内省します。同様に、若手歌人の発言にベテランが頭を悩ませるのも、地図がないからではないかと思います。『現代短歌』2021年9月号でAnthology of 60 Tanka Poets Born After 1990が特集された際にも、附録エッセイの「最も影響を受けた一首」に注目して、最近の若者は同世代の短歌か、でなければ佐藤佐太郎などかなり上の世代を読んでいて、現役の歌人が無視されていると嘆く時評が散見されました(※4)。
しかしながら、「最も影響を受けた一首」だけを見て、読んでいる歌人を推しはかるのは無理があるでしょう。もし最も影響を受けた「歌人」を問われれば、ここで若手を挙げたら上の世代になんか言われるだろうなぁと忖度して浜田到や小中英之や松平修文を挙げます。実際に浜田も小中も松平も好きな歌人です。けれども彼らにたどり着いたのは短歌をはじめて3年目くらいのことでしたので、最も影響を受けたかと考えると、ちょっと自信がありません。それにこのエッセイでは「一首」を問われましたので、短歌をはじめたての頃に触れ、私を文語旧かなの世界に引き込んだ吉田隼人の歌を挙げました。
それにしても、こうも世代間の対立に関する事例を立て続けに見ると、近年、特に短歌ブームと言われるようになってからは、大御所が先手を打って若手批判をしてはいないでしょうか……と思います。最近の若者は○○だと発話するのはそんなに気持ちのよいことなんでしょうか。危機感はわかりますが、それは「歌壇」という共同体の趨勢を考えた際にとても悪手な選択だと思います。
さて、ここまで来て、ようやくここ最近の話をすることができます。2024年に実施された第3回U-25短歌選手権の選考座談会において、穂村弘の以下の発言が物議を醸しています。
穂村 全体のレベルがやっぱりすごく高いですよね。〔中略〕ただその一方で、年齢が限定されていて近いってこともあり、一七二篇あると作者が一七二人いるわけだけど、そういう感じはしないですよね。二十人ぐらいって感じで。〔中略〕僕にはわからない何か理由があるかもしれないんだけど。言葉選びとか、絶望感の質が似ている。
-「第3回U-25短歌選手権選考座談会」『短歌』2024年8月号
最近の若者は短歌が似ているという旨のことが語られています。だから上の世代の短歌を読むべきだ、と続かない点で、穂村はだいぶ好意的です。同様の話は、2020年の第2回笹井宏之賞における長嶋有の「微差合戦」発言や、2022年の第9回現代短歌社賞における瀬戸夏子の「いま流行している文体のスタイルは大雑把にいって永井祐か大森静佳だと思っている」などもあります。どれも、だから○○を読めと続かない点で好意的なものだと思います。
作品が似てしまうのは仕方のないことです。同世代ならその差異を見て取ることができるでしょうが、世代差があると難しいでしょう。私も数年前までU-25でしたが、作者見分けゲームで正解する自信はありません。今回のコラムの筋に沿って言えば、読み手が遭難している状態です。
憎たらしいのは、私が仮にここで、例えば昭和40年代生まれの作品の見分けがつかないと書いたとしたら、たぶん私の勉強不足にされてしまうことです。いくつか歌を引きましょう。
氷雨降る 人をあきらめさせるため〈偶然〉という言葉使いぬ
-吉川宏志『雪の偶然』(2023)キャプションがなければついに犠牲者と括られて終わるこれの母と子
-奥田亡羊「キャプション」『現代短歌』2024年7月号降りつもる羽根、瓦礫、あなたがこの続きを書く筈だつた白いページが
-松本典子「ベツレヘムパール」『短歌』2024年1月号弾丸に見えてしまふ感覚の寒さにスギの球果を仰ぐ
-梅内美華子「球果」『短歌』2024年2月号
亡羊さんが挙げていた10人のうちからパレスチナ問題の文脈で読むことができる歌と、亡羊さん自身の歌を引きました。どれも良い歌だと思います。しかし、吉川宏志の歌と奥田亡羊の歌は、歌の背後に漂う諦念が似ています。松本典子と梅内美華子の歌は、やや破調している点と、主体が上方を見上げる構図が似ています。
そもそも短歌の短さは、一首だけ取り出した際にどうしても似てしまうことを誘発します。その短歌一首が、いくつもの連作やいくつもの歌集として積み重なることによって、はじめてある歌人の文体はおぼろげに立ち上がるものです。この点で、すでに歌集を出しているベテランの歌人の文体は語りやすく、公にされている歌の数が少ない新人は文体の話をされた際に不利な状況に立たされます。その不利な状況を解決するためには、それぞれの差異に明るい人が、何かしらの形で交通整理をする必要があるでしょう。
つまるところ、短歌で遭難しないためには、誰かがアンソロジーや批評の形で「短歌地図」を描く必要があります。同世代の批評は同世代が先鞭をつけるしかありません。穂村の発言に衝撃を受けた人や、このコラムの読者が、なんらかの形で不足している短歌地図を補ってくれることを、私は期待しています。
【註】
※1 「ロミィの代弁:短詩型へのエチュード」は、『俳句研究』1955年2月号に発表された寺山修司の文章です。寺山はこの文によって、自身の短歌研究作品五〇首に寄せられた俳人からの批判に応答しました。
※2 評論家としての岡井隆の代表的業績は、私性の定義に関する議論が掲載されている講談社学術文庫版『現代短歌入門』や、金子兜太との共著『短詩型文学論』などを挙げることができます。
※3 この件は川野芽生が『現代短歌』にて「幻象録」を連載していた際にも扱われています。詳細は単行本の『幻象録』収録の2022年5月「話を聞いたらどうですか?」を参照ください。髙良もカメオ出演しています。
※4 一例として、角川『短歌』2021年10月号掲載の東郷雄二による時評「ジェンダー、オリンピック、若手歌人」を挙げておきます。この時評は東郷のブログに再録されています。