6月1日(日)
30年間勤務して5日間の休暇を得た夫とともに函館へ旅行へ行く。函館と聞いて思い出すのは、
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花 石川啄木『一握の砂』
である。訪れてみるまでは、短い生涯といえど4か月かそこらいただけの土地、そりゃ歌は残っているだろうけれど。
という程度の認識でいたが、現地に行ってみるとなかなかどうしての愛されっぷりに驚いた。
函館市文学館で啄木の展示を見ていると(実寸大の立派な銅像があった)、ボランティアだろうか、女性が出てきて解説をしてくださった。特に面白く聞いたのが二点、ひとつは「宮崎郁雨(みやざき いくう)」という歌人について、もうひとつは函館市内に啄木一家の墓があるという話だった。
いろいろあって故郷を離れた啄木一家が函館に引っ越したのは次姉トラを頼ってのことだったようだが、そこで啄木は生涯にわたって金銭的援助をしてくれた郁雨と出会う。郁雨はのちに啄木の妻、節子の妹フキと結婚し、ふたりは義理の兄弟の関係になるのだが、義理の兄弟だから援助をしてくれたというより、啄木に惚れ込んで兄弟になりたいと願った結果義理の妹と結婚したというのが本当のところであるようなのだった。
郁雨と啄木は、啄木最後の一年間は交流が途絶えていたとされるが、実は金銭援助だけは続いていたことが土岐善麿『啄木追憶』に書かれている。現代から振り返るとなんだか不思議な関係だと思う。
そして墓である。啄木の死後、妊娠中だった節子は千葉に移り出産するが、その後は早い死までの間をフキのいる函館で暮らした。
郁雨は現在まで114回と続く函館啄木会を起こし、函館の節子のもとへ遺骨を取り寄せたいと願った。そこでちょうど上京する予定のあった函館図書館館長の岡田健蔵に頼んで浅草の寺に行ってもらうが、門前払い、健蔵は朝日新聞にいた土岐善麿を頼り、善麿経由で話が進んで、無事に節子のもとに遺骨を持ち帰ったのだという。
啄木に詳しい人には当たり前の情報なのかもしれないが、私にとってはその人間関係が面白かった。朝の連続テレビ小説にするならば、主人公は啄木の妹のミツがいいなと思った。啄木役の役者さんにはぜひナレーションもお願いしたい。
ちなみに、「短い生涯とはいえ4か月かそこらいただけ」のことを函館の人は「啄木の132日」と表現した。それだけで愛されていることがわかる。認識が改まる瞬間だった。
牧水や方代もそうだが、生まれた土地だけでなく縁のあるあちこちの場所で愛され語られていくことはとても幸せなことだと思う。
6月14日(土)
「短歌人」所属の森澤真理さんの『地吹雪と輪転機』批評会へ。
輪転機というと
りんてん機、今こそ響け。
うれしくも、
東京版に、雪のふりいづ。
土岐善麿『黄昏に』
を思い出す。最近なんだか善麿づいているなと思う。
印象的だったのが、会場発言の誰もかれもが話の長かったことであった。
運営側からすると限りある時間の中でなるべく多くの出席者にマイクを回したいと思うわけで、少しジリジリする雰囲気もあった。だが、話したいことがたくさんあることは良い事だ。歌集のちからだと思う。
なぜだか語りたくなる歌がある。
それはその歌に圧倒的な比喩があるからとか、思いもかけない展開があるからとか、心を打つ事実があるからとか、美しい韻律であるからということとは少し違っていて、なにか読者の琴線に触れる、記憶を刺激する言葉がある歌である。
まつろわぬ民の末裔なるわれか北へ向かえば戦ぐ身の裡
番記者に符丁はありてワンテンポ笑い遅れぬ地方紙われは
アジャコングの本名江利花米兵の父の好みしヒースの和名
セクハラの語も均等法もなき時代われら招かれざるとは知らず
森澤真理『地吹雪と輪転機』
「まつろわぬ民」といえば、
「番記者」といえば、
「アジャコング」といえば、
「均等法」といえば、
参加者はそれぞれ自分に引き寄せて語りたい物語を持っていた。歌としてどうという話ではなく、自分自身が語るべきこと、語りたいことと思って語っていたのだった。
これがおそらく「時代をとらえる」ということなのだろう。
私はこの歌集を読んで、作者の内面深くに触れた感じはしなかった。だが、その分、広く作者の生きて見てきた時代、自分もともに生きて見て聞いて思ってきた時代を思い出すことができたのだ。
歌が歌として完結せず、読者の記憶や知識を刺激する歌集、これは、短歌のもつ多様な魅力の一面を表しているのだろう。
6月18日(水)
現代歌人協会公開講座の日。
第3回は道浦母都子さんの『無援の抒情』を取り上げた。講師は同じ結社所属で「妹分」を自称される大田美和さん、後半の対談には道浦さんご本人にお越しいただいた。短歌を始めて30年以上経つのだが、道浦さんのお姿を見るのは初めて、会場にお迎えするまでかなり緊張していた。
道浦さんは楽しみにしてくださっていたのか、当日は予定の3時間も前に新幹線に乗られたのだと言う。ありがたいことだった。
録画によるオンライン聴講を実施中なので内容については触れないが、道浦さん本人が実感をこめて
「皆さんは私を土井たか子やサッチャーのような女闘士と思われているかもしれないけど、私は普通の女性なんです。」
「この歌集を出したことでまるで代表のようになってしまって、私の人生は本っ当に辛かった。」
と言われたことがとても印象的だった。
実際お会いすると、話し方も話の内容も「普通」とは言い難い迫力があった。だから、あくまでご本人の自己認識として「普通」という話なのだが、事実『無援の抒情』の刊行は1980年、学生運動は1960年代だから、10年を経て過去への区切りとしてまとめられた歌集で、主義主張を表すためにまとめられたわけでないという説明には納得がいく。
歌集や歌人を語るとき、「○○の」と枕詞が付けられることがある。「非正規勤務の」とか「どこどこの風土の」とか「LGBTQ」などがすぐ思いつく。「幻視の女王」や「巫女」などもそうかもしれない。
ラベリングの功罪はしばしば語られ、ここで改めて言うまでもない。
意図せぬラベルであってもそのラベルゆえに引用され語られるのであればそれは歌人にとって幸運だという考え方もある。名歌・愛唱歌とは作られた時からそうであるわけではなく、繰り返し引用され、語られることによって育っていくものだからだ。
しかし一方で同時代のそれは時として、歌人の方向性を誘導し、苦しめることにもつながる。
では、カテゴライズ、あるいはラベリングが絶対に悪かと言うと、一方でそこから漏れることは時を経ると「いなかった」ことと同義になる。
(古い話を蒸し返して申し訳ないが)「ニューウェーブ」の範囲を巡ってそこに女性歌人が含まれないことに疑義が起きたことなどを思い出してしまう。
結局のところ、「誰かが言っていたから」と安心せず、ひとりひとりが自らの短歌観を賭けて本気で読み本気で発言する覚悟が必要でなのだろう。
短歌は、短歌を愛するひとのものなのだから。
6月26日(木)
現代歌人協会定期総会ならびに第69回現代歌人協会賞授賞式。
コロナ禍のなか一時は懇親会がなくなり、再開後も参加者の多くない状態が続いていたが、だんだん賑やさが戻ってきた。
この日をもって栗木京子理事長が退任、新理事長は坂井修一さんと決まった。
この5年間は変則的で新しい取り組みの多い期間だっただろう。
本当にお疲れ様でしたと感謝の気持ちでいっぱいである。
