7月5日(土)
鎌倉では艸心忌、名古屋では現代歌人集会の春季大会が行われているが、定例歌会の司会が当たっているので東中野へ。
艸心忌は7月13日に亡くなった吉野秀雄を偲ぶ会である。13日と固定せず7月の第一土曜日に行われる。
吉野秀雄と聞いて一番に思い出すのは、妻を病気で亡くしたあと再婚した登美子の亡くなった夫が無名だった八木重吉であり、登美子が大切にバスケットに入れて保管していた原稿を秀雄が詩集にまとめ、重吉を世に送り出したという逸話である。
もちろん秀雄は原稿を見て素晴らしいと思ったから詩集を刊行したのであろう。だが、妻への愛情とそんな妻を置いて若くして死んだ重吉への思いがあったこと、それも動機のひとつであったはずだ。今では重吉はむしろ秀雄より知られているくらいだろう。巡り合わせとは不思議なものである。
ちなみに今年の講演は田村元さん。田村さんは群馬県出身でもともと同郷の吉野秀雄に関心のあった折、居酒屋で隣り合わせて意気投合した相手が秀雄の孫だったという。こちらも不思議なご縁である。
7月6日(日)
「未来」所属の堀隆博さんの『遊離する地平へ』を語る会へ。
副題に「仮想世界に短歌はどのようにかかわることができるか」とある。歌集中にはメタバース世界をテーマにした歌があり、読みあぐねる場面もあったところ、会場発言でクラスター株式会社の遠峰裕之さんが「メタバースの世界で実際に遊んでいるわれわれにとってはとても良くわかる歌だ」と言われたことが印象的だった。
少しずつ世界を作ろう詩(うた)を手にブラックアウトの部屋に彷徨い
堀隆博『遊離する地平へ』
ゴーグルにこぼれる涙励ましの言葉飛び交うメタバースにて
曰く、一首目はゴーグルをつけてメタバース空間に出入りする際に真っ暗になる瞬間があり、その時はまさに「ブラックアウト」だと実感する、ということ、二首目は短歌としていい歌かは分からないが場面としてはメタバース空間で能登地震の募金を行われた際の歌であって、気持ちはよく分かるということ。
背景を聞けばなるほどなあ、と思うのだった。
歌の背景や内容が専門的、あるいは文脈を必要とするために、一読伝わりにくくなってしまうことはしばしばあって、連作の中に歌としての出来を捨てた説明の歌を入れたり、あるいは詞書を添えたりするのが常道なのだろう。
それらは過剰だと野暮になるもので、どこに線を引いてそういった詞書や説明を加えるかは、どこに読者を想定するかということにつながる。
30年ちょっと前、私が短歌を始めた頃も「読者をどこに置いて作るか」ということはしばしば話題になっていた。その時はたとえば結社内の、年齢や職業、家族構成なども分かっている人同士で読み合い理解し合いそこで満足するのかどうか、という文脈で語られたと認識しているが、今回の場合は作者のことを知らなくても、また短歌に触れる機会が少ない人でもメタバース空間という場が共有されていれば理解され得るという点で、それと似ていながら少し異なるように思う。
短歌の長い歴史の中で個人間の贈答や歌合から結社誌、同人誌、新聞や雑誌の投稿、さらにはSNSなどインターネット上など発表の場は多様化し、歌集のかたちも勅撰集のようなアンソロジーから個人歌集に、そして生涯一冊だった個人歌集が人によっては何冊も何十冊も出されるようになってきた。
それは、すべてを追うことはとてもできないくらい膨大であり、かつてのようなひとつのピラミッド型の評価軸に収まらなくなってきた。住み分けと言っていいのか、多様化と言っていいのか、いろいろな短歌の「楽しみ方」が生まれているのかもしれない。
例えば、今回の堀さんの歌集批評会をメタバース空間で開催したらどのように受容されるだろうか、そんなことを思う。
読者の想定、自分の短歌をどの俎上に乗せるのかということはこれから先選択的になっていくのだろうか。
私はオールドタイプの歌詠みなのでそれは困ったなあ、と思っている。
7月16日(水)
公開講座の4回目、この回では田谷鋭歌集『乳鏡』を取り上げた。
田谷鋭は亡くなる前20年近く歌集をまとめておらず、所属していた「コスモス」の千葉支部の会員が全歌集のかたちで遺歌集をまとめたのだという。
田谷は大歌人であり、結社誌だけではなく総合誌や新聞など幅広い寄稿をしていただろうから、さぞかし大変な仕事だっただろうと思う。それでもその時まとめておいてくれたからこそ今私たちは彼の作品を読むことができるのである。やはり長く伝えるという点で今のところ紙の本に勝るものはない。
6月に刊行された村上きわみ『とてもしずかな心臓ふたつ』は、2023年に亡くなった作者の作品を同じ「未来」所属で親しかった錦見映理子さんが選歌をしてまとめた歌集である。村上も2001年の第二歌集『キマイラ』以来歌集を出していなかったから、22年分の作品をまとめたことになる。村上は生前ほとんど人前に出なかったから私もインターネット上で彼女を知るだけだったが、歌集が出たことで生身の人間を感じることができてとても嬉しい。
選歌することも大変だろうし、全歌集は全歌集で漏れがないように気を遣う。ともに生半な覚悟ではできない大きな仕事であろう。
7月30日(水)
調べものがあってNDLへ。
ふと思いついて合同歌集 『保弖留海豚 (ホテル・ドルフィン)』を検索してみる。6日の堀さんの批評会の席で1987年刊のこの同人誌に参加していたことが話題になった時、パネリストのひとり髙良真実さんが都立図書館で借りて読んだと言っていたことを思い出したからである。
結果、NDLに所蔵はなかったが、カーリルローカルで検索したところ、東京都では日野市と都立図書館に所蔵されていると分かった。読めるんだ、と驚いた。
1990年代の半ばには既に『保弖留海豚 (ホテル・ドルフィン)』は「伝説の同人誌」であり、噂に聞くだけのものであった。それが今は検索で置いている図書館をさがすことができる。「日本の古本屋さん」サイトで検索すると現在は在庫なしだったが過去に取り扱いがあったことは確認できた。購入希望の登録をしておくといつかは手に入るのかもしれない。
紙の本は強い。ただし、少部数でどこにあるのか分からないそれを探そうとしたとき、インターネットの検索なしではなかなか見つけられない。
「そういうものがある」と知っていれば、インターネットはとても有効だ。だが、「ある」ことは現物がないと知ることができない。
拡散したり探したるする横の強さを持つインターネットと、時間を超える実物の縦の強さ、双方をうまく使っていけるといい。
追記:『保弖留海豚 (ホテル・ドルフィン)』について同人誌というより合同歌集というほうがふさわしいとご教示いただきました。ありがとうございます。(2025.8.2)
