接続方法

台風も過ぎ、虫の声も聞こえるようになってきました。この欄の担当のタカハシさんから、「毎月、首を長くして待っております。ワタシの首がろくろ首になる前に更新していただけるとありがたいです。(笑)」というメールが、もうずっと前に来ていて、どう見ても「(笑)」が「(怒)」に見えてしまう大井です。そろそろタカハシさんは秋祭りの見世物小屋に出演できるような状態になってしまっているんじゃないかと、心配です。

 

先月、この欄で「作者モデル」や「成長する人間」のモデル、なんてことを書いたのですが、「短歌研究」2011年10月号に掲載された現代短歌評論賞の受賞作が、同じような問題点を指摘していたことに、興味を覚えました。

梶原さい子さんの受賞作「短歌の口語化がもたらしたもの――歌の印象からの考察」は、みずからアンケート調査を実施した結果なども利用した、面白い論だと思います。考える刺激を与えられました。

 

―――――引用ここから――――――

口語短歌の一番大きな手柄。それは文語に比べ、自分の詠いたいことを率直に、直截的に表せるというところだろう。そのことを求めて歌人達は試行錯誤し、それぞれの時代の、口語が反映された「口語短歌」が作られてきた。

―――――引用ここまで――――――

 

こういう書き出しで始まる梶原さんの論は、口語短歌がどのような印象をもって受容されるのか、ということを高校生50人へのアンケート調査から読み解いていきます。口語短歌に対しては、76%の高校生が「子供っぽい」という印象を持ったといいます。つまり50人中の38名です。そうした「子供っぽさ」を「まさにこれは、現在の日本文化そのもの」と論じています。「未成熟さ、かわいらしさを強調したこのような文化こそが、今、日本を席巻し、世界にも発信されている」と。

 

―――――引用ここから――――――

今の口語短歌をどう捉えるかというのは、幼形成熟的雰囲気を愛せるかどうかということである。惹かれる人もいるだろう。嫌う人もいるだろう。これは、かなり違いが出るところだと思う。そして、問題は、判断材料があくまで「雰囲気」だということである。中身まで行き着けばいいのだが、その前に幼い「印象」を生理的に受け取らせてしまう。

―――――引用ここまで――――――

 

「生理的」とは、いささか言い過ぎだと思いますが、梶原さんの指摘する問題点は理解することができます。大人の雰囲気の文語と、子供の雰囲気の口語とでは、確かに表面上は口語のほうに幼い印象を持つでしょう。例えばそれは、この欄の過去の担当者である島田さん・真中さんの文章と、僕の文章を読み較べてみるだけでも充分理解できるかもしれません。

梶原さんの論は、格助詞の音韻や自然詠の問題などにも意欲的にふれていますので、是非、「短歌研究」誌を御参照下さい(砂子屋さんのブログで、ライバル社の雑誌を宣伝するってのも、まあ)。

 

―――――引用ここから――――――

文語短歌の「背伸び」は、はるかなものへの背伸びである。蓄積された先人の世界に触れることが歌を深いものにする。

口語短歌の一番の罪。それは、一人一人が意識しない限り、その幼い印象に甘んじ、はるかなものを失っていこうとしているところである。

   *

これからますます増えるであろう純口語短歌。しかし、そこに、文語の力、文語の世界の厚みが、付け加わればと思う。

文語の歌と口語の歌が、拮抗しながら詠われ、印象論ではねのけ合わず、互いに踏み込み、理解しようとすること。それがどちらにとっても大切なものを失わない方法のように思うのだ。そしてそれが、あと何十年後かの歌の世界を広いものにする力になっていくと思うのである。

―――――引用ここまで――――――

 

いささか長い引用ですが、梶原さんの論の、これが最終部分です。

日本語で書かれた作品は、現在までの間に膨大な蓄積があります。古典は、そして当然ながら、文語で書かれています。そうした蓄積を全部投げ捨ててしまうのは、あまりにモッタイナイことです。古典は常に最新の作品ですから。純口語短歌に文語の力が付け加わったとすると、それは純口語ではなく、口語文語の混合文体ということになるでしょうか。梶原さんの主張としては、口語脈で作歌する場合にも、日本語の伝統である文語の蓄積を生かす方法が求められているという指摘なのだと、僕は理解しています。

 

さて、こうした文語・口語という二項対立の図式がある場合、その違いが消失する地点を考えるというのも、一つの有効な方法だと思います。つまり、口語と文語とが同じになる地点はどこだろうかと考えるのです。何処でしょう。例えば、今から500年後、現在の短歌が残っていたとして、500年後の人達は現在の純口語作品をどのように読むのでしょうか。おそらくは「古典」として読むのでしょう。

 

―――――引用ここから――――――

げにや安楽世界より、今此の娑婆に示現して。われらがための観世音、仰ぐも高し、高き屋に、登りて民の賑ひを、契り置きてし難波津や。三つづつ十と三つの里、札所札所の霊地霊仏廻れば、罪も夏の雲暑くろしとて駕籠をはや。をりはの乞目さぶろくの十八九なるかほよ花。今咲き出しの初花に笠は着ずとも、召さずとも、照る日の神も男神。

近松門左衛門『曽根崎心中』

―――――引用ここまで――――――

 

これ、御存知のとおり、近松門左衛門『曽根崎心中』の有名な冒頭の部分です。300年前の日本語ですが、これは文語でしょうか、口語でしょうか。

 

―――――引用ここから――――――

さてそも五条あたりにて、夕顔の宿を訪ねしは、日蔭の糸の冠着し、それは名高き人やらん、賀茂の御生れに飾りしは、糸毛の車とこそ聞け、糸桜、色も盛りに咲く頃は、来る人多き春の暮れ、穂に出づる秋の糸すすき、月に夜をや待ちぬらん、今はた賤が繰る糸の、長き命のつれなさを、長き命のつれなさ、思い明石の浦千鳥、音をのみひとり泣き明かす、音をのみひとり泣き明かす。

『黒塚』

―――――引用ここまで――――――

 

これ、能の『黒塚』の有名な糸づくしの部分です。550年以上前の日本語ですが、これは文語でしょうか、口語でしょうか。

 

何となくですが、近松さんの日本語も黒塚の日本語も、口語の感じ、語りの言葉が残っているような気がするんです。いずれも300年・500年の年代ものの日本語ですが、「文語」という範疇には括れないように感じるのです。もちろん、古典であって、現代語ではあまり使われない詞がはいっています。けれども、声に出して演じられる日本語だからなのか、リズムが良いからなのか、「文語」として括っていいんだろうか、という感覚が残ります。

 

つまり、こうです。口語・文語という対立は、実際は

 

1)古典語の口語 ― 2)古典語の文章語

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3)現代語の口語 ― 4)現代語の文章語

 

このような構図になっているにも関わらず、僕らは(と書くと、「君と誰とのこと?」と言われちゃいますね)、時に混乱して2と3とを対比して論じていたり、3と4とをいっしょくたにしていたりするのです。ただし、「1)古典語の口語」はすでに復元することはできず、「2)古典語の文章語」の中にその痕跡が残っているだけですし、逆に「4)現代語の文章語」は何をもって、「文章語」とするのか、その範囲が明確ではありません。また「3)現代語の口語」は普段、僕らが使っている話し言葉を「印象」によって分析するしか捉える方法がないということになります。

さて、ではその場合、現代の口語短歌がその言葉の印象から「子供っぽい」というふうに思われるのは、一体なぜなのでしょう? それは「3)現代語の口語」が子供っぽいのか、「4)現代語の文章語」が子供っぽいのでしょうか? おそらくそれはどちらでもありません。日常を見まわしてみても、通常に会話をしている人達が全て子供っぽく見えるなんてことはありませんし、現代語の文章語は幼い、なんて言ったら、それこそ幼い思考だと思われるでしょう。

 

恐らくは、現代語の文章語によって短歌を書く場合に、書かれた内容とその文体とが密接に絡み合いながら、「幼さ」を形づくっているのでしょう。いままでの「文章語」にはなかったものが、「4)現代語の文章語」の中にはいりこんでいて、それが「2)古典語の文章語」の伝統のなかに、まだしっくりと接続していない感じがあるのではないでしょうか。

あるいは、そうして形成されている「幼さ」のイメージこそ、現代語の文章語で書かれる短歌にとっての問題点であって、そのイメージの発生のメカニズムや歴史をひもといてみる必要があることなのかもしれません。

 

この辺、もう少し考え続けなければいけませんね。もとより「正解」なんかはありませんが。

 

金木犀の花が香る頃、僕の地元、二本松で秋祭りが開かれます。田舎町にしては大きな祭りで、露天のお店が並んだ様子は、山車と同じく祭りの華です。並んだ露天の端に、昔、僕が子供の頃には見世物子屋が掛かっていました。タカハシさんが出演していなければいいんだけど。黒塚のある安達が原は、二本松の駅からは少し離れた場所にあります。せめて除染が済んでいればいいんですけどね。