藤原 龍一郎


読まれるべき歌集

 実力派歌人の話題の歌集や新人賞受賞者の第一歌集も競うように出ているが、そういう歌壇の流行とは無縁ながら、刊行されることに大きな意義があると私がおもう歌集を何冊か紹介してみたい。

 まず、出たばかりの一冊『金井秋彦歌集』(砂子屋書房)。金井秋彦は歌誌「未来」の創刊からのメンバーであり、一九八四年からは選者をもつとめていたが、二〇〇九年に没している。本書はその選歌欄のメンバーであった渡辺良氏の編纂によるもの。

 内容は第一歌集の『禾本草原』の抄録。第二歌集『掌のごとき雲』、第三歌集『水の上』の完本収録、第四歌集『捲毛の雲』の抄録、そしてそれ以後の歌集には収められていない一九八六年から二〇〇四年までの作品を『金井秋彦遺歌集』として、抄録している。ほかに、『叙景歌について』という歌論、そして渡辺良と馬渕美奈子によるインタビュー『未来聴聞記』が収められている。さらに解説として岡井隆「金井秋彦、山田はま子の歌―<家出人>文学の一例として」、馬渕美奈子「文字のような影」、渡辺良「ぶどう色の海」、さいかち真「金井秋彦のこと」といった歌人論、作品論が付されている。基本的には、同じ版元から刊行されている現代短歌文庫と似た構成だといえる。

 金井秋彦という名前は、「未来」に所属している人以外には、ほとんど知られていないかもしれない。さいかち真の「金井秋彦のこと」の冒頭も「よほどの読書家でも金井秋彦という名前を知っている人はいないだろう。金井秋彦の名は、現代短歌に通じた人達にわずかに知られているのにすぎない。しかし、この歌人の作品には、知的な財産として残しておきたいものがある。」と書き出されている。この歌集が刊行された動機も、知的な財産、さらには文学的な財産として残しておきたいと思った渡辺良氏ほかの尽力によるものであろうことは疑いがない。

 読者の立場に立てば、この本に収録された作品を読むことは、この本が刊行されないかぎりは、ほぼ不可能であるわけだから、とてもありがたいといえる。いかに価値ある作品であっても、短歌の場合は歌人自身が亡くなってしまえば、ほぼ忘れられてしまう。その作品が残り、読まれつづけるためには、その歌人に師事した人達の尽力と理解ある書肆の協力が絶対に必要になる。私的な体験でいえば、『小中英之全歌集』を刊行できたのも、佐藤通雅、天草季紅両氏の尽力とその企画に賛同してくれた砂子屋書房主の田村雅之氏の協力があったからこそである。この『金井秋彦歌集』の実現も、おそらくは、渡辺良、馬渕美奈子、さいかち真三氏の熱意にみちた努力と田村雅之氏の理解にみちた配慮があったからこそなのだとおもう。ともかくも、この一巻が実現したことで、金井秋彦の人と作品が再評価される可能性が生まれたわけで、喜ばしいことにはちがいない。

 

 巻末の略歴によると金井秋彦は大正十二年静岡県生まれ。昭和二十年頃から作歌を開始して、「新泉」、「アララギ」、「九州アララギ」等を経て「未来」創刊に参加となっている。

収録されている岡井隆の「金井秋彦、山田はま子の歌―<家出人>文学の一例として」にある程度の経緯が書いてあるが、金井秋彦は二十三歳の時に作歌仲間で十四歳年長の山田はな子と駆落ちをしている。こういうスキャンダラスな事情を知ってしまうと、作品を通俗的なフィルターをかけて読んでしまうのはやむをえない部分もあるが、金井秋彦の短歌作品は、近藤芳美の良質な抒情を換骨奪胎した独自の世界を形成している。

 

『禾本草原』(一九五七年刊)より

・町角にきて言葉なく別れ合う足袋白く陸橋を帰りゆくきみ

・煤煙の晴れし日は透きとおる硝子窓灰色に指紋の痕の浮びて

・戦屍体扱う人夫の賃金を聞きしとき吾は動揺する心隠せざりき

・花の位置ひそかに変えて妻は病む壁白じらと何も無き部屋

・吾もいつか働くために堕ちゆかん奴隷の誠実に似る生き方に

・ポプラアの夜空にたかくそびゆるに遊動円木に妻を揺りをり

 

 時代背景をある程度想像したほうが歌の理解は深まるとは思うが、妻との生活に時に苦しみ、また時に和んでいる若者の像がくっきりと描かれている。昭和二十年代の青春歌として、結晶度がきわめて高いように思える。こういう短歌の世界が近藤芳美のみに代表されて、他が顧みられなくなってしまうのは残念だし、短歌としての結実を無視してしまうことになるのではないか。

 以下、他の歌集からも、私が感銘深く読んだ作品を三首ずつ引用してみる。

 

『掌のごとき雲』(一九七八年刊)より

・勤め休み臥りし今日の暮れんとし冬陽がしばし書架にかがやく

・暁の海より啓けくるもの待ちて掌のごとく青く影立つ樹々ら

・問いつめてゆけば革命を肯えど貧しく学び得ざりし者の笑い

 

『水の上』(一九七八年刊)より

・わが職場に入る者は「あらゆる希望を捨てよ」と誦すべしと書きぬモーパッサンも

・水明りする回廊をわたりきてドラクロアの絵の艶のある黒

・刹那をば救いて詩の生をつらぬくとボーヴォワールの叫びなりしを

 

『捲毛の雲』(一九八七年刊)より

・この朝もきて坐る椅子老いしわが奴隷の膏(あぶら)しみてにおうを

・積乱雲のわいの空に捲毛なす雲見ゆしばし橋に佇む

・夜更けわが露地を見ている刻ありてあすなろの葉が灯かげに揺るる

 

『金井秋彦遺歌集』より

・われはせめてコーヒーの闇匙に掻まぜてエリオット読む秋の夜長に

・河野愛子千樫の生家にて笑む写真が積みておく妻の日記帳より落つ

・腰に巻くパットをはすずすとき触るる妻のゆまりの温かくして

 

 それぞれの時代状況、生活のさまざまな局面で、金井秋彦という歌人の精神に兆した陰翳が一首一首に投影されている。晩年の金井秋彦は進行性の神経の難病にかかり、やはり病床に臥す妻とともに、横須賀の介護付きのホームに入所していたそうだ。そういう実生活の困難の中で、詠い続けた歌人の精神の強靭さをこの一巻は教えてくれる。

 「アララギ」を経て「未来」に続く一人の歌人の一生の表現を、埋もれさせることなく、このようなかたちでまとめてくれた渡辺良、馬渕美奈子、さいかち真の志に敬意を表したいと思う。「未来」に所属する若い歌人の方々には、今、自分が縁あって参加している集団の初期から中期を支えた先達の表現を、自分には関係ないと思わずに、あらためて読んでほしいと私は切にお願いしたい。今、同じ結社に籍をおいていることはけっしてかりそめのことではなく、歌人金井秋彦のアポリアに共鳴するべく、「未来」という集団の無意識が、自分を選んだのかもしれないと思ってほしいのだ。もちろん、「未来」に所属していない人たちも、現代短歌史に秘められた歌人の生の一つの典型として、金井秋彦の表現を感受してもらえるはずだと思う。

 

 もう一つは現代短歌社が昨年から刊行し始めた第1歌集シリーズの意義深さについて書いてみたい。すでに、三十冊を超える諸氏の第一歌集が出されている。伊藤一彦歌集『瞑鳥記』、高野公彦歌集『汽水の光』、永田和宏歌集『メビウスの地平』といったすでに現代短歌の歴史を飾っている高い評価をえた歌集の文庫化もうれしいのだが、それにもまして、私にとっては、石橋妙子歌集『花鏡』、黒田淑子歌集『丘の街灯』、松岡裕子歌集『無援の秋』といった昭和ひとけた生まれの女性達の第一歌集が読めることがありがたかった。このシリーズが企画されなければ、まず、これらの歌集を私が読むことはできなかっただろうと思うのだ。

 

石橋妙子歌集『花鏡』より

・孤高なる燈台のたつ陸(くが)のはて椿たわわに紅を滲ます

・煤けたる工房のしみ黒くとびをりわれは飛沫おそれき

・天秤はあやふく平衡を保ちをり微量の麻薬の晶きらめきぬ

・あやまちて劇薬つきし中指の渦まく指紋腐蝕されゐる

・月照りてうつしみ透明となりゆけば頭蓋にひとつ発芽せむ種子

 

 石橋妙子は昭和四年生れ、「潮音」所属。倉地与年子に師事する。私は縁あって先般、石橋氏の最新歌集『海境』の書評を書かせていただいたのだが、それはすでに、年齢にふさわしい自在な境地を獲得した作品であり、まさか、第一歌集でこれほど鮮烈な歌をつくっていらっしゃったとは、予想もしていなかった。引用した作品からわかるように、山中智恵子をイメージしてしまうほどに鮮烈な美意識と幻想がみごとに歌として結晶している。石橋氏は薬剤師でいらしたそうなので、三首目や四首目は職業の現場の歌である。それが一種の危機感を秘めたレトリカルな表現として自立している。この歌集の親本の刊行は一九七九年。ただし、作品の制作年代はそれ以前の二十五年、つまりは前衛短歌の時代が完全にふくまれている。前述の山中智恵子をはじめ、安永蕗子、斎藤史、森岡貞香といった歌人たちの作品が、石橋妙子に大きな刺激をもたらしただろうことは、想像に難くない。

 

黒田淑子歌集『丘の外燈』より

・夕ぐれの坂帰り来て灯をともすわが日日に守る丘の外燈

・淋しさに来しわれならずバーにゐてくるみを割ればくるみの音ぞ

・みづからに燃えむとしては消されたるマッチの軸は厨に溜る

・待ちてくる倖せあらずモジリアニの首長き女わがうちに棲む

・卵黄のごとき夕映風やみて不吉に明るきこの丘の上

 

 黒田淑子は昭和四年生れ、「歩道」所属。親本の刊行は昭和三十八年。この歌集のタイトルも師の佐藤佐太郎の命名によるそうだ。何より驚くのがこの歌集の親本を刊行したのが不動工房だということ。この書肆は岐阜県に在るプライベートプレスで、平井弘歌集『顔をあげる』、山中智恵子歌集『紡錘』の版元でもある。このことは、この文庫版の解説者の平井弘も書いている。黒田淑子は「歩道」に参加しつつ、赤座憲久、平井弘らとともに、同人誌「斧」を創刊したのだそうだ。この「斧」に関しては、『現代短歌大事典』に立項されているので、一部を引用する。「一九六〇年八月、岐阜県在住青年歌人十名が深い樹海の中からしがらみを断ち切ってすすむ決意のもとで結成した会の季刊同人誌。同人の中でも、黒田淑子、細江仙子、小川節子は、綜合誌新人賞候補となり、平井弘は注目作家として活躍。」同人の一人である小瀬洋喜の記述である。黒田淑子は昭和三十六年の角川短歌賞で、受賞の浜田康敬に次いで、次席となっている。二首目のくるみの歌はその次席作品の一首であるそうだ。黒田淑子もまた一九六〇年代の前衛短歌の潮流の中で、短歌表現に自分自身を賭けて、この一巻を上梓したはずである。

 

松岡裕子歌集『無援の秋』より

・かくばかりさやかに転身は成されゐて蝶飛べり朝の光の中を

・わが内のむなしき箇所に廃船のかたむく暗き海見えてをり

・蒼穹の限りもなきにそばだちて塔に無援の秋ふかまりぬ

・昏れのこる空に漂ふアドバルン剥製の鳥もいまは眠らむ

・工事場に廃材たかく積まれゐて意志もつごとく夜は潜みゐる

 

松岡裕子は昭和四年生れ、「白珠」所属。安田青風に師事。親本の刊行は昭和四十四年。女性的な感性の歌ではあるが、写生よりも比喩に力が入っていることは作品を読めば一目瞭然といえる。私はこの歌集のことをまったく知らなかったので、道浦母都子の『無援の抒情』以前に「無援」という言葉が歌集のタイトルに選択されていたことに驚いた。「無援の秋」というフレーズは歌人好みのマイナーコードの情感にあふれているが、塔に無援の秋がふかまって行くという認識は、単なる直感ではなく、確かな洞察力に裏打ちされている。

何よりこれらの作品は時代の中で古びてしまってはいない。「白珠」という結社の中にいても、そこに安住するのではなく、常に感受性のアンテナを、鋭くたてていたであろうことは、どの作品からも感じられる。

 

 たまたま昭和四年生れの女性歌人の第一歌集が、あいついでこの第1歌集文庫にラインナップされたわけだが、これらの歌集との出会いを私はとても嬉しく、ありがたいことだと思っている。第1歌集文庫として刊行されなければ、おそらく、三冊とも読む機会はないままに、これから先も過ごしてしまったのではないかと思うのだ。結社の中で何十年かを過ごした人ならば、歌人としての知名度の高さとその作品の文学的価値が必ずしも比例していないということは、実感としてわかっているはずである。高名な歌人の歌集や作品は、何種類ものテキストで読むことができるが、短歌表現の成就として、それらに勝るとも劣らない歌集が、さまざまな結社に必ずある。そしてそれらは、刊行時点で手にいれない限りは、ほぼ、入手、閲読は不可能である。第1歌集文庫という企画は、そういう歌集の悲しい運命を打ち破ってくれる可能性がある。ここに紹介した三冊の歌集は、私が今年読んだ歌集の中でも、深く印象に残ったものであることは断言できる。

 むかしの歌集の再刊ということは、新しい読者にとっては、きわめてありがたいことである。ながらみ書房が石川信雄の歌集『シネマ』を、表紙絵や口絵まで原本のものを踏襲するかたちで復刊してくれたことも、この流れに置いてもよいだろう。

 『金井秋彦歌集』や第1歌集文庫、そして石川信雄歌集『シネマ』。これらの作品の書評を書くとき、私たちはついつい「資料的に価値が高い」と書いてしまいがちである。それはとんでもないことだ。これらの歌集は文学的な価値が高いからこそ復刊され、より多くの心ある読者に読まれるべきなのである。