あけましておめでとうございます。
1年間「月のコラム」を担当することになりました。よろしくお願いします。
生来怠け者のわたしは家にいると寝てばかり。そこで、ドトール、ベローチェ、タリーズなどのカフェに歌集を持って出かけます。「歌集を持って本日もカフェ」の名の由来です。
歌集と言っても評論や雑誌、小説やエッセイのときもあります。その日の気分で、机の上に積まれてある本を数冊選んで鞄に入れます。持ってきた本が面白ければ1杯のコーヒーで3時間は粘り、つまらなければ1時間ちょっとで切り上げます。ノルマなんてありません。読みたい本を読みたいところまで読むのです。
今月の7冊
・佐藤通雅『昔話』
・澤村斉美『galley ガレー』
・「壜」#06
・伊藤冨美代『まはりみち』
・大西百合子『峡にふる雪』
・伊集院静『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』
・柳宣宏『短歌エッセイ カジン先生のじかん』
12月某日
佐藤通雅の『昔話』。
昔話と書いて「むがすこ」と読む。 2011年と2012年の作品を収めた第10歌集。仙台に住む佐藤、被災地の状況と人々の様子を歌い続けている。
ケータイの無料充電所にゼンソクの子は屈む呼吸器を作動させんと
総崩れの本を書棚にをさめんに長年探しあぐねたる出づ
給水のボトルそれぞれにぶら下げる家族あり春の行楽のやう
雨水をためおかんとし庭に出す器どれにも空の色映る
余震来て庭に出づれば場違ひのやうに緑のユリの芽はあり
前半、すなわち2011年の歌から5首。痛々しい場面が詠まれている歌を、臨場感あふれるなどと批評するのは適切でないと思いつつ、その場にいる者だけが詠み得る歌にはやはり臨場感があり、迫力がある。場面を読ませる歌は臨場感が全てだと思う。
1首目に衝撃を受けた。連絡手段として欠かすことのできないケータイであるが、ケータイよりも大切な命を保つために無料充電所が役に立っていたとは考えてもみなかった。「ケータイ」とカタカナで書くとき、作者における携帯電話の価値は低くなるようだ。充電が終わるのを「子」は待っていたのだろうか?「屈む」姿勢は祈る姿勢に似ている。
2首目を〝絶望の中で見つけた小さな希望〟と比喩的に読んではいけないのだろうが、絶望の中でも人々は希望があれば明るく生きていられると思わずにはいられない歌である。また2首目を読んでつくづく思うのは文語の力である。「をさめんに」「あぐねたる」「出づ」、この粘り強い表現があるから、散文になりやすい場面描写が短歌として成り立っている。
3首目も明るい。家族が無事でいられたことは何よりの希望である。希望が「行楽のやう」と明るい比喩を生んだ。
4首目と5首目は自然の恐ろしさを味わった作者が見た自然の優しさ、そして自然が与えてくれる勇気。空は平等に「どれにも」映り、「場違い」であろうともユリは芽を育む。
除染ではどうにもならぬ深刻を語るうち学者は涙目となる
逃げるが勝ちとなりしこの国南より桜前線にじりよりくる
集落の名残りの家の土台石ことごとく草のなかに沈みぬ
マツバギクほんのてのひらにのるほどのひとかたまりが砂の地に咲く
行く先の断たれて池となりたれば泥にまぎれて魚影は走る
2012年の作から成る後半。相変わらず自然は優しく、人々に勇気を与えてくれる。だが、時間が経過しているにもかかわらず、逆に、明るさが作品から消えている。
1首目の「どうにもならぬ深刻」に直面し続けていること、2首目の逃げなかった側にいることの静かな怒りに原因があるようだ。
津波で流された家の土台は草に埋もれ、忘れ去られようとしている。そこに咲くしかないマツバギク、そこで泳ぐしかない魚。どこにも逃げ場がない。
ひとかたまりのマツバギクや泥の中の魚に、自身を含めた被災地の人々を投影させているのだろう。被災地の状況が一向に好転しないことが、次第に作品を暗く沈みがちなものにしている。
佐藤は「短歌往来」の2013年8月号に次のような歌を発表している。
二年後の夢に首なし男出で「ただちに影響は――」と何度もくり返す
震災詠はあきあきしたといひはなつうたびともありそのさいはひよ
死者として去りたる簡潔を恋ふことあり恋ふてはならぬと叱るときあり
昼となく夜となく生れて切れ目なし金の延べ棒のやうな耳鳴り
好転しない状況が身体や精神の不調を生んでしまった。
3首目のように死んだ方が良かったと思うようなこともあるが、まだ踏みとどまっていられる段階である。きっと多くの人が「いっそ、あのときに」と思い続けているのだろう。
収束の時期が見えて来ないということは、震災の歌が過去形ではなく、現在形でまだまだ歌われ続けてゆくということである。時事詠や社会詠といった枠組みで捉えられている時期はまだ良かったが、震災の歌はもはや完全に日常詠・生活詠になってしまっている。
12月某日
澤村斉美の『galley ガレー』
ゲラ刷りのゲラのことを英語でガレーという。
澤村は新聞の校閲記者。新聞記者の歌や雑誌編集者が校正をする歌は読んだことがあるが、校閲記者の職業詠は記憶にないのですべてが新鮮だった。
うどん食べてゐる間に死者の数は増えゲラにあたらしき数字が入る
「被爆」と「被ばく」使ひ分けつつ読みすすむ広島支局の同期の記事を
われはすなほに力を欲す誤りをつひに直さざりし記者を前に
死者の数を知りて死体を知らぬ日々ガラスの内で校正つづく
八時間赤ボールペン使ひたる手を包む泡がももいろになる
輪転機地下に働く震へをば十階にをりて足の裏が感ず
1首目は2007年~2008年の歌を集めたⅠにあるので震災の歌ではない。
出前ではなく、食べに出たのでもなく、インスタントのカップうどんをイメージしたが?増え続ける死者に対応する新聞社内の混乱が伝わってくる。
2首目、「被爆」は爆撃により被害を受けること、「被ばく」とは放射線の被害を受けること(漢字で書くと被曝)。広島支局であるところに説得力がある。
新聞社内のことはよくわからないのだが、3首目を読むと、校閲記者が直しても最終的には記事を書いた記者が「直さない」と言えば、それまでなのだろう。そして、記者は名前入りで記事が書けるが、校閲記者にはそのような機会はなさそうだ。記者なのに記事を書けない。校閲記者であるゆえのコンプレックスを読み取った。
4首目にも現場に行かない校閲記者の引け目がうかがえる。文字を追うだけで、常に安全なところにいる自身を自虐的に描く。5首目も手を赤く染めたのがボールペンであることに、満ち足りぬ思いがあるような気がする。赤は血の色。血は現場そのものだ。
しかし仕事をやり遂げた充実感だって、もちろん、ある。自分が校閲した記事がいま、印刷されている。実際に震えているわけではないのだろう。仕事を成し遂げた喜びが地下の震えを10階まで呼び寄せている。
りんてん機、今こそ響け。
うれしくも東京版に、雪のふりいづ。 土岐善麿『黄昏に』
輪転機と言って思い出すのが大正元年に出た歌集のこの歌。100年を経て、新たな輪転機の歌が生まれた。
カン、コンとゲートボールの音高しなんか秋だと夫がつぶやく
お母さんになりたい、僕はと言ひながら休日の夫がじやがいもを煮る
ハンガーの肩の下がつたワイシャツの夫の形へ「ただいま」と言ふ
夫よけふも壊れずに仕事してゐるか ゲラを広げてしばし思へり
ウチカワなる人物に夫はくるしめりウチカワのかほ竹藪のなか
夫を詠んだ歌が多い。その内容から察するに夫は頼りなく(病気かも知れない)、作者の心配の種になっている。頼りない分、繊細でやさしい。「なんか秋だ」とつぶやいてみたり、「お母さんになりたい」などと言ったりする。「肩の下がったワイシャツ」から浮かび上がって来る像はとても弱々しい。傷つきやすい人物をイメージする。壊れやすい夫を仕事中も心配する妻。
「ウチカワ」と寝言で言ったのだろうか? 上司だろうか?問われても、おそらく夫は「ウチカワ」なる人物については口を閉ざしてしまうはずだ。妻が踏み込めない世界を夫は持ち、苦しんでいる。
なみの亜子の『バード・バード』(2012年)からだろうか? 仕事で悩み、精神的に弱い夫を妻が見守っているという作品が見られるようになった。夫婦の歌から時代の病巣を伺うことができる。
12月某日
「壜」#06
福島県いわき市在住の高木佳子が一人で発行している雑誌。短歌40首と論考1本、歌集評1本からなる。高木の歌集『青雨記』に収められていた数首をわたしは忘れられない。
この街を出てゆくといふ、をさなごをかばんのやうに脇に抱へて
それでも母親かといふ言の葉のあをき繁茂を見つめて吾は
ふきのたう、つくし、はこべら春の菜の人触れざればいよよさみどり
「壜」を今回初めて読んだ。
「現代短歌新聞」に「被災地から」を連載するなど福島の現状を発信し続けている高木の雑誌だから、震災のことだけが載っているのだろうと、かってに思いこんでいたが、違った。論考は新しい媒体と批評の不在を論じたものであるし、歌集評は堂園昌彦の『やがて秋茄子へと到る』だ。「あとがき」にも「被災地の現在に関しての思考を今回は文章ではなく短歌『歩荷』に込めています。」とある。その「歩荷」から数首あげてみよう。
両の手にみづを提げゐる人に会ふ名は知らざりし氷湖の水を
込められしペットボトルの水のみにあすを繋ぎてけふを怖れぬ
ふくしまに行つてきましたといふ人の土触るるさへ厭ひたること
みづ搬ぶ女の指に容赦なき過重かかれり蝋の白さに
いちにんの歩荷思ほゆ重き荷の重きを言はず黙して歩む
現実の世界かも知れないが、もはや神話の世界である。
1首目の「名は知らざりし」は文脈上「氷湖」に連なっているわけだが、作者の心中では「人」にも掛かっていて「名もなき人」「普通の人々」「一般庶民」という意味で使われているのだろう。
つまりこの歌は、と言うか、この連作はすべてが喩であり、「人」は福島の人々であり、福島そのものであって、重き荷を黙して運び続けるしかない被災地を描いているのである。
運んでいるものが水であるところが、連作を一層神話化しているようだ。なかでも4首目が、いい。重い荷物を持っていると血行が悪くなった指は白くなってゆく。それを「蝋の白さに」と言ったところに実感がある。
論考「分析なき昂揚のなかで」では、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディア(SNS)に発表される短歌が批評に曝されずにいることへの危惧を論じている。示唆に富む論考だ。まず出て来るのは、ネットプリントという媒体。ツイッターを通じて取得した「鍵」なる番号を使ってコンビニエンスストアの機材から作品集を取り出して来る。
ツイッターには「『読みました』『コンビニ行って印刷してきました』『すごくよかった』といったような肯定的な『感想』や『報告』が並ぶ。」と高木は書いている。肯定的な感想や報告がならぶ理由を次のように説明する。
「・・・限定的な空間のなかで、よくない『空気』になってしまうのはお互いに回避され、つねに肯定的でお互いに気遣いながらフラットに共存しているから、そこで批評的な言論が生まれることは難しいのである。」
そして「話題の代謝は速く、個人の発言のひとつが共通の文脈として一気に共有されるとしても、その維持力は長くて数日、瞬く間に消えてしまう。」「このような環境の中で、放たれた作品があまねく流布して、どこかでしっかりと取り上げられて、話題なり読書会まで発展することは稀有だ。数日するとネットの海に瞬く間に沈んでゆく。再読できるのは、期間内に印刷できた者だけである。」と作品が分析されないまま消費されてゆく状況を指摘する。
次に高木は「新鋭短歌シリーズ」を例にあげ、多くの歌集も分析がないまま消費されてゆく現状を憂える。だが「新鋭短歌シリーズ」は話題になることが多く、大きな書店に行けば売っているし、消費されずに残ってゆくと思う。ただ、その残り方が、話題として残るのか? 作品として残るのかは今のところわからない。が、「新鋭短歌シリーズ」に収められた歌集はかなり恵まれている。
それよりも、結社に属する実力あるベテラン歌人の出す歌集が話題にもならずに埋もれてしまうことが多々ある。発行部数が少なく、贈呈の範囲も狭く、もちろん書店にも並ばない。次にあげる2冊はとても良い歌集だ。こういう歌集は出来ることならば埋もれさせてはいけないと思う。
12月某日
伊藤冨美代の『まはりみち』
焚き火よりあがる煙は薄ら日の道をよぎりて葱畑に消ゆ
終バスに空席ひとつ見つけたる人の安堵をバスは運べり
神田川またぐ古橋ありなしの弧をゑがきたりのぼりてくだる
つま先に蟻一匹の近づくをそつとよけたり蟻直進す
「短歌人」に所属する作者の第1歌集。注目すべき新しさはないと思う。今年の流行色が歌壇にあるとすれば、その色を着てはいないのだろう。しかし、〝地味だけど滋味がある〟とは、わたしがベテランの作品を批評するときにしばしば使う言葉だが、一首一首に味わいがある。一読よりも再読、再読よりも再再読、味わいが深まる。
まず、間の取り方がいい。上句から下句にかけての展開に無理がなく、それでいて平凡でない。次に、文語が美しい韻律を醸し出している。読んで心地よい。
あかあかと「炎舞」の泛かぶ冬空や速見御舟のみじかき一生
闇深き心あらはに見ゆるまで円空仏は身をそがれたり
いつぽんのながきかれえだくはへたる一羽の鴉まがほにあゆむ
三省堂国語辞典はわれの手になじみて赤の表紙は反りぬ
速見御舟、円空、鴉、三省堂国語辞典と素材がバラエティーに富んでいるので読んでいて楽しい。ベテランにありがちな記憶の世界ばかりを歌うことはないし、若い世代によくある自分の願望を繰り返す世界とは明らかに違う。
12月某日
大西百合子の『峡にふる雪』
細々と歩めるほどの雪を掻き人の世につなぐ路開けておく
鳥取は海があるからいいねと言ふ児の掌をこぼれし小蟹が走る
大橋に覗くひとりが鮎と言ふ水の色して水よりも濃し
にんげんの声にいちばん近しとふチェロの低音 今日原爆忌
「ヤママユ」に所属する作者の第1歌集。鳥取の山側に暮らしているようだ。生きている場所と、生きている今を淡々と歌う。
誉めるべき言葉は伊藤の歌集でだいたい使ってしまったが、伊藤よりも世界は狭い。閉ざされた(特に雪の降る時期は)峡に住むからだ。その分、一冊に奥行きがあると思う。一つことを徹底して歌う歌人なのだ。
郵便夫のくる時刻かと雪を掻きどこにもゆかぬわたしは戻る
山しぐれまた来る気配ややしめる音のやさしき落葉踏みゆく
いかほどの嵩とならむか降る雪はしづかに隣家の灯をとほくする
八月をうぐひすの鳴くこの峡に死ぬことだけが残されてゐる
歌集の後半、やや内省的になり過ぎたようだ。記載はないが、制作年順に編集されているとすれば、加齢が影響しているのだろう。仕方のないことかも知れない。
12月某日
伊集院静の『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』
子規と漱石が初めて言葉を交わしたのは、東京帝国大学図書館の中にある談話室だった。落語の話で気が合って、たちまち意気投合した。
「圓朝もいいが、円遊もなかなかだ」
「おう、〝通り抜け〟の円遊もええぞな」
「ああ円遊の〝野ざらし〟は絶品だ」
円遊の野ざらしは絶品だ・・・漱石の言葉を聞いて、子規は「こいつなかなかの人物じゃ。ただの秀才ではないぞ」と思った。そして翌日、子規は漱石を訪ねた。
子規と漱石がもし出会っていなかったら・・・近代から現代に至るまでの俳句、短歌、小説の流れがいささか変わっていたかもしれない。それだけ二人は影響し合った。
前半は明るく楽しい。伊集院の筆の運びも遅滞がない。
子規が「べーすぼーる」に興じるシーンや、向島の桜餅屋の娘に心ときめかす一件などは本当に楽しい。だが後半、子規の容態が悪くなってから、筆の運びが悪くなり、空気が重い。元気だったときの回想が多くなり、同じ場面が再三再四出てくる。読むのをやめようか・・・萎えかかる気持ちを奮い立たせて読み進むと、印象的なシーンがいくつも待っている。
歌人として特に印象深かったのは、伊藤左千夫や長塚節が子規庵を訪れ、子規と初めて会う場面だ。作品を「日本」に掲載してもらったお礼と、子規の「歌よみに与ふる書」について反論すること、左千夫は二つの目的を持って子規庵にやってきた。ところが左千夫は、人懐っこい子規の人柄に一目ぼれし、反論を忘れてしまう。5日後に開かれた子規庵歌会に参加し「先生」と大声で子規のことを呼ぶ。
一方、節は「歌よみに与ふる書」に感動し、勝手に子規を師と仰いでいたが、訪れる勇気がないまま、2年が過ぎていた。自分の名前と住所を書いた紙を用意しておいて、出てきた女に渡した。布団の上で肩肘ついて寝たままの子規に節は「私は歌の教えを受けたいのです」と言った。節の訪問から4か月後、ロンドンに留学する漱石が別れの挨拶に子規庵を訪れた。留学の話はあまり出なかった。病状の話もしなかった。子規が「この頃、写生というものがようやくわかったぞなもし。」などと話すのを漱石が黙って聞いている、そんな対面だった。二人とも、これが最後だと承知していた。
漱石はロンドンの下宿で、河東碧梧桐と高浜虚子からの子規の死を知らせる手紙を受け取った。
12月某日
柳宣宏の『短歌エッセイ カジン先生のじかん』
雑誌「進学レーダー」に連載した文章を中心にまとめたエッセイ集。柳は湘南白百合学園の国語科教諭(現在は教頭)である。あたたかい語り口に味わいがある。何よりも文章がうまい。切れのいい文章は冷やかになりがちだが、ぬくもりを保ってもなお鋭いのだから、かなりの文章の使い手である。
ちょっと長くなるが「水仙」という章の後半部分を引用してみよう。リンボー・ダンスが得意な英語教師の話から始まり、俳優の渡哲也が「趣味は、焚火です。」とインタービューで答えていたことに触れ、「ぼく」が散歩で体験した出来事が綴られてゆく。
ぼくの黄金の散歩コースは、近くの海辺か、裏山です。冬になると葉を落としつくした木立の道には、日差しがたっぷりとあふれています。その中を木の根をまたぎ、岩の角をつかんでは登っていきます。下る時には、あらかじめ張られたロープにつかまります。草木と空と雲と風。そして、花。
今年のお正月のことです。道の途中に水仙の花が咲いているのを見つけました。いつも通る道。莟があったのは知っていました。白といっても青みがかって透きとおるような花が二つ、風にかすかに震えています。いいものを見た。そう思いました。翌日も同じコースを歩きました。水仙の青い茎が、同じところにすっくと立っています。花だけが折り取られて。二つとも。なんというひどい奴だ。ぼくは、折り取った誰かのことを憎み、軽蔑しました。あんなに美しかったものを。冬枯れの林の道を、失われた美しさを思いながら、悔しい気持ちで歩いている時、忽然として思ったのです。自分だって、折ってしまいたいくらい美しいと思ったではないかと。もしかしたら、自分が奪っていたかもしれないではないかと。憎むなら、自分のその心も憎まなくてはフェアじゃない。そう思ったのです。
散歩をしていると、自然は、ぼくの心を素直に、謙虚にしてくれることがあるのでした。趣味は散歩。これからもきっとそう言うと思います。
短歌について書かれた文章も読みごたえがある。たとえば「河野裕子さんのこと」と題した文章では、短歌に興味を持ち始めた頃の「ぼく」が河野の『森のやうに獣のやうに』に出会った衝撃を、次のように書いている。
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
秋の終わり。恋人たちは森にいます。落葉がいっぱい。女の子は思います。両腕をいっぱいに広げてガサッと落葉をすくうように、私を抱き上げて奪って行ってはくれないか。あふれるような恋心です。短歌というのは、「ナニナニけるかも」とか「フニャフニャなりけり」みたいなもんだと思っていたぼくの頭を、河野さんの歌が直撃しました。自分を見つめて見つめて、気持ちを濃縮して濃縮して、飛び込み台から飛び込むように歌えば、シャンパンの栓がパーンと飛んで行くように歌がはじけるんだと思ったのでした。「私を奪ってください」と口に出して言える人は、歌を作る必要はありません。自分の中で思いを深めながら、実際には言えない人。そういう人のために文学はあるのでしょう。
昨年は、高野公彦、三枝昴之、加藤治郎などがエッセイ集を出したし、総合雑誌でのエッセイの量も増えているようだ。評論よりもエッセイが歓迎されているのだろうか?
評論が減るのは考えものだが、エッセイが歌人以外にも短歌を拡げる役割を担ってくれれば、素晴らしいことだと思う。